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第四話 第一章 「愛情に包まれて」

すっかり砦跡の一員となったキキさん。

友人として、ハクと宅飲みする事も当たり前の光景になってきました。


そんなある日、砦跡を取り巻く「大気に満ちる魂」の中に、異質なものがある、とクークラと話します。


異質な魂。


その正体はハクの母「ミティシェーリ」ではないかと、二人は推論しますが……。

◇ 第一章:愛情に包まれて ◇




01.


 あの日以来。


 キキさんは、たまにハクの部屋を訪れるようになった……お酒を持参して。

 キキさんが館で一人過ごすのが何となく寂しい日とか、あるいはハクに元気が無い時とか。

 そんな夜に、キキさんは来る。

 やがて、それも当たり前になって。


 今夜も、キキさんがプライベートで訪ねてきていた。


 晩春。

 スヴェシの査察が終わってまだ間もない。

 今夜の酒盛りの名目は、査察終了お疲れ様会である。


「乾杯」「かんぱーい」

 二人はグラスをうちあわせた。高い音と共に、ハクお気に入りの強いライ麦の蒸留酒が揺れる。

 ロックを一口飲んでから、キキさんは「今年のスヴェシはどんな感じだったのか」とハクに聞いた。

 キキさんも顔をあわせてはいるが、ハクほど長い時間をスヴェシと過ごすことはない。

「毎年、あまり変わりません。もう、何年前でしたっけ。スヴェシさんが左手を凍傷で失ったのって……。あの年はさすがに元気がない感じだったんですけど」

「あのおじさんも、いい根性してるわね、本当……」

 オジサン呼ばわりしているが、実際に生きた年月はキキさんの方が遥かに長い。

 ただ、だいたい全ての生き物は、見た目と精神年齢が一致する。

 その意味で、キキさんにとってもやはりスヴェシはオジサンなのであった。


 ハクは以前に比べ、スヴェシの来る季節が近づいても不安がらなくなり、奉神礼でのミティシェーリやハク自身への悪口雑言も、聞き流せている。


 ハクは、国教会の精神的な戒めから、着実に抜け出しつつあった。


 国教会が禁じている飲酒を躊躇いなくしているのも、その証拠だろう。

 ……いや、これはただ酒好きなだけかもしれないが。


 自信が付いたのだ、とキキさんは思っている。


 創りだす氷結晶は、国教会からも求められるレベルに達した。

 一人前以上の仕事をしているという実感。

 クークラという子供を持ち、それに対する責任感を自覚したこともまた、彼女を強くしたのだろう。


 そして。

 こうして、友人と一緒に飲み交わす時間があるということ。

 それも少なからぬ影響をハクに与えている。

 キキさんは決してそれを計算しているわけではない。

 しかし。

 自分は一人ではない。味方が……それも心強い味方がいるという事は、ハクの精神によい働きかけをしたのである。


「スヴェシって、ずっと主教として来ているけど、幾つくらいになったのかしら?」

「六十歳前後ですよね。その……人間の年齢ってあまり実感がわかないんですけど」

「そうね。でももう引退とか、あるいはもっと偉くなって、国教会でも別の職に就いていてもおかしくないような気がするんだけど……。主教って、終身制じゃないと思うし」

「前の担当主教の方たちは、だいたい次の世代の人に譲って辞められていましたね。あの役職は世襲ではなく、その都度、手続きを踏んで選定されるんだそうです。でももっとお年を召した方も居られましたよ。逆に、スヴェシさんほど若い主教は居ませんでした」

 キキさんは、初めてスヴェシと会った時のことを思い出す。

 あの年。彼は、自分を査定するために、あえて予定を早めて訪問してきた。

 以来、もう二十回近く顔をあわせている。

 キキさんは実のところスヴェシの事が嫌いではない。むしろ、その職務への忠実さや、左手を失ってなお氷結晶を手で持ち帰る精神力を高く評価している。ただ、立場上ハクにとっては敵であるというだけだ。


