第三話 第ニ章 「喜びと苛立ち」
キキさんから教わった事をヒントに、ついに魔術「アニメート」に成功するクークラ。
キキさんも喜びますが、それを伝えたいと願ったハクは、ずっと氷結晶創りのために工房にこもったまま。
せっかくの喜びに水を差された気分になって、キキさんも静かに苛立ってしまいます。
やっと出てきたハクに、少し感情的になってしまったキキさんが「苦言」を言うのですが……。
01.
クークラは、小さな古びた人形を片手に、小走りで廊下を渡っていた。
それはハクが作ってくれた人形だった。
自分が初めて宿った身体。クークラの記憶は、そこから始まっている。
この人形に宿っていた頃は、あまり難しいことを考えられなかった。喋る事も出来なかった。好奇心のまま、目の前にあるものに反応して動いていただけだったような気がする。
それでもハクは、そんな自分を愛してくれたし、よく注意して見ていてくれたのは覚えている。
魔術部屋へと戻ったクークラは、施術結界の内側に入っていった。
そこは部屋の半分くらいを占める比較的大きなスペースで、注連縄で囲まれ聖別され、四隅にキキさんが作った符が貼られている。大気に満ちる魂がこの符に引き寄せられるのだが、縄の内側からは出て行きにくくなるため、一時的に大いなる魂の密度が濃くなる効果がある。
結界の中央に置かれた木製の祭壇に人形を置き、クークラはそれと向かい合った。
目をつむり、人形と、大気に満ちる魂に感覚を集中させる。
光を介して見ているいつもの世界とは別の、空気と、その中に遍く満ちているエネルギーを感覚で捉える。
それは、光の世界とは常に重なりあいながら、眼には見えていなかった世界。
同じ空間に同時に存在しながら、互いに干渉しない、光の世界と魂の世界。
闇に身を置いて初めて感じることが出来る、別の世界。
ただ何らかの波長が合った地点でのみ、二つの世界はそれぞれに影響を及ぼす。
光の世界の物質が、魂の世界の波動を惹きつける。魂の世界の波動が、光の世界の物質に宿る。
二つの波長が合った場所で、身体と魂を持った命が生まれる。
アニメートは、光の世界に身を置きながら魂の世界を感じ取り、それを感覚的に操作し、意志の力で二つの世界の波長を合わせる術である。
クークラは、魂の世界を感じ取ることは出来る。
操作するという意味もだんだんわかってきた。
しかし、異なる世界の波長を合わせるという感覚は、まだ掴めていなかった。
大気に満ちる魂に集中すると同時に、光の世界にある人形にも意識を凝らす。
ふと、かつてこの人形に自分が乗り移っていた時の事が頭に浮かんだ。
どんな感覚で人形の内部に入り、染み渡っていけばいいのか、クークラは無意識的に理解できる。
ボクならば、この身体に乗り移るときには……。
改めて、そのやり方を意識しながら。
それを教え伝えるように。
クークラは大気に満ちる魂を意識し、導いていった。
自分が乗り移るときの感覚をしっかりと自覚しながら、その真似をさせるように、大気に満ちる魂を人形の隅々にまで渡し通す。
クークラはその作業に没頭した。
集中する。
自分という境界と、物質と、たましいの世かいとのへだたりがわからなくなっていく。
まるで、せかいには、じぶんと、にんぎょうと、おおきなたましいしかないような。
それも。
やがて。
ひとつに。
なって。
……
…………
ふと我に返ると、目の前で人形が動いていた。
光の世界の中で。
人形は子猫を思わせるような、自由で気まぐれな動きをしていた。
02.
