第四話 第三章 「ある春の日」
ある晩春の一日。
何事もなく過ぎ去るはずだった、普通すぎるほどに普通の日。
しかし、ゲーエルーの突然の訪問と、彼がもたらした情報により、日常は非日常に転換し、大きく加速していきます。
そして、ゲーエルーが状況の説明を終えた時、老年になったスヴェシが現れ……。
◇ 第三章:ある春の日 ◇
01.
衣替えなど、夏への準備を終えた晩春。
季節の変わり目の慌ただしさから開放され、砦跡には虚脱感にも似た雰囲気が漂っていた。
いつもと変わらない、穏やかな日常。
普通すぎるほどに普通なその日。
キキさんは、日課である掃除をしていた。
普段は掃除と別の仕事を平行して行うのだが、今日は他にやることがない。
参謀本部の二階に並ぶ小部屋を、手際よく一つづつ片付けていく。
もう三十年近く……キキさんの時間感覚を人間の意識に直しても三年くらい、ずっとここで仕事をしてきた。
短い期間ではない。
それ故に、掃除の手際ももはや完璧。勝手知ったるとはこの事で、丁寧にやっても掃除は午前中に終わってしまいそうだ。
そうだ。と、キキさんは思い立った。
今日はヒカリムシの捕獲もしておきましょうか。
二階の掃除の後は、野良着に着替えて森の中からヒカリムシを採取してこよう。灯台の光量はさほど落ちていないが、今年はまだスヴェシが来ていない。査察の前に換えておいても良いだろう。
その頃。
クークラは別の部屋で、アニメートのテストを兼ねた掃除をしていた。
部屋一面に、小さな人形がいっぱい歩きまわり、玩具のような掃除道具を手にチョコマカと仕事をしている。
人形は、キキさんがプライベートで作ったものも幾つかあるが、多くはクークラとハクの手によるものだ。
キキさんに人形の作り方を教えてもらったクークラが、アニメートのための魔道具として大量に作成。それを見たハクが、興味を示し手伝ってくれた。
人形は作り手によって作風が異なり、それが動きの違いにも繋がっている。
キキさんの人形は、グループを作って一定の範囲を協力して綺麗にしている。他の人形への指示も出しているようだ。
クークラが作ったものは、箒を水に浸したり、雑巾でゴミを掃き取ろうとしたりするなど、実験的なやり方を試しては失敗し、また別のやり方を模索することが多い。
ハクの作った人形は、基本的には真面目にやっているのだが、ある程度の時間が過ぎると休んでしまう。あまり掃除が好きではないのがわかる。
クークラは、メモを取りながらそれらを観察していた。
それにしても。
やはり自分は、アニメートで動くものが好きらしい。この小さな子たちの動きを見ているだけで、なにやら嬉しくなってくる。
心が弾む。
自分は、アニメートで動くものや、自然発生的に生まれる付喪神と同質の生き物だ、とクークラは考えている。アニメートの術に長けるほど、それが実感できる。
そして、こう思うのだ。
ならば術を極めれば、自分と同じくらい高性能な存在もアニメートで創りだせるのではないだろうか、と。
命令と反応で動くだけではない、意思を持つような存在を創ることが、いつしかクークラの遠い目標となっていた。
もしも完成したら。
それはハクにおける自分のような存在……クークラ自身にとっての子供と言える存在となることだろう。
その夜。
キキさんがクークラの協力を頼んで、参謀本部内全部のヒカリムシの入れ替えを終えた。
ハクが工房からフラフラになって戻って来て、室内が明るくなっているとビックリしていた。
リビングとして設定してある一階の一部屋に三人が集まる。
お腹がすいたと言うハクのため、クークラは外にある冷温倉庫へと走った。
そこはもともとは崩れ落ちた尖塔で、辛うじて残っていた塔の基部を利用して作られた、小さく不格好な蔵だった。崩壊しないように木で補強し屋根を付け、粘土で隙間を埋め、内部には棚を設置してある。
蔵の中央には、作成に失敗したという氷結晶が据えられており、流れ出る冷気によって内部は常に冷温に保たれていた。
冷温庫の中でクークラは、棚に収められている食材とキキさんが書いたメモとを見比べる。
並んだ食材の中から、国教会から定期的に配給される肉とタマネギ、人参、そして自分たちの畑で採れたキャベツ、さらに真っ赤な丸い根菜であるビーツを手提げの籠に入れると、クークラは寒い蔵から出て、月明かりの下、灰色で四角い参謀本部へと戻って行った。
02.
