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一方、その頃………。
マリナと悠人の二人は、あの部屋から出た後、悠人が一階の玄関から入ってきたという話を聞き、まずは一階に向かいそこを探索することになっていた。
「さて、いつもの調子で軽く了承してしまったのだけど、ここからどうしたら良いかしらねぇ?」
探索を終え一階の大理石の廊下ど真ん中で、マリナが腕を組み顎に指をあてて考え込んでいた。その隣には、何故か汗だくの悠人が壁に手をつきつつ立っている。
その悠人が驚いた顔で言ってきた。
「えぇ!マリナさん、何も考えてなかったんスか!?………あ、もしかして、俺っちがマリナさん抱えてひたすら廊下を走ってたのも、意味がなかったッスか?」
「当たり前じゃない。あれはただの私の暇潰しよ!」
大真面目な顔で堂々と答えるマリナ。
実は、探索中ずっと悠人は、マリナを抱き抱えながら走り回っていた。マリナが良いと許可するまで、全力で廊下を走り続けさせられていたのだった。
何周も。
「酷いッスよ!」
「別に身体能力強化の魔術を多重で掛けたし、酸欠や疲れも回復してあげたじゃない。ちゃんと労ってあげたし、それのどこが酷いのよ」
「確かにそうッスけど、やらせたこと事態がッスねぇ………」
「煩いわね。もう一回、今度は強制的に走らせるわよ」
「やっぱり酷いッス!?鬼、悪魔、年増!」
「………は?」
「何でもないッス!」
美人なマリナに横目で睨まれると、悠人は惚れ惚れするほどの綺麗な敬礼をする。下手をしたら訓練された軍人よりも綺麗かもしれない。
それを見たマリナは、うんうんと満足した表情で頷いて、金糸のようなブロンドヘアを後ろに払い悠人の方に向き言う。
「さて、冗談はこれくらいにしといて。見て回った感じだと、この屋敷は少なくとも一階に関しては円形状みたいね。そして、エントランスドアのようなモノも場所もなく、同じ形、素材のドアがあるだけだったわね」
「そうッスね。来たときは、チェックなんてしなかったスから、気づかなかったッス」
マリナの言葉に、悠人は頷く。
この屋敷の構造は、悠人からの話だと二階が左右に行き止まりになる通路で、先程確認した一階は通路が一つのみ繋がっており、ぐるりと円を描くようにして造られていた。さらに、二階では窓があり光が入ってきていたが、一階は両側に同じようなドアがあり、照らす光源は天井の蛍光灯だけの空間である。
独特な構造をしているのだが、それ以上に一階に下りてきてから感じ続ける、重くじっとりとした嫌な空気が意識を惹き付けられる。
それは、魔の世界の住人が自分の領域であることを示す空間に居る時と同じ感覚。
マリナの隣にいる悠人はどこか緊張した面持ちでいるが、マリナは興味がなさそうに自分の髪を指に絡めたりして弄っている。この程度は歯牙にも欠けない、といった態度だ。
いつもと変わらないマリナに、悠人からほどよく緊張が抜けた。すると、飽きたのか髪から手を離し、マリナが口を開いた。
「よし、他に何かないか片っ端から部屋の中を探っていきましょうか。言っとくけど、拒否権は無いわよ」
「うッス………」
「じゃ、私はこの部屋から見てみるから、ユウトはそっちを見てね」
そう言って悠人の後ろを指すと、マリナはすぐ横にあったドアを勢いよく開け室内へと入っていく。ここから先は何があるか分からないはずなのだが、慢心と言えるほどの余裕を持っている。
そんなマリナに呆れたようなため息を溢しつつ、悠人は指定された部屋の前に立つ。深呼吸をして心を落ち着かせ、手を掛けたドアノブを捻りドアを開いた。
「………」
「………」
ドアの向こうには、蜘蛛がいた。
ただし、一般的に知られる手乗りサイズでなく、人間の等身大サイズの。
少なくとも一メートル以上はあるハエトリグモと呼ばれる蜘蛛の姿をした黒い怪物が、ジッとドアの前に立つ悠人を見つめてくる。
「………ハ、ハロー?ユーアーネーム?」
悠人は引き攣った笑みで、棒読みに近い片言な英語で対話に試みる。だが、蜘蛛の怪物は何の反応もせずに、八つの眼を悠人へ向けている。