 出会い方が違えば、もしかしたらお互いに尊敬しあう関係を築けたかもしれなかったが。

 そうはならなかった。


 ……それは少し残念かもしれない。

 と、キキさんは思った。


「最初に会った時には、スヴェシもまだ若々しかったわ。そういえばあの時、貴女、旅に出たいと言っていたわね」

「そうでしたっけ? あの頃は今よりもっとストレスを感じていたから。逃げたいとは思っていましたけど」

「わたしとしては賛成だけどね。クークラを連れて世界を見て回るのも」

「それが出来れば苦労はありませんよ」

 ハクが苦笑した。

「スヴェシも優秀だし若かったんだから、もっと上の地位に付いてさっさと居なくなるかと思っていたんだけど」

「……スヴェシさんは、その……」

「……? 何?」

「氷結晶が、好きなんじゃないかな? と、思うんですけど……」

「……」

「……ね?」

「……いや、それはないでしょ。確かに貴女の作る氷結晶は美しいわ。だけど、そのために、わざわざ出世の道を捨てて現職に留まるなんて……あのスヴェシが?」

「……ないですかね?」

 キキさんが肩をすくめると、ハクはそれ以上は言わなかった。

 この実感は、多分、自分でなければ持てないだろうと思ったからだ。


 年に一回会うだけとはいえ、スヴェシとの付き合いは長く、深い。

 鉄のような精神力に隠された彼の表情も、それなりに読めるようになってきた。


 氷結晶を受領する時、必ず垣間見せる表情がある。

 感情を制御できず、どうしても溢れさせてこぼしてしまうかのような、あの表情。


 あれは。


 喜び……いや、悦楽と言っていいものにしか見えないのだ。


「キキさん、最近、お酒をあんまり飲まなくなりましたよね」

 ハクは話を変えた。

「……貴女に合わせるのをやめただけよ。わたしはね、これくらいのペースが丁度いいの」

 キキさんは、最初の一杯だけをロックで飲み、あとはグラスの縁に塩を付け、グレープフルーツジュースで割って飲んでいた。




02.