クークラの持ってきた食材を使い、キキさんは寸胴鍋でボルシチを作ると、小さな陶器製の耐熱皿に取り分け、ハクに出した。
本来ならば竈に火を入れるのだが、今日はヒカリムシの採取を張り切りすぎて時間がなくなったので……と、言い訳をしながら、キキさんは魔術で熾した火を使って調理をしていた。
普通の炎ではない。闇のような真っ黒い炎だった。
キキさんの作った紅いスープと、丸いフカフカの小さな揚げパンを、ハクは美味しそうに頬張った。
身体を持たない生物であるクークラは、食事を取るという感覚がよくわかっていない。ハクの表情を見るに、楽しく幸せなことなのだとは思うのだが、人形の身体は食物を食べられるようにはできていなかった。
もしも生物に乗り移ったら、何か新しい体験が出来るのだろうか。
クークラはハクを見ながら、そんな事を考えていた。
出されたボルシチを七割方まで食べて、ハクもやっと一息ついたらしく、三人の会話が始まった。
「今年は、まだスヴェシさんが来ないんです。どうしたんだろう」
「いいよ、スヴェシなんて来なくても」
「そういう問題では無いと思いますわ、クークラさん。とは言え、案じていても仕方のないことではありますね。査察の時期が多少ズレるのは、今までに無かったわけではありませんし」
「確かに。でも査察なんて出来れば早く終わらせたいんですよね。この待っている間が一番イヤというか……」
「気持ちはわかるよ、ハク。あれだよね、ボクが何かイタズラをして、証拠は隠したけど見つからないかどうかドキドキしている期間みたいな……」
クークラの言葉に、大人二人は顔を見合わせた。
違わないのだろうが、肯定していいものなのだろうか?
「……あ、いや、今は何もしていないよ。本当に。……そうだ、音楽をかけよっか」
大人たちの沈黙にイヤなものを感じたクークラが、強引に話題を変えた。
「……まぁ……いいけど。ええと、私アレが聞きたいな。四月の曲」
「わかった。ちょっと待って」
ハクのリクエストを聞いたクークラは、リビングの隅に置かれたカラーボックスから一冊の本を取り出した。それは何年か前にキキさんがクークラの誕生日……初めて現在の身体に乗り移った日を記念してプレゼントしてくれた楽譜集の一冊だった。
クークラは、カラーボックスの上に設置された木製の書見台にその楽譜集を置いた。書見台にはガレキの中から見つけた小さなラッパが括り付けられている。
楽譜集には「四季」とタイトルが打たれており、季節の移り変わりがモチーフで、一から十二月までの月々に対応した十二曲のピアノ用の楽譜が収録されていた。
曲のはじめにはそれぞれ詩が挟まれる。
四月の詩は「雪割草」という題名だった。
クークラが楽譜集と装置にアニメートの術式を施すと、楽譜集は勝手にページをめくり、ラッパから雪割草の詩が流れ出した。
明るい光が積もった雪を通してかすかに光り
こんなに青く清らかな雪割草が輝いている
古い運命への涙の最後
そして幸福の夢への最初のあこがれ
詩の朗読が終わると、楽譜に記された音楽が流れ出し、心地良い音量で部屋を満たした。
クークラは、切れてしまっている自分の耳を少しだけ触る。裂けて行かないように縫い合わせてはいるが、キキさんの服飾技術をもってしても、傷口がわからないように修復するのは不可能だった。
だが、クークラはそれで良いと思っている。
今でも、何かに迷った時には耳に触る。それで大体は落ち着くことが出来るのだ。
ハクが食事を終えると、キキさんが
「もう夜も遅くなってきたので、お二人ともそろそろお休みください」
と言った。
風呂にはすでに冷水が張られており、ハクはそれに入った。
人形の身体のクークラは、キキさんが服を脱がして身体を拭いた。
二人がパジャマに着替えて寝室に入った後。
キキさんは鍋に残ったボルシチを温め直して食べ、ハクの入浴後で凍りつく寸前になっていた冷水を、食事を作る時にも使用したブラックファイアの術で沸かして使った。
歯を磨いた後は自室に戻り、軽く読書をして眠りについた。
03.