ゾワリと背筋に寒気が走る。
それをきっかけに耐えきれなくなった悠人が、慌て気味にドアを閉めようとした時、
『ga………』
「蛾………?」
『GaAAAAA―――ッ!!』
「―――っ!?」
まるで獣の雄叫びのような咆哮が、大気を震わせる。
蜘蛛の怪物が飢えた獣のように赤くすべての眼を輝かせ、口らしき場所から涎のような液を垂らす。黒色の身体は久方ぶりな獲物に歓喜するように揺れている。
悠人の額から流れる汗が頬を伝う。
身体を死の恐怖が襲い、手や脚に上手く力が入らない。だが、ここから逃げ出したいという気持ちは不思議と湧いてこない。
「フゥ………よし!」
息を吐き出して、頬を叩き気合いを入れる。
蜘蛛の怪物と対峙する覚悟を決めた悠人は、やる気の満ちた目で睨み付ける。
『gaa………?』
蜘蛛の怪物の眼が動揺で揺らぐ。
今まで敵対してきた者達は尽く、恐怖し怯え何も出来ずに喰われていった。だが、目の前に立つこの者はどうだ。怖れる事すらせず、今まさに戦おうとしているではないか。
無意識に後退りをしてしまう。
訳のわからない底知れぬナニかが、本能へ絡まりついていく。
『ga、GaAAAAA―――ッ!!』
それを振り払うように、己を奮い立たせるように咆哮を放つ。
悠人はスッと右手を蜘蛛の怪物へと向ける。
「うるさいッスね。魔の風よ、我が敵を断て!」
歌うように、呟く。
悠人の手のひらに青い魔力が円を描き出す。その中には綺麗で神秘な模様が描かれていた。
秘匿されし神秘の力である魔術を行使するためのモノ、魔術陣である。展開されている魔術は基本中位攻性魔術と呼ばれ、五大属性の一つ『風』の力を持つ魔素を媒介とした初心者魔術である。
パチン、と指を鳴らす。
それが、合図であったようで、魔術陣が一際輝くと青い一迅の風が吹き、蜘蛛の怪物の足を一つ斬り飛ばした。
半透明な液体が斬り口から噴き出す。
『ga、GaAAAArr――ッ!?』
赤く光る八つの眼がまた揺らぐ。
初めて味わう痛みに蜘蛛の怪物は叫びながら、体当たりや足を振り回して暴れだす。瞬く間に部屋の中にあった家具は、砕かれその原型を無くしていく。
悠人は振り回される足を危なげなく避けつつ、言葉を紡ぐ。
「魔の火よ、我が敵を焼け!」
今度は、『火』を媒介にして魔術を展開する。
先程より少し早く模様が完成すると、悠人は暴れる蜘蛛の怪物に右手を狙いを定めるように向けてフィンガースナップをする。
模様が輝き、仄かに青い火球が蜘蛛の胴体に着弾する。火はすぐに燃え広がり、ものの数秒で身体全体を包み込んだ。そこへさらに火球を二、三発止めと言わんばかりに撃ち込む。
蜘蛛の怪物は苦しむようにのたうち回るが、火の勢いが強くなるにつれ段々と動かなくなっていく。
数十分後、焦げ臭さを部屋中に漂わせながら、蜘蛛の怪物は沈黙した。
苦戦するかと思っていた悠人は、呆気なく戦闘が終わってしまい呆けてしまっている。
「ふーん、初めてにしては上出来ね。魔術を教えた者として誉めてあげるわ」
「あ、マリナさん」
振り返ってみれば、ドア枠に腕を組んで寄りかかるマリナがいた。
若干フラつきながらも、悠人は側に寄って聞く。
「マリナさん、いつからそこに居たんスか?」
「ついさっきよ。私もアレと同じのに襲われたの。ま、出会い頭に瞬殺したけど」
「あはは、さすがッス………」
悠人は苦笑いを浮かべつつ、容赦なく消し炭にされた化け蜘蛛に敵とはいえ同情してしまった。
出来るなら、次は可愛がられる生き物へ生まれ変わってほしい。
そう思い静かに手を合わせる悠人だった。
「それで、これからどうするんスか?さっきと変わらず、部屋を見て回るッス?」
「いえ、それはもう止めたわ。それに多分だけど、他の部屋も出口以外同じ状態だと思うわ」
手掛かりを探しに部屋へ入るたび、怪物共に襲われていたらキリがない。まったく妨害にもならないが、それが何度も続けばさすがに疲弊はする。
そんな面倒やってられるか、と言い放つマリナに、悠人もコクりと頷き同意を示した。
では、他にどうするのか?