時は既に深夜。
「キキさん、起きてキキさん!」
熟睡していたキキさんは、自分がゆすり起こされていることが、最初はわからなかった。
キキさんは、時間にそって規則正しく寝起きする質であり、普段寝ているような時間に起こされても覚醒するまでしばらくかかる。
ボルゾイ犬の尻尾があるために仰向けに寝る事が出来ないので、抱き枕を抱えて横向きで眠るのが、キキさんの就寝時のスタイルである。
タンクトップにショートパンツという寝間着姿で、キキさんは寝ぼけて、自分を揺さぶっている存在に対し、尻尾を振り当てて排除しようとした。
「……るさせんぱい……こんな時間い……なんれですか……もう……」
こういう時間に自分を起こすのは、決まってルサだった。
ルサは普段は宵っ張りで朝に弱いくせに、不規則な睡眠には強く、短時間でも熟睡できる人だった。
「うわっぷ」
尻尾で払った相手が変な声を上げた。
「キキさん! キキさん! お願い、起きて! 見てみて!」
ルサではない。
キキさんはむっくりと身を起こした。
ここ、どこだっけ? 口に手を当てて、大きなあくびをする。
館……以外の場所だ。
「キキさん!」
「……ああ、クークラさん……どうしました?」
「見て! 見て! 人形が!」
キキさんの意識はやっと覚醒を始めた。ここは参謀本部の二階にある、自分に与えられた部屋。今日はシフトの二日目だ。
「いま……何時です?」
「いいから早く!」
クークラは興奮しきっており、キキさんの手を引っ張る。
何がなんだかわからず。
着替えも出来ず。
キキさんはクークラに手を引かれて部屋から出た。そして階段を下り、共に魔術部屋へと入って行った。
「あれを見て!」
クークラが指差す先。施術結界の中央で、一体の小さな人形が動いていた。クークラがそれを両手で掴んで、キキさんの鼻先に突き出す。
キキさんが顔を近づけると、人形は怖がるようにクークラにしがみついた。
「成功! ボク、アニメートに成功したよ!」
「……え……?」
「解ったんだ。自分が乗り移る時の感覚……あんまり意識したことは無かったんだけど、その感覚を自覚して、それを大気に満ちる魂に教えるようにして……そしたら!」
「……」
「……あれ? 驚いてない?」
「……いいえ。驚きのために声が……出ませんでした」
「凄い!?」
「すごい。……まさか……この短期間にアニメートを成功させるなんて……」
「褒めてくれる?」
クークラの腕の中で人形がジタバタしていた。キキさんは少し身をかがめてクークラを抱き寄せ、その耳元で囁いた。
「おめでとうございます。こんな早くに術を成功させるとは思いませんでした。お見事です」
「へへへ……」
「頭を撫でとうございます」
キキさんは、自分が初めてアニメートの術を成功させた時のことを思い出していた。マスターに頭を撫でてもらった。自分も、同じことをしてクークラを祝福したいと思った。
「いいよ! 撫でて、撫でて!」
「……いえ、それはまた今度にいたしましょう」
「え? なんで?」
「まずは、ハク様にお見せなさいませ。アニメートは、一度成功させて感覚を掴めば、おそらく今後も再現できるでしょう。まずはそれをハク様に」
「……そうだね。ハクも喜んでくれるかな」
「当然、お喜びになりますとも」
キキさんはもう一度、強くクークラを抱きしめた。
「さぁ。夜は遅うございます。今日はそのお人形を手に、ゆっくりとお休み下さいませ」
キキさんの言葉に、クークラは深夜であることを思い出した。
「あ……ごめんなさい。こんな時間に」
「いいえ。魔術の成功をハク様よりも先に見せていただきました。わたくしとしても嬉しい事でございます」
「うん。明日には、さすがにハクも工房から出てくると思う。今度は二人が見ているところで、術を成功させてみせるよ」
初めて成功したアニメートの術の効果が薄れ始め、クークラの手の中で人形は、その動きをゆっくりと止めていった。
03.
しかしそれから二日間。
ハクは工房から出てこなかった。
掃除の手伝いをするクークラは寂しげで、キキさんも黙々と仕事をこなしながらも、口数がいつも以上に少なかった。
クークラは、次にアニメートを施すのはハクとキキさんの目の前で、と決めていたようで、ハクが出てこない間は魔術部屋に入らなかった。
キキさんは少しイライラしていた。
クークラがアニメートに成功したことを、ハクは知らない。だからすぐに工房から出てこなくても、ハクに非があるわけではない。
だが、嬉しさが裏返しとなり、せっかくの喜びに水を差された気分になってしまった。苛立つ感情は、二日間のあいだ行き場がなく、心のなかで増大していった。
クークラがアニメートを成功させてから二日目の夕方。
シフトの最終日。
キキさんもそろそろ帰らなければならない時間になって、やっとハクは工房から出てきた。
目の下に隈を作りながら、しかし表情は嬉しそうだった。
クークラとキキさんの間に流れるやや冷淡な空気に気づかず、ハクは二人に話していた。
ここのところずっと思案していた、氷結晶の新しいデザインを思いついた。これはちょっと自信がある。
リビングとして使用している部屋で、キキさんが用意したビーフストロガノフを食べながら、ハクはやや興奮気味に自分のことばかり話していた。
「ハク様」
と、その話を遮ってキキさんは言った。同室していたクークラは、その言葉に鋭いトゲを感じ取った。
「申し上げたいことがございます。少々、よろしいですか?」
「? なんでしょう?」
ハクは、キョトンとしていた。
「まず。貴女はここの所、氷結晶創りにのめり込みすぎているようにお見受けいたします」
「え……はい……」
「それ自体はよろしいです。わたくしも、そのお仕事に集中されるために雇われておりますから。しかし……」
キキさんからただならぬ雰囲気を感じ、ハクの表情から笑顔が消えていく。
「まずは御自身のお身体を心配していただきたい。目の下に、酷い隈ができているのは解っておりますか?」
「……いいえ……え? そんなに……?」
「はい。見ているこちらが心配になるほどに」
それから、と、キキさんは続ける。
「わたくしの仕事に関しての話になりますが、本来、月間計画の作成や、シフト表の管理はハク様の仕事であります。ここの所、わたくしが作成してハク様の事後承諾を受けるのが当たり前になっておりますが、それは本来の仕事の形ではございません」
「で……でも、それはキキさんに決めてもらった方がスムーズに進むし……」
「そういう面もございますが、それでもせめて二人で話し合って決めるべきでございましょう。この砦跡の管理が、ハク様の義務である限りは」
「……でも……」
「この際ですので、はっきりと申し上げさせていただきます」
「……」
「ご自分のお仕事に打ち込みたいという気持ちは分かります。しかし、本来するべき些事すらせずに、やりたい事だけをやるのは、大人の取るべき態度ではございません。子供のやる事です」
「そ……そんな……」
ハクは眼に涙を浮かべた。
「せっかくいい形で氷結晶と向きあえていたのに……」
キキさんはそれを見て、少し言い過ぎたかと判断した。そして今度は嬉しいこととして、クークラのアニメートに関する報告をしようと考えた。
「それとは別に、報告したいことがございます」
「……いいです。聞きたくありません」
ハクは顔をそむけて席を立った。
04.
