7
さて、場面はベビーシッターの依頼へ向かった寺岡悠人の所に変わる。
彼はワゴン車を走らせて、とある山の奥地にある屋敷にやって来ていた。何故かと言えば、依頼書に指定されていた場所がここであるからだ。
そして、ここまでの移動距離が長かった。事務所から公道を約二時間半と山道を一時間掛けている。車でこれなのだから、歩いてくるなどさらに掛かるだろう。本当に車で、来て良かった。
長時間の同じ姿勢で固くなった身体をほぐしつつ悠人は、こんな辺鄙な土地で子育てしてるのか、と感心と呆れるのを同時に行う。
「………あ、仕事」
ちょうど二分経って我に帰ると、急いで準備を始める。と言っても、使いそうな子供用品と清潔なエプロンを持つぐらいなのだが。
それらが入った少し重いバッグを背に、ドアベルを数回鳴らす。古い洋館でよく見るタイプで、これで人が来るのか心配していたが、数秒で執事の格好をした男性が悠人の出迎えに来てくれた。
「お待ちしていました。便利屋『魔喰』の寺岡悠人様」
「あ、へ、それはどうもッス」
まだ教えすらいないのに名前を呼ばれた事に驚き間の抜けた声で返答してしまったが、執事の男は気にしていないようで案内を始める。悠人は先に進む執事の後を慌ててついていく。二人は、入ってすぐの階段を上っていき、左側へ進む。
傷、汚れ一つない大理石の廊下を無言で歩いている際、すれ違う使用人たちのある特徴が気になった悠人が前にいる執事に聞いてみる。
「あの、すいません。何で、使用人の皆さん顔を布で隠してるんスか?」
「それは、ここに住む奥様が他人の顔を見たくないからです。自分以外の顔が目に映ると、発疹や嘔吐などするそうです。だから、こうして皆、顔を隠しているのですよ。それと、私がつけていないのは、悠人様を出迎えるためです。いつもは他の使用人と変わらず布をしてます」
一定のペースで歩きながら振り返りもせず、淡々として答えてくる。
「えっと、それじゃ俺っちもつけた方がいいッスか?」
「えぇ、そうなりますね。一応、悠人様がつける布の方は、こちらの方で用意してあります。無論、お客様にお渡しするので、清潔にしてある物ですよ」
「あ、そ、そうッスか」
沈黙が訪れる。
実は、あの質問をした理由は、沈黙に堪えられなかったというのが八割の理由だ。悠人は知らない人と無言で一緒にいるのが辛かったのだ。
何度か話しかけてみるが、どうにも続かない。時折、話が一方通行になってしまう時すらある。
それでも、諦めず会話を試みようとしていると、
「悠人様、奥様の部屋につきましたので、こちらの布でお顔を隠してください」
「あ、ハイッス」
ある一室の前に立ち止まり、そう言って白い布を渡してきた執事に遮られるのだった。
悠人は、諦めた表情でその布を受けとり顔を覆うと、不思議なことに視界がハッキリとしていた。
決して、布に穴が開いてるわけでも、薄いわけでもない。どちらかと言えば、丈夫そうで分厚い。
それなのに、前が見えなくならない。
普通であれば、視界を塞いでしまうと視界を大幅に制限されてしまうのだが、この布はそういった事がまったく起きていない。
不思議だったが、慌てず冷静にもう一度視る。
布の上からなので僅かだったが、魔力で描かれた青い光を纏う魔術陣があった。
どう考えても、一般に出回っている物でないのは確かだろう。
「あの、こ………」
「では、悠人様、行きましょうか」
この布の魔術陣について聞こうとしたが、いつの間にか黒い布を顔につけた執事の言葉に遮られる。そして、同時に殺気にも似たプレッシャーをぶつけられる。
喋るな、と言うことなのだろう。
大した効きはしない悠人だが、ここは口を閉じ喋らないことにした。秋やマリナたちのいない所で面倒事には巻き込まれたくないのだ。
プレッシャーを消した執事が、扉をノックして言う。