二人とも無言で考えてみるが、正直に言って各部屋を回ってみる以外方法が思いつかない。
魔術師最高位のマリナによる超火力での物理的脱出の手段は、何が起こるか分からないため現状では試みれないでいる。
結果的に最初のしらみ潰しに部屋を見て回る方法をとる以外の選択肢がなかったが、二人は(主にマリナなのだが)まだ諦めきれず考え込んでいると、
「あっ!」
ふとあることを思い出した悠人が、つい大きな声を漏らす。慌てて口を閉じるが、しっかりと彼女の耳に届いていた。
マリナが一旦考えるのを止め、小首を傾げ聞いてきた。
「どうしたの、ユウト?何か思いついたの?」
「あ、いや、違うんスけど……ここに来たときに見かけた使用人の皆さんを、全然見かけないなぁと思ったッス」
ここで変に隠すと後が恐いので、正直に頭に思い浮かべた事を話す。ついでに、使用人達が顔全体を布で覆い隠していることとその理由を話しておいた。
それを聞いたマリナはそっと顎に手をやり、何か心当たりがあるような表情になっていた。
「へぇ、顔を布で隠した………。ねぇ、その布だけど、何か変わった所はなかったかしら?」
「へっ?あ、えっと………あぁ、魔術陣が描かれてたッスね。だいぶ厚手の布でも視界がはっきりとしてたので、透視の魔術が付与されてたと思うッス。けど、それがどうかしたッスか?」
思い出した内容を説明した上で、何の意味があったのかと疑問を持った悠人は聞いてみる。
確かに目を引く怪しい姿ではあるが、そこには理由があるのを説明した。違和感は感じるが、自分の主人の命令ならば仕方ないだろう。
と、そこで悠人はおかしいと思った。
何故なら、この屋敷の主人は自分以外の顔が目に映ったというのに、聞いていた話と違い発疹や嘔吐などしていなかったのだから。
別に隠している様子でもなく、至って普通の健康的な状態だった。ならば、どうしてあの説明をしてきたのか。そもそも、どうしてあれで納得していたのか。
一度おかしいと思った途端、疑問点が溢れ出す。そして、その答えになるだろう事もすぐに思いついた。
異質な使用人に、おかしな説明に、この屋敷の怪しげな事に何も思わなかったのは、自分の思考を操れていたからだ、と。
そう思った瞬間、もしかしたら操られマリナを襲ってしまうのでないかと焦りを感じていると、マリナに優しく肩を叩かれた。
ニッコリと微笑み言う。
「ユウト、安心しなさい。貴方が気にしている精神操作の術なんて、最初に解呪してるわよ。それに、襲われてもブッ飛ばすから問題ないし」
いや、問題しかない。
「よ、よかったッス………」
頬を引き攣らせて頷いて答える。
内心では、操られいなかったのと命が無事であったのに、心の底から安心していた。
下手をすればこの世からサヨナラである。
「本当に神様ありがとうッス!」と心で涙を流し感謝していた。だが、解呪したのはマリナなので、神様としても微妙な気持ちである。
そんな事など露知らず感謝の言葉を捧げる悠人を、他所にマリナは真剣な表情で考え事をしていた。その中心は顔を隠す使用人達。
〈顔隠しの集団、そんな奴らはそうそう居るはずないだろうから、十中八九私達の知るあの組織でしょうね。でも、何でまだこの時代に残ってるのよ?シュウの手で一人残らず殺ろされて壊滅したのよ?誰かが意思でも継いで再興でもした?だとしたら目的は………また、あの時みたいな事をする気なの?〉