早朝。
クークラがグラウンドへ出ると、黒いタンクトップにズボンという出で立ちのキキさんが、すでに型の練習を始めていた。
クークラはしばらくそれを見ていた。
自分の腕が上がれば上がるほど、キキさんの動きの美しさが分かってくる。自分もそれなりに上手くなっているという自負はあるが、あの域に達するには永い時間をかけた鍛錬が必要だろう。
クークラも鎧に「着替え」て、手合わせを願った。
結果は、初手から仕掛けてきたキキさんの猛攻を受け、粘りながらも捌ききれず負けた。
キキさんは、
「やはり自分しか練習相手が居ないのは良くない、伸び悩んでしまっている。本当はいろいろな相手といろいろな状況を想定して練習するのが良いのですが……」
と、少し息を切らしながら言った。
早朝の余暇の時間が終わり、キキさんが自室に戻ってスポーツウェアから仕事用のメイド服に着替えると、砦跡にノックの音が響き渡った。
スヴェシだろう。
やっと来たか。
そう考えたキキさんが一階へ降りて、恭しい態度で鉄のドアを開けると、しかしそこにスヴェシは居なかった。
ノッカーを打ち鳴らしていたのはゲーエルーだった。
キキさんは肩透かしを食らった気になったが、お客であることには変わりない。
もてなすのが自分の仕事である……と、思った瞬間。
ゲーエルーは笑顔を見せていきなり抱きついてきた。
「な……! ちょっt!!」
「ついに……ついに時がきたぞ別嬪さん!!」
抱きついたまま持ち上げて回転するゲーエルーの顎を、キキさんはとりあえず掌底で打ち抜くが、ゲーエルーは効いた素振りも見せずに今度は両手を掴んで振り回す。
とにかく嬉しそうなのは確かだった。
何事かという顔をしたクークラと、寝起きのハクがやって来たが、ゲーエルーが今度はハクに抱きつきそうな気配を見せたので、キキさんは後ろから羽交い締めにして止めた。
ハクもその気配を感じたのか、ちょっと距離をおいた。
「な……何があったんです? ゲーエルーさん?」
ハクが怯えた感じで聞いた。
「ああ……すまんすまん。興奮のあまり、つい、な」
「とにかく、落ち着いて話そうよ。居間が良いんじゃない? ボク、とりあえず飲み物を持ってくるよ」
クークラが走って行くと、女性二人が少し警戒しながらゲーエルーをリビングへと導いた。
「いや。すまん」
笑いながらゲーエルーが言った。
「本当に……何があったんです? 陽気なのは知っていましたが、そんなに興奮しているのを見たのは初めてですよ?」
居間への道すがら、ゲーエルーの隣を歩きながら、キキさんは聞いた。
「うむ。まぁクークラが戻ってきたら話すよ。いやしかし、もっと筋肉質で細っこいのかと思っていたが、意外と柔らかいな別嬪さん」
キキさんはゲーエルーの向こう脛を蹴ったが、彼は平気な顔をしていた。
鉄の塊のような足だった。
04.