「奥様、連絡していた便利屋の方が、到着なされたのでお連れしました」
「中に入れなさい」
「承知しました。………それでは、どうぞ中へお進みください。悠人様」
返ってきた声に返事をして、静かに廊下の端へ移動した執事が言ってくる。
「は、ひゃい!わかりゃっちゅ」
急に緊張してきてしまって、悠人はめちゃくちゃ返事を噛んでいた。
恥ずかしくて穴があったら埋まりたい、いやむしろ、埋めてください。
だけど、便利屋の仕事があるので意地で耐えて、チラッと横目で執事の方を見てみる。何となく反応が気になったのだ。
「………」
声は出していなかったが、肩を小さく震わせていた。
執事さん、笑っていた。
「よ、よし、入るッスよ!」
悠人は見なかったことにしつつ、気を取り直し恐る恐る扉を開け部屋へと入る。
中はダブルサイズのベッドがある以外、物がなにもない。窓辺にカーディガンを羽織る女性が居なければ、空き部屋と思いそうだ。
窓辺の女性は、青地に桔梗と藤を描いた着物を着ている。腰まで伸びた美しい黒髪に真っ白な肌、たれ目の綺麗な女性だった。
「こんにちわ」
「こ、こんちわッス」
彼女が優しく微笑み、挨拶をする。
予想外の美人で見とれかけた悠人も、慌てて挨拶を返す。
「貴方、お名前は?」
「あ、ハイ、寺岡悠人ッス!」
「え?」
名前を聞いた途端、女性は目を点にして固まる。
思っていたのと違って驚いているといった表情だ。
悠人は何か失敗したのかと不安になり、一人で勝手にあたふたしだす。だが、そんな事など気にも留めず、何もないはずの部屋の角に話しかけ始めた。
「え、え?もしかして、『死神』様じゃない?ちょっと理世ちゃん、どういうことです?こうして依頼したら、死神様が来るんじゃなかったの?」
「もー、そんな事言ってないでしょー。九里が勝手に勘違いしたのー」
すると、責めているような口調の中性的な声が答えてきた。
驚いた悠人がその声がした右側を見れば、さっきまでは居なかったはずの女性が立っている。
理世、と呼ばれたその人は、セミロングの茶髪をしていて、どことなく窓辺の女性、九里と似ている。ただ、顔立ちは理世の方が若く見え服装も何処かの指定制服を着ていて、腰に鍔のない刀と赤い鞘に入った刀を下げている。
腕を組み壁に寄りかかる理世が、どうでもよさそうに言う。
「ま、コイツを人質にでも使えば、来てくれるんじゃなぁい?」
「そうですかね?私が、聞いてた死神様像に似合わないのですけど」
「大丈夫、大丈夫っ!あの男なら絶対に来るわよ!だって、そんな感じがしたもん」
「………凄く不安よ、私」
ジト目の九里に、理世は笑いながら大丈夫と連呼している。彼女の言う大丈夫は、何が大丈夫なのか、九里にはまったくもって分からなっていた。
そして、放置された悠人は、
〈はうぇ、えぁえ?はぁぁっ!?〉
扉の前から直立不動で、無言のまま脳内大パニックを起こしていた。理由は、理世がサラッと言った「人質」という言葉。
人生でほぼ言われることのないので、意味を理解してすぐに飲み込むなんてのは難しかった。なので、こちらに向かってくる理世の行動に、反応が遅れてしまった。
「じゃ、逃げ出さないように腕と脚、どっちも取っちゃおっか!」
「うわっ!?」
驚きながら悠人は身体を横に傾けて、迫ってくる鍔のない刀を間一髪で避ける。だが、刃が頬を掠めてしまったのか、頬からスッと血が流れてくる。
血の気が引いていき青い顔をする悠人が、震える声で言う。
「な、何するんスか。危ないじゃないッスか」
「もー、避けちゃダメじゃん!今から、逃げられないように手足をチョン切ろうとしてたのに!」
「こわっ!?この娘、発想が怖いッス!?」
物騒な発言に戦々恐々していると、理世が愉快そうに笑いながら言ってくる。
