第四話 第ニ章 「墓参り」
心弱く臆病で、ただ耐えるだけだったハク。
しかし、子供であるクークラを守り育てる使命に目覚め、心強い友人であるキキさんに支えられ、そして氷結晶を創るという自分にしか出来ない仕事をする事により、自信を深めていきました。
「キキさんのアルバイト」のテーマの一つが「ハクの成長」でした。
この話で。
国教会による精神的な束縛から完全に逃れ、ハクは心の自由を獲得します。
01.
ある秋の夜。
キキさんの姿が、BAR.ブレイブハートのカウンターにあった。
先ほどまでは賑わっていたのだが、パタパタと客が帰り始め、今、店内はキキさんだけである。
ソファ席を片付けたマスターが、カウンターに戻ってきた。
その姿はどう見ても人間なのだが、しかしスヴェシと違い歳を取って老けることがない。何らかの呪いでも掛けられているのか。それとも力のある精霊に取り憑かれているのか。幾つか理由は考えられるが、そのようなプライベートに関わる事を聞くのは社会通念上“失礼”に当たる。
キキさんは特に気にせず、今でもブレイブハートに通っていた。
「久しぶりだな、キキさん」
マンツーマンになったキキさんに、マスターは笑いかけた。
「お久しぶりです。最近は、砦跡のハクと宅飲みすることも増えてしまいまして」
「それは良い。あの娘は外で知り合いを作ることも出来ない立場だから。交流を増やすのはいい事だ」
「ブレイブハートの客は減りますけど?」
「うちは何もキキさん一人で持っているわけじゃないさ」
キキさんの注文したカクテルを差し出しながら、マスターは聞いてきた。
「あの娘、国教会に酒は禁止されていたと思うが……。どんなのが好きなんだ?」
「ライ麦の蒸留酒を好みますね。だいたいロックで飲んでます。私が最初に飲ませたのが”望楼”だったせいもあるかもしれませんが」
「ああ、ミティシェーリが好んだ……いや、随分前だが、ウチから買ったヤツか。あれを出すとは随分と思い切ったな」
マスターはちょっと驚いた表情を見せた。
「マスターはよく言うじゃありませんか。酒には飲むべき時があるって」
「うむ。キキさんがそう判断したのなら、あの“望楼“も幸せだったろう」
「お陰で、雇い主とは別の“友人”が一人、増えました」
「それにしても、氷の種族は押しなべて強い酒が好きだからな。よく飲むだろ」
「あのペースには付き合えません……マスター、氷の種族の酒のことなんてよく知ってますね」
「まぁ、昔は色々あったからな」
「……? もしかして戦争に?」
「……ああ。ただの兵士としてだがね」
「……マスターは……」
キキさんは、ちょっと興味の出たことを聞いてみた。
「魔王ミティシェーリを見たことがありますか?」
「あるよ。……あれは美しい女性だった」
戦時中の事を語るのを、マスターはそれほど忌避していないようだった。
「彼女本人は特に戦闘能力に長けていた訳ではない。吹雪を操るから、一般的な人間から見れば脅威ではあるが、それでも戦場で一対一で向き合っても特に怖い存在じゃなかった。だが……」
「だが?」
「彼女が前線に出てくると、氷の種族たちが沸き立つんだ。彼女を守ろうとして……あるいは彼女が見ていてくれると思うだけで、心が奮い立つんだろうな」
「……ゲーエルーさんが、似たようなことを言っていましたね……」
思わず呟いて、キキさんは、しまった、と思った。ゲーエルーがしばしば訪れるのは、砦跡のトップシークレットである。
思わずマスターの顔を見る。
彼は、やれやれという表情をしながら肩をすくめた。聞き逃してはくれなかったようだ。
「……すみませんマスター。この事は内密に……」
「わかってる、わかってる。いや、しかしあのゲーエルーが砦跡と繋がっているとは驚いたな」
マスターが苦笑いしながら言う。大失態だ……と、キキさんは心底恥じ入った。
「それにしてもゲーエルーか……懐かしい名だ」
「……彼とも戦場で……?」
「ああ。二度ほど剣を合わせた事がある。手強かったよ。氷の種族の有名所だと、他にも……死体の軍勢を率いたヴァーディマや、影を操ったチェーニなんかの術士ともやりあったが、しかし、一番危険を感じたのは長剣を構えたゲーエルーだったな」
「……昔を懐かしみながら、結構とんでもない事を言ってますね……」
マスターが挙げたのは“戦史書”にも名前が出てくる氷の種族の大物たちだ。
彼らとも対峙したともなると、マスターは歴戦の兵だったのだろう。
今でも国教会にコネを持っているのはその実績があるためか、とキキさんは内心で納得した。
熊のような見た目のマスターを、キキさんは見つめる。
戦歴も去ることながら。
キキさんが完敗したゲーエルーと、戦場で命を的にやり合ってなお生還しているあたり、マスターも相当な実力者だったはずだ。