嫌な記憶が頭を思い出してしまい、表情が無意識に険しくなってしまう。
そう、あの日、彼女が憎悪に染まった人々に捕まり惨殺されてしまった日。
彼らを煽動していたのは布で顔を隠したキャソック姿の集団。ただ崇める唯一神を愉しませるためだけに、裏で手を回し事を起こした。
顔隠しの狡知の使徒会。
イカれた遊びに興じる神を信仰して、表裏の世界で畏れられる神の人形。主の神託のためなら命すら惜しくない狂信者。
空である復讐の最初の標的となり、シュウによって壊滅したはずの宗教組織。
もしその目的がいつかと同じモノなら、秋へ真っ先に伝えねばならない。
だって、二度と大切な人を失いたくないから。
だが、伝えたことで秋があの頃に戻ってしまうかもしれない。そんな事はないと否定しても、頭の隅っこでその可能性がどうしても離れなかった。
「……リ…さん?マリナさん?そんな怖い顔して、どうしたんスか?」
呼ばれて気がつけば悠人が、マリナの顔を覗きこんでいた。話しかけられていたのに俯いて反応しないので心配になったらしい。
「………え、あぁ、何でもないわよ」
「ホントッスかぁ?眉間に皺を寄せると、小皺が増えイテデデデデデデッ!?」
「余計なお世話よ、ユウト?」
女性が気にすることをサラリと言いかけた悠人へ聖母のような微笑みを浮かべながらアイアンクローを決める。魔力を多く流すほど強化される身体強化の魔術を付与しているため、魔力を流せば流すほどにこめかみを締める右手の力が強くなっていく。
悠人の頭部からミシミシと骨が軋む音がし出した。
「ちょ、ギブギブギブギブッス!?」
「あら、そうなの?なら、仕方ないわね」
悲鳴のような叫び声を上げ、右腕を猛烈な勢いで叩きまくる。そこにわざとらしさなどなく、切羽詰まった死に物狂いな様子である。
その様子を見たマリナは優しい笑みを深めて、
「アダダダダダダッ!?ちょ、絞まってるッス、絞まってるッス、マリナさんっ!!」
さらに魔力を流して、こめかみを締める力を強していた。
悠人が涙目で叫ぶ。
マリナは、
「フフフッ!」
満面の笑顔であった。
「わ、笑ってる!?このドS笑ってるッスよォオオオオウゥ!?」
「もう大袈裟ねぇ。そこまで、痛くないでしょ」
そんな訳あるか!
と、突っ込みたかったがアイアンクローが本当に痛すぎてそれどころではない。痛みで意識が遠のきそうになれば、痛みで戻ってくるというループになっているのだ。そろそろとどうにかしないと、危ない。主に頭蓋が。
こうなったら一か八か暴れて脱出する賭けに出よう悠人が覚悟した時、急にこめかみから手が離れた。
あまりに唐突で悠人はフラつきながら数歩後ろに下がってマリナを見る。
マリナは二階へ上がる階段のある方を向いていた。
「あの、マリナさん?」
「ねぇ、ユウト。あれってもしかしたらシュウじゃない?」
「え?……あ、そうッスね。あれ?でも、何か怪我してるッス?」
同じ方向へ視線を向けてみれば、確かに秋がこちらに走って来ていた。腕には見覚えある女性を抱えている。
というか、見覚えしかない。
あの、青地に桔梗と藤があしらわれた着物は悠人を人質に使おうとした狂人女子高生の仲間だろう、九里と呼ばれた女性だった。
もうその時点で驚きなのだが、さらにその後ろから明らかに妖刀感のある刀を持った虚ろな目の狂人女子高生、理世が追いかけてきていた。
「「何故そうなった(ッス)」」
とりあえず、二人とも息ピッタリで突っ込んだ。