「キキさん……応接室の掃除……終わりました……」

 中央会議室の清掃をしていたキキさんのもとに、クークラが報告に来た。

 今日に限って肩に小さな人形を乗せており、言葉に抑揚がなく、テンションが低い。

「お疲れ様です。今日はもう上がってもいいですよ。……本当に終わったのであれば」

「はい……お疲れ様です……」

「ところでクークラさん、その肩の人形は? 動いているようですが」

「……術の……練習です……」

「なるほど。……少しお聞きしますが……そうですね、ハク様はいまどこに居られます?」

「……ハ……ハク……ピ……d……」

 少女人形は質問に答えられず不自然に固まった。キキさんは目を細めて、少し呆れたように肩をすくめた。

「本当に腕をお上げになられましたね」


 キキさんの目線は、少女人形の肩に乗った小さな人形に向けられていた。


 次の瞬間、少女人形は力を失い、その場にへたり込む。

 しかし膝をつく直前に眼に輝きが生まれ、体勢を持ち直した。

 小さな人形が肩から落ちたが、それも床にぶつかる前に手で受け止めると、少女人形に宿り直したクークラが言った。


「やっぱりバレたか……。アニメートでこの身体を動かしていたって……どの時点で気づいたの……気付きました?」

「最初から。喋り方が不自然すぎます。クークラさん本人が小さな人形に乗り移っていたのも推測できました」

「ハクの居場所を聞いたのは……」

「命令されたこと以外の行動や受け答えが出来るのかどうか、試しただけです」

「なるほど。喋り方は自分でも気になってたんだけど……やっぱりまだまだ問題が多いなぁ……」

 キキさんは内心で……私はアニメートを施した物品を喋らせることなんて出来ませんけどね……と、呟いた。


「クークラさん。イタズラもよろしいですが、掃除は本当に終わったのですか?」

「あ、はい。それは本当に。この……」

 言って、クークラは自分が宿っている人形の身体を見た。

「この身体にアニメートをかけてやってみました。眼があるから、円形モップと違って拭き残しなく出来るので、思ったより早く終わったんです」


 こうして考えると、生き物の身体ってよくできてますよね、とクークラは言う。

 何かに特化しているわけではないけど、眼と手と脚と耳と。他の感覚器官も含めて。組み合わせれば本当に何でもできる。


 そんな汎用性の高い運用なんて、わたくしには出来ませんわ。

 キキさんは心の中で舌を巻く。

 こんな複雑で繊細な構造の人形を、そのレベルで自律させるのなんて、とても無理だ。

 いつか、クークラに「免許皆伝です」と言ってあげたいと思っていたのだが、その機会を見極める前に、いつの間にかクークラは自分よりもずっと先に行ってしまっていた。


 そのくせ、まだキキさんの方が優れた術者だと思っているフシがあるから、余計に言い出せなくなっている。


「あ、そうだ。ちょっといいですか?」

「なんでしょう。ここの掃除もほぼ終わりましたので、難しいことでなければ今でも大丈夫ですが」

「実は前から相談したかった事で……。この間スヴェシが来た時に思い出したんだけど、砦跡を取り巻く大気に満ちる魂の中に、異質なのが混じっていますよね」

「ええ。初めてここに来た時……思えばそれから、もう随分と経ちましたが……わたくしも、その時から感じております」

「あれって、何だと思います?」

「そう聞かれるということは、クークラさんは何らかの予想をお持ちですね?」

「はい」

「わたくしも、確認はできませんが、あの方だろうという考えはあります」


 多分あれは……と、二人の言葉が重なる。


「魔王ミティシェーリ」「ハクのお母さん」




03.


「お母さんの……魂?」

「うん! ボクも、キキさんも、多分そうだと思うんだ」


 ……

 …………


 砦跡に残る異質な魂は、おそらくはミティシェーリだろうと言うことで意見が一致すると、クークラはキキさんが驚くほどの熱心さで、それをハクに伝えたがった。


 クークラは、ハクは母親に会いたいはずだと力説した。


「ハクは、ボクと違って親にかまって貰えないまま、死に別れてしまった。ボクだって……その、ハクが工房に篭ってる時は、少し寂しい。ハクは、その何倍も寂しかったはずだと思うんだ……思うんです」

 キキさんは、ハクにそれを伝えることには反対しなかった。

 ただし、ハクは大気に満ちる魂を感じ取る能力がない。

 伝えたとしても、それは無駄になるかもしれない。

「わたくしやクークラさんのように、それを感じ取れるほうが珍しいのです。わたくしも、素質があった上で努力して身につけました。生まれつきその感覚を持っていたクークラさんには理解し難いかもしれませんが……」

「……解らなくはありません。ハクのお母さんの魂は、ハクが工房から出てくるたびに、いつも取り巻いていた。でもハクは全く気づかなかったから」


 それでも、その存在が砦跡を……ハクのまわりを取り巻いていると思えば、ハクは喜ぶと思う。

 クークラの意見には、キキさんも同意した。


 ……

 …………


「私が感じ取ることが出来ないだけで、お母さんはずっと私を、見守っていたのかもしれない……と」

「実際的な事を言うならば、恐らくそのような明確な意識はないでしょう。ミティシェーリ個人としての自我や記憶が残っているとはとても思えません」

「うん、確かに、ボクが感じ取るハクのお母さんの残滓は、もっと単純な、感情とか反応とか、そういうもので動いているようにも見える……」

「しかし、その独自の感情が残っているだけでも凄いことです。相当に精神力の強い女性だったのでしょう」


「キキさんに教えてほしいのですが、母のその状態は、あまり自然なことではないのでしょうか?」

「身体から離れた魂のほとんどは、大気に満ちる魂に混ざりこんでいきます。混ざり難いのは、強烈な恨みのような強い感情を持ったモノだけ。それは極少数ですから、自然なこととは言えませんね」


 思っていたよりも淡々としているハクを見て、クークラは首を傾げた。

 もっと「お母さんの魂が残っているのであればぜひ会いたい」という態度を取るかと思っていたのだ。


「……他と混ざりにくいというその魂は、辛くはないのでしょうか?」

「魂が何かを感じているのか、わたくしには分かりません。まして幸福とか不幸とか、そのような高度な感情を持っているのかなどは、なんとも。ただ、混ざらない魂には、負の感情に染まったまま身体を離れたモノが多く含まれていると考えられます。これは、負の感情は単純で、その分強いからだと言われています」

「母の魂は違う?」

「スヴェシへは敵意みたいな感情を持つけど、ハクの周りにいる時には、むしろ逆の感じになるよ」

 キキさん以上に鋭敏な感受性を持っているクークラが答えた。

「だから、単純に負の感情だけで動いているわけじゃないのは確かだね」

「……いずれにせよ、幸福なのか不幸なのかは、肉体を持って生きている身では判断がつきません。もしかしたら、多くの魂が、大気に満ちる魂に練りこまれていく事に恐怖しているのかもしれませんし」

