第三話 第三章(前編) 「仲直りはその日のうちに(前)」
ちょっとしたすれ違いから、ハクと喧嘩をしてしまったキキさん。後悔するも後の祭り。しかし、大人には大人の仲直りの仕方があるのです……。
01.
キキさんは、いつもの退勤時と同じように、手書きの地図を見ながら迷いの森を歩いた。
実際には遠く離れている迷いの森と最果ての森が、地図では重なるように描かれており、それに従って歩いていると、いつの間にか最果ての森の中に入り込んでいる。
少し行くとすぐに館の門が見えてきた。
地図の魔術。
道を間違えると変な場所に迷い込む危険もある術だが、キキさんは日々の通勤に利用していた。
森の中ということもあり、辺りはすでに薄暗い。
蔦が絡む石造りの門をくぐると、キキさんは母屋には行かず、裏庭に独立して作られている地下室へと直行した。
地上部分は小さな納屋のようだが、地下へと続く階段を降りると、幾つかの部屋に分けられた広いスペースになっている。そこは年間を通して低温多湿な環境で、食料庫として使われていた。
キキさんは、一番奥の部屋へと向かう。
そのドアには「来たるべき日に」と彫られた真鍮製のプレートがかけられていた。
そこは酒蔵だった。
キキさんが普段飲みするためのものも置かれているが、基本的には「来たるべき日」、すなわちリーダーが帰った日に空けるべき酒が並べられている。
キキさんが、その日を楽しみにしながら少しづつ集めたものだった。
キキさんは少し躊躇いながら一本のボトルを取り出し、ラベルを確認した。
「酒には、飲むべき時がある。飲むべき時に飲まれなかった酒は不幸だ」
BAR「ブレイブハート」の、熊のような体躯をした酒好きのマスターがしばしば言っていた言葉が甦る。
キキさんが手にとった酒。それは、バイトの募集が無いか聞きに行った時に購入した幻の蒸留酒『望楼』だった。
ミティシェーリが好んだと伝えられる酒である。
この酒の蔵元はすでに断絶しており、再び手に入れるのは難しい。
リーダーも飲みたがっていたが、異世界へ旅立つ前にはついに手に入れられなかった銘柄でもある。
「飲むべき時に……か……」
キキさんは呟いた。
「飲むべき時が来た……のでしょう。………ごめんなさい、リーダー」
キキさんは、さらに普段呑みにしているものの中から三本を選び、持っていった。
二人で全部飲めば確実に二日酔いになるくらいの量だ。こんなには要らないだろうが、余ったら置いてくればいい。
キキさんはボトルを二本一組にして、包み布で丁寧にくるんだ。
酒の準備をした後。
館に戻ったキキさんは、シャワーを浴びて仕事の汗を流し、白いシャツに紺のノーカラージャケット、薄いグレーのワイドパンツに着替え、軽く紅を差した。伊達メガネを掛け、パンツと同色のベレー帽を頭に乗せて、外行きの支度を整える。
そして、包んだ酒瓶を両手に下げ、館を後にした。
しっかりとした足取りで歩くキキさんの後を、アニメートの術を施されたボストンバッグがえっちらおっちらとついて行く。
旅行カバンのような車輪があればどれだけいいか。そんな事を言いたげな動きだった。
02.
キキさんが砦跡に戻った時には、空はすでに暗くなっていた。
クレーター状に拓けた砦跡の敷地内。空を遮るような樹が無いため、天を丸く見通すことができる。夜空に月はまだ低く、他の星々に先駆けて輝く宵の明星が明々と存在を主張していた。
参謀本部に入ってハクの部屋の前に立つと、キキさんは小さくドアをノックした。
中からは微かに寝息が聴こえるだけだった。
もう一度キキさんはノックし、入るわよ、と言ってドアを開けた。
散らかった部屋だった。
不潔という感じではないが、とにかく物が片付けられておらず、雑然としている。
ハクは、部屋の隅に置かれた三人掛けのソファに座ったまま眠っていたが、キキさんの気配を感じ、ハッと目を覚ました。
「……? え? あれ?」
「申し訳ないけど、勝手に入らせてもらいました。呼んでも返事がなかったから……」
「え……ええと……ハイ……あれ? 鍵……かけてなかったっけ……?」
寝ぼけて混乱しているハクの顔を見て、キキさんは眉を寄せた。
「ひどい顔してる……」
「ふぁ!?」
キキさんは、やっと追いついてきたボストンバッグを抱え上げると、そこから湿ったタオルを取り出した。
「ちょっと我慢して」
「ひゃ……ひゃい……」
キキさんはハクに近づき、その顔を優しく拭った。
実際、泣きはらした眼と、居眠りをしていた時のよだれで、酷い顔になっていたのである。
ハクは少しの間、恥ずかしさで身を固めていたが、とにかく拭かれるに任せた。
拭き終わったあと、キキさんはベッドサイドにある机の椅子を引いて、座っていいかとハクに尋ねた。ハクが頷くとキキさんは座って、一つ息を吐いた。
そして。
「ごめんなさい」
と、言って頭を下げた。