しまった……と、キキさんは思った。イライラにまかせて言葉が過ぎたか。まさかここまでハクを傷つけてしまっていたとは。
「ハク様」
「聞きたくありません。キキさんなんて……」
ハクが、ボソリと言った。
「……キキさんなんて、本来、部外者じゃないですか……」
小声だったが、羽毛に覆われた長く尖ったキキさんの耳は聞き逃さなかった。
さすがにこれにはカチンときて、ハクの涙を見た時の反省心が吹き飛んだ。
「気に入らなければ、わたくしを辞めさせられればよいでしょう。その覚悟で苦言を申し上げております」
ハクは、キっとキキさんを睨み、しかし怒りを持続させることが出来ず、見る見るうちにその表情が壊れていった。
背を向けて、小走りに部屋を駆け出して行く。
ドアの閉まる音を聞いて、キキさんは怒りに任せて吐いてしまった言葉を後悔した。しかし全ては後の祭りである。
部屋を見回すと、二人の喧嘩を目の当たりにしたクークラが、泣きそうな顔でキキさんを見ていた。
キキさんはクークラに駆け寄り、腰をかがめ、目線の高さを合わせて謝った。
「申し訳ありません。つい、感情的になりました。こんな事になるとは」
「……うん、でも……」
「とにかく、ハク様ともう一度話し合ってきます。ここでお待ち下さい」
言って、キキさんはクークラに頬ずりをしてから立ち上がった。
早足でハクの部屋の前へと行き、一度大きく深呼吸をして、そのドアをノックする。
返事はなかった。中からはハクのすすり泣く声が聞こえていた。
「ハク様」
声をかけた。
「申し訳ありません。わたくしが言い過ぎました」
中から、ボソボソとした返事が聞こえてきた。涙声の上に小さいので、ちゃんとは聞き取れなかった。
「……わかっているくせに……」
「ハク様」
「クビになんかできないって、わがってるくせにぃ……」
もう一度、ノックをしようかと思ったが、やめた。
お互いに一度落ち着かなければ、無理に話し合っても状況は悪化するだろう。
そう判断した時、クークラが追いかけてきた。
キキさんは、ドアの向こうのハクに向けて、クークラを部屋へと送っていきますとだけ声をかけ、その場を去った。
クークラの部屋で、キキさんは再び謝罪した。
「本当に申し訳ありません。頭に血が上ってしまって。わたくしのせいで……」
「……ううん、ハクも、あんなこと言うから……でも……キキさん……」
「はい」
「……辞めないよね……?」
クークラの言葉に、キキさんは寂しげに微笑んだ。
「お二人が心配で、残してなど行けませんわ」
言って、クークラを安心させるため、そして自分が安心するために。
キキさんはクークラを抱きしめた。
「大人には……」
「……うん」
「大人の仲直りの仕方というものもございます」
「……」
「わたくし、一度、館へ帰らせていただきます。……ああ、そんな顔をしないで下さい。すぐに戻ってまいります。安心して下さい。明日の朝には、ハク様とわたくしに、アニメートの術を見せてくださいませ。そして、今度こそわたくしにも、ハク様の次に、その頭を撫でさせて下さいませ」
キキさんは、クークラにそう言い含めて、一度、参謀本部を後にした。
引き続き、閑話休題その6「ワシリーに関して」をお楽しみください。