 キキさんの言葉に頷きながら、ハクは少し考えてから言った。

「最後に聞かせてください。お母さんがそのような状態になったのは……その、やはり私が心配だったからでしょうか?」

「……その可能性は、少なからずあります。子を思う母が皆、混ざらない魂のような存在になるわけではありませんが、しかしその気持ちは、とても強いものでしょう」

「ハクの周りにやってくるし、関係ないはずがないと、ボクも思う」




04.


「大体のところは理解できました」

 ハクは静かに言った。

「ちょっと意外だったな。ハクは、もっとお母さんに会いたいって、単純にそう考えるかと思っていた」

「そうねクークラ。会いたいという気持ちは、もちろんあるけど……。そう、ちょっと前だったら、今みたいに落ち着いて聞くことが出来なかったかもしれない」

「……もう、お母さんに対する想いが薄れちゃった?」

「いいえ。自分でも上手く言えないけど、忘れたわけでも、もちろん嫌いになったわけでもない」

「ハク様は、おそらく精神的にお母様に頼らなくなったのでしょう」

「それって? どういうこと?」

「しっかりとした自信をお持ちになり、心に余裕が出来たのです。言い方を変えれば……ハク様は、大人になられたのです」

「大人? ボクからすれば、ハクはずっと大人だけど……」

「クークラさんから見ればそうでしょう。なんと言いますか……親という、自分を守ってくれている存在に依存せずとも、一人で立ち、一人で行動できる、そういう存在になられたのです。ハク様は子供の頃、ミティシェーリ様を始めとした大人たちに、縋ることが出来ない状況にありました。だから、氷の種族として身体は成人されても、精神的には守ってくれる親に依存したいという欲求を捨てきれなかったのではないでしょうか」

 ハクは、何やらこそばゆい気分になってきていた。

「そ……それはそうなのかもしれませんが……その……キキさん?」

「そういった精神的な親の庇護を求める心から、ハク様は自ら離れられたのでしょう。親元から離れるということは、親を忘れ、嫌いになるということではございません。もちろん、過程においてはその庇護をウザったく思うこともあるのかもしれませんが……」

 キキさんは一つ咳払いをして、言葉を続けた。

「人は、親の庇護を離れて初めて一人で生きていく強さと、そして精神の自由を手に入れるもの。ミティシェーリ様の魂も、それを知ったら喜ぶのではないでしょうか。クークラさんの目から見ても、ハク様は変わられたでしょう?」

「どうだろう……わからないけど……でも確かに、前に比べて落ち着いた感じは、するかも」

「あの……キキさん……恥ずかしいんですけど……」

 ハクがうつむきながら、キキさんの袖を引っ張った。

「あら、わたくしは褒めていたつもりなのですが……」

「それはそうなんでしょうが……それよりも、もう一つ、母の魂のことで教えてもらいたいのですが」

「私に分かることであれば」

「いま、母の魂が喜ぶと言うのを聞いて思ったのですが、感情が残っているということは、それこそ喜ばせることも可能なんでしょうか?」

「おそらくは可能でしょう。ただ、その方法となると……」

「分かりました。ちょっと思い付いたことがあります。申し訳ありませんが、暫くの間、工房に篭もる頻度が高くなるかと思います。仕事の差配など、その分お任せすることが多くなるかもしれません」

「承りました。何をされるおつもりかは分かりませんが、参謀本部内の事はお任せください」

「クークラも、寂しい思いをさせるかもしれないけど」

「大丈夫だよ。うん。例え寂しくても、ボクは大丈夫」

 キキさんは、クークラのはっきりとした答えに、ハクとの強い絆を感じた。

 信頼がなければ、クークラはもっと駄々をこねただろう。


「ねぇ、ハク」

「なに?」

「もしもハクが死んだら、ボクの周りに残って、見守ってくれる?」

「……それは……」

「……うーん、ハクは意思が弱そうだから、無理かなぁ……」

 思わず、キキさんは吹き出した。

「あっ……酷い……」

 ハクは心底キズついたような表情をした。

次回更新は2019/07/12になります。

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