「クビにはならないと思いながら、辞めさせられることも覚悟で苦言をしているなんて言いました。卑怯なやり方だったと思います。何より、自分のイライラをぶつけて貴女を傷つけてしまった。本当にごめんなさい」
言って再び頭を下げるキキさんを見て、ハクはむしろドギマギしてしまい、焦った口調で答えた。
「い……いえ、キキさんの言っていたことは筋が通っていたし、自分ももう少しちゃんと周りを見なきゃと……や……それより、キキさん……雰囲気が……いつもと違うような?」
混乱しているハクを見て、キキさんは軽く肩をすくめた。
「……今、何時かわかる?」
「え……寝てたからちょっと……夜にはなっていると思うんだけど……」
キキさんの口調に釣られて、ハクの言葉遣いも気取ったものではなくなってしまっている。
「わたしの仕事は今日の夕方で終わり。今は完全に仕事外の時間なの」
「はい……?」
「わたしは今……ええと、貴女の年上の友人として、ここに来ているつもり。つまり完全に仕事を離れて個人的な立場で喋っているの。それなのに、仕事の時の言葉遣いではおかしいでしょう?」
「……えっと……今のキキさんが素のキキさん……ってことですか?」
「そうなるわね」
キキさんは頬に指を当て、少し考えながら言葉を続けた。
「それなりの期間を働かせてもらって、わたしなりに受け入れられたとは思っているけど、だからこそ溜まってくるものも出て来たのかな、と思って」
キキさんは言いながら、ベッドに置いていた包みを持ち上げた。
「そっちに座ってもいいかしら?」
ハクが頷くと、キキさんは包みを解いて中から酒瓶を取り出し、それを持ってハクの隣に座った。
「今日はこれの力を借りて、お互い腹に溜まったものを吐き出しましょう」
03.
酒と氷の入ったグラスを傾けながら、ハクは改めてキキさんの姿を見た。
綺麗だと思った。
整った顔立ちをし、スレンダーでスラリとした体型のキキさんだが、普段は化粧気がなく、着ているものも仕事用の野暮ったいメイド服だ。
しかしオフタイムに格好のいい服を着こなし、ナチュラルなメイクを施しているキキさんは、綺麗な大人の女性だと思った。
自分はというと、氷の種族では一般的だった胸の下あたりまでのタンクトップと、タイトなズボンくらいしか持ち合わせがない。
「どうしたの? 人の顔をジロジロ見て」
「……あ、いえ……なんでもないです……」
思わず目をそらし、グラスに注がれた「望楼」に口をつける。
そんなハクの姿を見て、唐突にキキさんは言った。
「……ほんと、可愛いわね貴女は」
「え?」
「貴女は、他人の眼にさらされることが殆ど無かったから自分の見た目への意識が薄いのでしょうけど。可愛いわ。羨ましいくらいよ」
「……」
ハクは真っ赤になった。思えば、容姿を褒められたことは今までなかったような気がする。母のもとに居た頃に、子供として可愛いと言われた程度か。
「問題があるとしたら……この腰回りくらいかしら」
言いながらキキさんは、露出しているハクの脇腹を指で摘んだ。
「ちょっとだらしないんじゃない?」
「そ……そんなことは……!」
恥ずかしがるハクに、キキさんは笑顔を見せ、話題を変えた。
「それにしても、お酒を飲んだことがないとは思わなかったわね」
「飲んだことがないわけではないんです。子供の頃、その……母の周りの人たちが、面白がって飲ませてくれたことが」
「それは飲酒経験じゃないわね」
キキさんは苦笑した。国教会はハクの飲酒を禁止していたのである。そもそも国教会はハク相手に限らず、禁欲を強いる傾向が強い。
信仰の対象である勇者は、むしろ酒好きだったという伝承もあるのだが、それはあまり表沙汰にしていない。
「美味しい?」
「美味しいです」
言いながら、笑顔でもう一口。
そんなハクの姿を見て、キキさんは少し首を傾げた。「望楼」は、かなり度数の強い蒸留酒なのだが……。
「ロックだけじゃなくて、他にも飲み方はあるわ」
キキさんは、傍らに侍っていたボストンバッグのファスナーを、白く長い指先でつまんで開けると、中からジンジャーエールの小瓶とライムを取り出した。
「また、氷を作ってもらえるかしら」
「はい!」
ハクは人差し指を唇に当て、フッと小さく息を吐く。
指先は冷気をまとい、透明なロックアイスが生成されていく。
ハクはそれを、カラカラと音を立ててグラスに落とした。
「ジュースを混ぜちゃうんですか?」
ハクは、少し残念そうな顔をした。
「……まぁロックで飲むのもいいんじゃないかな? ……わたしは割らせてもらうけど」
キキさんは、「望楼」を湛えている自分のグラスに、ジンジャーエールを注いでライムを絞った。
カクテルには、花言葉ならぬ「カクテル言葉」というものがある。
キキさんが作った「モスコミュール」も例外ではない。
モスコミュールのカクテル言葉。
それは。
「仲直りはその日のうちに」
引き続き、後編をお楽しみください。