同時に手に持つ刀を無茶苦茶だが、しっかりと腕や脚を狙って振るう。
「アハハハッ!痛みは一瞬だから大丈夫だし!」
「いや、そこはどうでもいいッス!」
「アハハハッ!超面白いんだけど、この子!」
「何がッスか!?」
意味が分からなすぎる理世に、斬撃を回避する悠人は思わず大声で突っ込んでしまった。すると、何が気に入ったのか、さらに目頭に涙を貯めて笑いだす。もう悠人は、頭の上にハテナマークしか浮かばなかった。
目頭から涙を指で拭き取りながら、刀を納め理世が言ってくる。
「あー、君、面白すぎ!面白かったから、手足切らないであげる!」
「え、あ、え?ありがとッス?」
「ま、手足は縛っといて貰うけど」
「ハイ?」
頭の上にハテナマークを浮かべながら困惑していると、突然、身体が地面に叩きつけられる。
受け身がとれずに、肺から酸素を吐き出す。
「かはっ!」
「悠人様、失礼します」
「ゲホッ、へ?」
涙目で声をした方を見れば、部屋の外にいた執事が縄を持って立っていた。執事は、慣れた動きで、悠人を腹這いにしその手足を縛る。それを終えると、また部屋を出ていった。
縛られた悠人はどうにか抜け出そうともがきながら叫ぶ。
「ちょ、何するんスか!」
「え?さっき、言ったじゃん。逃げないよう手足を縛っとくって」
可愛らしく小首を傾げて答える。
「なんで、こんなことするッスか!」
「ほら、九里。さっさと電話しちゃお!」
「えぇ、そうね」
「え、無視?この状態で、無視ッスか?………と言うか、こういうのって、漫画とかのヒロインの仕事じゃないッスかね………」
放置された悠人が、ガクリと項垂れつつそんな事を呟いていた。
そんな事は気にしないで二人は、主に理世が、嬉々として悠人から奪ったスマホを操作している。画面のロックが掛かってはいなかったので、何の障害もなく電話帳の中から「御門秋社長」と、表記された連絡先を見つけだす。
「ハイ、ポチッとなー!」
「ア"ッ!」
そして、微妙にテンション高めの理世は、躊躇なく画面の通話マークをタッチする。
それを、遅れて気付た縛られる悠人に止める方法などあるわけなく、無機質なコール音が鳴り出す。
「フ~フン♪」
「フゥ………」
どうやってるのかコール音に合わせて鼻歌をする理世と緊張から胸に手を当てて深呼吸する九里。そして、なかなか秋に繋がらないのを、そのままずっと繋がらない状態でいてと願う悠人。
「あ、繋がった!」
『もしもし、悠人?どうかしたの?』
願い叶わず、スマホから響きが少し変化したでも聞き覚えのある男性の声が言っている。
「しゅ…」
「それはダメー」
「ガッ!」
悠人は大声で叫ぼうとしたが、九里へスマホを渡した理世に腹を蹴り上げられる。悠人の身体を激痛が襲い、口から痛みに耐える呻き声を漏らす。
「グゥゥ………」
「ハハ、その顔良いよ!」
「グフッ!」
脇腹を強く蹴られ九の字に身体を曲げて顔を歪めれば、理世の口角が上がっていく。
とても愉しそうに笑う。
理世がさらに痛めつけようとしたその時、
「理世ちゃん、その辺で止めておきなさい」
何を話そうか迷っていた九里が、諌めるように言ってきた。
「えー、でもー」
「後で好きにして良いから、死神様が来るまで待って頂戴ね?」
「うー、分かったよー、九里。約束だからね!」
「フフ、分かってますよ」
理世の言葉に着物の裾で口元を隠しつつ答えて、スマホが通話状態だったのを思い出した。
『………お前ら、悠人に何をしている?』
ゾワリ、と二人の背筋に寒気が走る。
地の底から響くように低い声。
九里は、嫌な汗を頬に流しながら呟くように小さな声で答える。
「な、何の事でしょう?」
『シラを切るには遅すぎる。音が全て、筒抜けだ』
通話越しからでも感じるプレッシャー。