何故、小さなバーの店主に収まっているのだろうか。
キキさんの内心の疑問を知ってか知らずか、マスターは静かに喋り続けた。
「ミティシェーリに話を戻すが、彼女は見た目の美しさもそうだが、立居振舞いが格好良くて、とにかく意志が強かった。氷の種族たちが崇拝していたのも分かる。あれはまさにアイドルとかカリスマと呼ばれる存在だったな」
「娘のハクとは違いますね」
「そりゃ、そうだろう。カリスマ性なんて個人の資質だ。受け継がれるものでもない。いやそれ以前に、あの娘は戦後からずっと幽閉されているんだ。カリスマ性どころか、社交性すら育たんだろう」
「ハクと会ったことが?」
「ああ、一度だけ、会話をしたことがある。オレにも考えがあって、ちょっとしたものを渡した……それはそれとして、キキさん」
「なんでしょう?」
「最近、国教会からの支払いはどうだ? 滞ってたりはしないか?」
「いえ、今のところそれは一度もないです。この間、布を買いに行った時に仕立て屋の店主さんに聞いたのですが、むしろ最近は喜捨以外にもお金をかき集めていて、羽振りがいいとか」
「ふむ。だが、その店主はそれを快く言っていたわけではないだろう?」
「そうですね、むしろ批判的でした」
「最近なにかキナ臭い感じがする。国教会に限らず、国家運営の根幹に関わる者たちが、どうも私利私欲に走ってタガを外してしまっているような」
マスターはため息を付いた。
「キキさんの仕事に関わる事で何かあったら、遠慮なく言ってくれ。紹介した以上オレも気になるし、そもそも筋の通らない事は嫌いだ。場合によってはオレの方から話を付けてやる事も出来る」
「あてにしておりますわ」
キキさんは、ライ麦酒をグレープフルーツとクランベリーのジュースで割ったピンクのカクテルに口をつけ、考えた。
戦時の英雄だったのかも知れないが、今は一介のバーのマスターだ。国教会に籍があるわけでも無かろうに、この影響力は一体何なんだろう? 本当に、ただの兵士だったのだろうか?
彼は一体何者なのか。
答えは出なかった。
02.
ブレイブハートで飲んでからしばらく後。
その時に購入した酒を手に、キキさんはハクの部屋に来ていた。
その日、ハクがキキさんに、アルバイトを始めるきっかけは何だったのかを聞かれ、異世界に行ったリーダーの事や、館の管理をしていたら貯金が減ったこと、そしてブレイブハートのマスターにここを紹介されたことなどを話した。
その流れで、先日のマスターとの会話も話題になった。
キキさんは、ハクに今まで会った人のことを聞いた。その中に、ブレイブハートのマスターのような人はいたかと。
ハクは、今までに会った人の数を指折り数えて、氷の種族の仲間たちを除けば、本当に数える程度ですねと自虐的に笑った。
マスターがやりあったと言っていた、戦史書では死霊使いとして語られているヴァーディマや、シャドウサーバントの使い手であるチェーニとも、ハクは顔見知りである。しかし、ヴァーディマは戦争が始まってからは近寄りがたくなっていき、チェーニはもともと別のグループの参謀格で、この砦に立て籠もってから初めて会った。戦況が悪化する中だったし、あまり話は出来なかったと、ハクは言った。
母亡き後は、まず下の大地の軍人たちに連行された。
その時に会った人たちは皆、敵愾心がむき出しで、恐ろしいという心すら麻痺し、何も考えられずにただ怒鳴られていた記憶がある。
その後、自分の知らないところで勇者様が私を殺さないよう発言したらしく、ある日を境に境遇が一変した。
軍隊から私を引き取った国教会の人間達は、それまでに比べれば丁寧に対応してくれた。
しかし、終戦直後は絶望の中で慌ただしく過ぎたので、実際の所、会った人たちのことはあまりよく覚えていない。
もしもそのマスターと出会っていたとしたら、この期間の事ではないだろうか。
その後、砦跡に幽閉されてからは、それこそ数えるほどしか人と会わなかった。
基本的には、担当主教。それのみ。
最初の頃は、クークラも話すことが出来なかった。でも、何か危なっかしい動きをしていたので目を離せなかった。
クークラが今の人形に入って会話をできるようになったのは、二代目の担当主教の時。おおらかな性格の人で、クークラのためにもっと良い人形が欲しいと頼み込んだ。
まさかあんなに精巧で高級な人形を贈られるとは思わなかった。
とは言え、そのお陰でクークラと話せるようになり、自分の精神もこの頃から随分と安定したように思う。
ああそれから、とハクは言った。
「言い忘れていましたが、勇者様とも、この砦に幽閉された直後に一度会ったことがあります」
「それって、クークラを渡されたとき?」