国が倒れた。
クークラが持ってきたコップと水差しのうち、水差しの方を手に一気に飲み干してしまったゲーエルーが言った言葉がそれだった。
さすがにキキさんもハクも混乱した。
「……いえ、わたくしも最果ての森と迷いの森を行き来している生活ですから、さほど世情に明るいわけではありません。確かにここ何年かキナ臭い感じはありましたが……。ええと……? 国が……倒れたと言われました?」
「おうよ。数日前にクーデターがあってな」
ゲーエルーは、コップの方の水も飲み干してから言葉を続ける。
「とにかく、オレの知っていることを話す。全員よく聞け」
数日前。
国教会の中央機関である総主教府が、軍の中核であり王都防衛を任とする第一師団、そして第二都市グロードに駐留している第二師団と共に武装蜂起した。
大義名分は、政府上層部の汚職。
神と、神の遣わした勇者への、目に余る不信心。
堕落。腐敗。
それらの一掃のため、我々は立ち上がると、ヤツらは言った。
政治家たちの汚職問題のため機能不全気味だった政府は、これを抑えることが出来ずに一瞬で占拠され、中央政府は軍事的に制圧された。
象徴的存在とされ、政治とは一線を画していた王族も、その殆どが拘束されているようだ。
総主教府は、自分たちが動けばすべての地方主教区も追随すると考えていたらしい。
だがその見通しは甘かった。
総主教府の予想に反して、殆どの主教区がクーデターに反発。さらに地方の方面部隊も大部分が静観を決め込んだ。
それでも一、二師団はよほど政治腐敗に対して不満をつのらせていたようで、意思統一に失敗した国教会を尻目に、クーデターは現在、軍部主導で進んでいる。
成功するにしろ、失敗に終わるにしろ、もう途中で止まるつもりはなさそうだ。
その状況の中で、王都を脱出した政府残党が一部の地方軍と合流して、クーデターを糾弾。
現状では地方軍も各主教区も統一が取れていないため、クーデター側を引き摺り下ろせるような勢力は存在しないが、しかし旗頭になり得る皇太子が今もって行方不明。師団が捉えそこなったと噂されている。
さらにだ。
これまでは山河の自治に徹して、開発の手には抗戦するものの政治的には中立だった「山河の義勇軍」と呼ばれる「人ならざる者たち」の勢力が、地方自治体としては最も大きなオブラスト地域の方面軍に加勢することを表明した。
おそらくは、次の時代に山河の完全な独立を勝ち取るための布石だろう。
今まで森に住む者たちを率いていたリーダーは、戦上手でカリスマ性はあるものの場当たり的な対応をする奴だったらしいから、この戦略は解せないといえば解せない。内部で何かあったのかもしれん。
それはともかく。
始まってから、わずか数日でこの状況だ。
今現在クーデターが成功裏に進んでいるのは、師団側の計画が練りあげられていたのが大きい。
しかし、そんな大掛かりな行動の準備を秘密裏に、しかも師団二つという規模で、気付かせもせずによくやったものだ。政府の無能と怠慢、そして軍の不満。もともとあった火種が、一気に燃え上がった感じか。
現在のところ、クーデター側が圧倒的に優勢だが、地方勢力の離散集合によってはどうなるか先は読めん。
だが。
一つだけ、確実なことがある。
ここまで言って、ゲーエルーが一息ついた。
「確実な事ってつまり……」
クークラが首を傾げながら聞く。
「国と国教会。ハクをこの砦に縛り付けている存在が壊れちゃったってこと?」
ゲーエルーが膝を打った。
「その……」
「その通りだ!」
しかし、答えたのは彼ではなかった。
声は部屋の外から聞こえた。
全員の眼がリビングのドアに集中する。
外から開けられたドアの向こう。
そこには、七十を過ぎた老年のスヴェシが。
血まみれの姿で立っていた。
次回更新は2019/07/26の予定です。