「そう、ですか。なら、正直に言いましょう。今、寺岡悠人を預かっています。彼の命が惜しければ、すぐにここへき…」
『マリナ。悠人のピアスに仕込んでたアレを使え、一番のだ』
秋がそう言った瞬間、悠人から淡い白の光が放ち出し、それが身体を包み込んでいく。反射的に九里の側へ寄り、警戒する理世。
悠人は自分の身に起きている現象に一瞬困惑したが、すぐにこれが秋たちの仕業だと気付き安心した笑みを浮かべる。
だが、そんな事に気付くはずのない理世と九里は、その現象に目を大きく見開き驚いていた。さらに、光が文字と模様で出来ている円図を描いていく。
それは複雑で難解な最高位魔術の陣。そこから漏れだす純度の高い青色の魔力に、二人は圧倒される。
その間にも、純白の光の輝きは次第に強くなっていき、突然、激しく脈動しカッと眩いほどの閃光を放った。
「「キャッ!?」」
「うわっ!?」
二人とも、閃光から目を覆う。
悠人も思わず目をつぶってしまう。
部屋を真っ白に染め上げるほどの極光。それは、数秒ほどですぐに収まったが、理世と九里は朧気な視界に映る二つの人影に呆然としていた。
「うん、大丈夫……そうじゃないね。怪我してる所があったら言うんだよ、悠人」
「はぁ………。まったく、怪我には気を付けなさいよねっ!治すのもわりと疲れるのよ?」
「あはは、すいませんッス………」
悠人に心配する声と呆れる声が掛けられると、悠人は苦笑いを浮かべながら謝っていた。
悠人の側に居たのは、ここに居るはずのない秋とマリナだった。秋は悠人を見ながら黒刀を片手で構えて前にいる二人を警戒している。マリナは、地に伏す悠人の身体に鮮やかな緑色の光を薄く纏う両手で触れていた。
「どうやって、ここに………」
「教える義理は無いですね」
ニッコリと笑い即答する秋からは、余裕しか感じられない。
「なら、力ずくで教えてもらうし!」
「ん、その声………?え、もし……ちょっと、人が喋ってる所ですよ」
「うるさいしっ!てか、防ぐなしっ!」
「いや、防ぐからね?防がなきゃ、死ぬからね?」
飛びかかってきた理世の刀を、黒刀で危なげなく防ぎながら突っ込みをいれる。
理世は、顔に似合わない怖い顔で言ってくる。
「知らねぇし!もうどうでも良いから、斬られろよぉ!」
「………最近の若者は皆、こうなのかなー」
秋は、理世の連撃を全て防ぎながら遠い目をして口から溢しつつ、迫ってくる刀を上に弾き回し蹴りを腹へと放った。
勢いよく吹き飛ばされた理世の身体は、背中からもろに壁へ叩きつけられた。痛みで歯を食い縛りながらも、秋を憎しげに睨み付けてくる。
秋はそれを無視してマリナの方を向いて聞く。
「ねぇ、マリナ、ここからすぐには出られる?」
「無理ね。ここ、半迷宮化してるもの。入るのは簡単でも、出るのは難しいわね」
首を振って返答する。
「そう………。ならここは俺に任せて、出口を探し行ってくれる?ちゃんと、悠人も連れてね」
「えぇ、分かったわ。ほら悠人、行くわよ」
「あ、ちょ、引っ張らなっ!」
マリナによって悠人は強引に引きずられて部屋を出ていった。ちなみに、悠人は内蔵にダメージを受けていたのだが、何故か無傷でけろっとしている。
動けないようにダメージを与えたのに動ける悠人に理世が驚く。
「は、何で!?何で、アイツ、動けんの!?」
秋は頬をかきながら適当に返す。
「まぁ、マリナのお陰かな?」
「意味わかんねぇし!ちゃんと、説明しろし!」
「いや、企業秘密だから………」
「知るか!さっさと、教えろ!」
「………まぁ、この事はこの辺に置いといて」
「無視す―――ッ!?」
言葉は途切れる。
秋の雰囲気が、ガラリと変わる。
「………さて、遊びはここまでにして、そろそろ始めるとしますか」
恐ろしいほどの静謐な覇気を纏う。
「さぁてと、やり過ぎた子供の反省のお時間だ」
秋はニヤリと微笑を浮かべた。