「はい。事前に、人形を作っておくようにと国教会の人から言われていて。勇者様は、水晶の中で眠ったようになっているクークラを、その人形に乗り移らせて目覚めさせました」
「どんな感じだったの?」
「クマのような人、というのが見た目の印象でした。でも話をしてみたら全然違って、落ち着きのある優しい感じの人でした」
ハクは、基本的に勇者には様付けをして呼ぶ。
それは国教会からの指示でもあるのだろうが、この時の経験もそうさせているのだろうか。自然に敬意を抱かせる、有徳な人物だったのは確かなようだ。
戦争に対して責任のないまだ子供だったハクを、魔王の娘だからという感情的な理由で殺さないよう布告を出した点から見ても、優しく、そして筋を通す性格だったのだろう。
「だから、キキさんが初めてここに来た時……あの面接の日は、本当に緊張していたんですよ。久しぶりに知らない人と話す事になって」
ハクは笑いながら言う。
あの日のハクが緊張していたのはよくわかった。あまり目を合わせようとしなかったし、ちょっとしたアクシデントでもすごく焦っていた。
それにしても、とキキさんは思った。
バーのマスターに当たりそうな人が、話の中で出てこなかった。ハクが言うとおり、終戦直後のドサクサで出会った軍人の一人だったのだろうか。マスターは「ちょっとしたものを渡した」と言っていたが……。
「あ、そうだキキさん」
「ん? なに?」
「今度の休み……ちょっと付き合ってほしいことがあるんですけど……」
「いいわ。明日からのシフトが終わったらで良いなら……なに?」
「えーと……」
ハクは少し考えてから言った。
「墓参り……かな?」
03.
シフト三日目が終わり、普段ならば館に帰るキキさんだが、この日は砦跡に待機していた。
ハクは、ちょっと用があると言って、工房に入っていった。
キキさんは、墓参りとのことであらかじめ持ち込んでいた黒いスーツを着込み、供えるための酒瓶を入れたバスケットを手にしていた。
クークラにも黒いドレスを着せた。
これは以前、キキさんが趣味で仕立てたものだ。クークラの少女人形の身体に合わせて作った服はまだ何着もある。
すっかり墓参りの格好をした二人が、三角屋根の工房の前で待っていると、ハクがいつもと変わらない服装で出てきた。手には、氷結晶受領の時にしか使わない、金属製の箱を持っている。
ハクは、二人が着替えているのを不思議そうに眺めていた。氷の種族には、喪服という観念が無いようだった。
キキさんが生真面目な感じでハクに聞いた。
「わたし、氷の種族の先祖供養の作法を知らないのだけど、どうするの?」
既に仕事の時間外。キキさんは家政婦としてではなく、友人としてハクに付き合っている。口調もプライベートのそれだった。
「私もよくわかっていません。ポスカゴリ台地に居た頃の記憶もほとんど無いから……」
「そもそも……墓参りって何?」
クークラの言葉に、ハクは寂しそうに笑いながら言った。
「こんな感じですし。それに、正確に言えば母や仲間たちの墓もここにはありません」
「そうね……」
「でも、この砦跡は、ある意味で墓標と言えると思います」
すでに日没近く。
紫に変わりゆく夕日が、廃墟となっている砦跡全体を昏く映し出している。
それは、かつての激戦の跡でもあった。
「何年か前に母の魂がとどまっていると二人に聞いて、ずっと考えていたんです。母に感謝を表したいって。墓参りの作法はわからないけど、それを知っていても、ここではあまり意味を成さないんじゃないかって」
確かに、普通の環境ではない。
「だから私なりに、母や、その仲間たちに思いを馳せることを以って、砦跡での墓参りにしたいと思います」
ハクは、そう言いながら、手に持っていた箱の蓋を開けた。
凄まじい冷気が溢れ出す。
ハクを中心に、下生えの草に白い霜が降り、登り始めた月の光を浴びてキラキラと輝いた。
ハクは、氷の種族としての能力でその冷気をコントロールして、箱のなかに押し留めた。
そして、箱の中身の氷結晶を取り出すと、調度よい大きさの岩の上に置いた。
月光に照らされたその氷結晶は、キキさんがかつて見た物の中でも、最も繊細で、最も美しかった。
「あれ以来、工房に篭もる頻度を上げて、余計に手間を掛けて創った特別製の氷結晶です。自分の作品としても、最高傑作と言っていいものに仕上がりました」
ハクは少し誇らしげに言った。
「これを創れるほどになったということを、母に報告したいんです」
「それがお墓参り?」
「ここでは、それがお墓参りです」
「うん……」
ミティシェーリの魂が、ハクの周りに集まってくる。キキさんとクークラはそれを感じ取っていた。
「なるほどね、確かにこれは……」
お墓参りだわ、とキキさんは思った。
04.
ハクはミティシェーリの魂を感じ取ることは出来ないはずだ。
そう考えていたクークラの目の前で、しかしハクはまるでその魂が集まってくるのが分かっているかのように、宙に向かって話しだした。
お母さん。
今まで心配をかけてごめんなさい。
でも。
もう大丈夫です。
今の私は、一人ではなく、自分の子であるクークラと、助けてくれる友人に恵まれました。
ここには居ないけど、お母さんをずっと守ってくれたゲーエルーさんも元気すぎるほど元気です。
お母さんに教えてもらった氷結晶創りも。
私なりに技術を高めて、ここまで昇華することが出来ました。
まだまだ至らないところも多いけど。
でも昔みたいに。
泣いているだけ、我慢しているだけの。
そんな私ではなくなりました。
見守っていてくれてありがとう。
それを知った時、本当に嬉しかった。
ありがとう。
それを伝えたかった。
お母さん。
ありがとう。
本当に。ありがとう。
宙に向かって話すハクの姿に、クークラはなぜか嬉しさが込み上げた。
その想いを共有したくなり、振り返ってキキさんを見た。
キキさんは、ハンカチで眼を抑えていた。
クークラはびっくりした。
見てはいけないような気がし、慌ててハクに目線を戻す。
キキさんが「ハクは強くなった……」と独りごちる声が聞こえた。
ハクがひとしきり感謝の言葉を述べ終わり、二人の方に振り向いた。
月の明かりに照らされて微笑むハクは美しく、彼女の子であることを、クークラは誇らしく思った。
恐る恐るキキさんの方を見てみると、その顔には涙の跡など微塵も残っておらず、むしろ普段よりもキリっとした表情をしていた。
クークラは、なぜだか少しホッとした。
キキさんは、それでこそキキさんだ。
ハクは箱に氷結晶を戻した。
蓋を閉めると、クークラがハクに話しかけた。
「この氷結晶も提出しちゃうの?」
「これを創っていたことは奉神礼の際に報告済みです。氷結晶は完全に管理されている以上、当然、これも提出します。まぁ墓参りのために創っていたとは思ってもいないでしょうけど」
「せっかくの記念の品なのに……」
国教会もスヴェシも嫌いなクークラは、不満を隠さなかった。
「墓参りは、モノが重要なんじゃなくて、自分が故人に何を伝えたかったのかが重要なのよ、多分。だから、これ自体にそんなに拘る必要はないの」
「それでも……墓参りのために心を込めて創ったものなのでしょう? 作品としても、以前のものにも増して美しいのに……」
キキさんがクークラの肩に手をおいて言った。
「キキさん。これからも氷結晶は創れますし、多分、これ以上のものも、そのうちモノにする事が出来ると思います」
ハクは自信を持って、そう答えた。
「だから、惜しくはないんです」
……
…………
翌日。
キキさんが自分の館に帰った後。
リビングでハクと二人きりになったクークラは言った。
「墓参りの時……」
「うん?」
「ボク、いつもよりもはっきりとミティシェーリの魂を認識できたんだ」
「お母さん、喜んでくれてたのかな?」
「多分。……それで……」
クークラは少しだけ言いよどんだ。
「……同じような機会があれば、ボクはミティシェーリの魂を選別して、モノに宿らせることが出来る……と、思う」
「それって……」
「生前のハクのお母さんが復活するってわけじゃないけど。でも……多分これはキキさんにも出来ない」
ハクは、ギュッとクークラを抱きしめた。クークラも、甘えるようにハクの胸元に頬を寄せる。
「ハクはどうしたい?」
「お母さんには会いたい。けど……」
ハクはクークラの額に自分の額を当てて言った。
「けど……それはしてはいけないことだと思う」
「なんで?」
「生と死には、きっと犯してはいけない境界があるの」
「それって……寂しくない?」
「寂しいよ。でも……親しい人との別れに囚われてしまっては、生き物は前に進めない」
ハクはクークラの眼を見る。
「私は……そう、まだまだ先の話だけど、私は貴方より先に死にます」
「……そんな……」
「いい、クークラ。その時、貴方は、その悲しみを克服することで前に進みなさい。そうした後、たまに思い出してくれれば、私はそれで十分に満足すると思う」
ハクの言葉を聞き、クークラが黙ってしがみついて来た。
「皆が皆、同じ考えではないと思うけど。でもクークラ。私はそう考えているの」
ハクは、クークラの身体を、しっかりと抱きとめた。
その日以来。
砦跡を取り巻く大気に満ちる魂の中から、異質な感触を保っていたミティシェーリの魂が、ゆっくり、ゆっくりと周りに同化し始め、その存在は次第に希薄になっていった。
次回更新は2019/07/19を予定しています。




