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唖然とするマリナと悠人。
秋があの姉妹を連れてくるのはある程度予想はしていた。だが、状況からしてそれは気絶させて意識のない状態であろうと考えていた。
そう考えていたので、まさか鬼ごっこしながら連れてくるとは予想外である。というか、まずどうしてそういう事になっているのか意味が分からない。
まず何したら、姉妹の片方から妖刀片手に追い回されるのだろうか?
ラッキーなスケベ的事故を目の前でしてしまったのか。いや、秋であれば回避出来るのでそれはないと思考の途中で即否定する二人。
なら、他の理由は何だろうかと考えてみるが、訳が分からない光景のせいで混乱して今一思いつかない。なので、本人に聞いてみた。
「あのー、シュウさーん!何で、追いかけられるんスかー!」
真っ先に動いた悠人が手をメガホンの形にして、大声でそう聞いてみる。
すると、秋は後ろを気にしてたからか声を掛けられ初めてこちらに気付いたようで、一瞬驚いた表情をしたがすぐに焦った表情に変わり叫んできた。
「マリナっ!後ろのアレ、捕縛して!洗脳されてる上に、妖刀持ってるけど怪我しないようにねっ!」
「いや、は?普通に無理だから。というか、え、なに?洗脳されてるの?え、こわ」
「ごめん、マリナ。わざとらしく怖がってるとこ悪いけど、冗談抜きで俺が死にかけてるんで頼むよ!……いや、あの、マリナサン?わりと本気でそうなんですけど。おい、コラ、無視しないで助けろよっ!?」
本当に怖いわー、ちょっと近寄らないでくれます?、的な顔で追い払うような動作をするマリナ。ちょっと愉しそうにしているのに、悠人は飛び火すると嫌なので触れないでおいた。
途中から逃げるために内側重傷の身体を酷使してしまい危険な状態一歩手前の秋は、無視するマリナに素で半ギレしながら頼み込んでいる。
文字通り、真に迫った命懸けのお願いである。
さすがにこれ以上は秋の堪忍袋がぶち切れそうなので、急いで止めて片手間に魔術陣を編みながらため息をつく。
「はぁ………、分かったわよ。とりあえず、こっちに早く来なさい」
「………後で覚えておけよ」
噴火しそうな怒りを頬を引き攣らせながら堪え、大理石の床を跳んで悠人の隣に着地する。そこで秋の様子を見て二人とも驚いた。
秋の呼吸は荒く、衣服の所々は血で赤黒く変色し顔色は青くなっている。一目見ただけでも酷く、すぐにでも治療をした方が良い状態だ。
ここまで酷いのは、悠人はまず見たことなどなく、マリナでさえあまり見たことがない。
マリナは内心でふざけてしまった事を後で謝ろうと思いつつ、悠人をこんな目に合わせた元凶だろう追跡者捕縛に行使する魔術をさらに追加する。悠人は動揺してわたわたしながらも秋を安静にさせようとしてきた。
秋は、ゆっくりと抱える九里を降ろし少し恐い悠人を宥め、冷静なようで冷静じゃないマリナを落ち着かせる。特にマリナは念入りに。
じゃないと、理世をそのまま封印してしまいそうだ。
秋は他の二人に聞こえないように言う。
「もう一回言うけど程ほどにな?決して封印とかしちゃダメだからな?」
「分かってるわよ。シュウは早く安静にして、私が終わったらすぐに治療出来るようにしてなさい」
「ホントに大丈夫か?」
「しつこい。いい加減にしないと姉さんに報告するわよ。シュウが姉さんの忠告無視して無茶して大怪我したって」
不穏な雰囲気を纏いながら微笑むマリナ。その間にも理世の足止めに数回魔術を放っている。
秋はややぎこちない笑みを浮かべてそろそろと引き下がり、すぐに悠人に連れられ少し離れた所の壁に寄り掛からせられていた。
マリナは横目でそれを見てクスリと笑いつつ、足止めで放った魔術で進めなくなっている理世の方に向く。
彼女は錬金術で壁を変成させた鎖に身体を縛り、両手足の自由を制限されている。さらに、光を集めて目の前で閃光の目眩まし、空気中の微細な埃などの粒子を摩擦させ静電気を起こすetc、地味なモノからエグいモノまで何十種の嫌がらせ魔術を受けていた。
そして、極めつけは、蔦や鎖は壊される度に同じ物が出てきてまた拘束されたり、目眩ましもまた視力が戻る度に強烈な光を目に受けたり、などなどと嫌がらせ魔術は例外なく繰り返し発動され続けるというエンドレスだった。
気のせいか理世の虚ろな目が涙目だ。
「さてと、シュウの治療もあることだし、少しの間気絶でもしてて貰いましょうか」
愉しそうに笑うマリナが、片手で器用に何十種の魔術陣を構築しながら、もう片方でもう一つ魔術陣を丁寧に慎重に編み始めた。
先程から行使している魔術は、すべて発動するための詠唱を必要としない術式であり、通常よりもさらに複雑化した魔術陣となっている。
現在新しく編む魔術陣もそうなっており、マリナの左手のひらを中心に不思議な模様と文字が魔力で瞬く間に描かれていく。
アクアマリンのような透明でスカイブルーの色調の光を放ち、マリナの手に魔術陣が浮かぶ。
「フフッ、いくら洗脳されているとはいえ、婦女子であらばコレが効かない訳がないわよねぇ?」
悪役のような邪悪な笑みをして、緩慢な動作でフィンガースナップの構えをとる。
マリナの後方にいる悠人と秋の全身に悪寒が走り、悠人と怪我を顧みず秋が制止するために動こうとしたが、
「「ちょ、ちょっと待……」」
「存分に味わいなさい、私の地獄を」
その前にマリナが一層邪悪な笑みを作り、パチンと指を鳴らした。同時に足止めの魔術も解いておく、今行使した魔術の邪魔にしかならないからだ。
妨害してきた魔術が解けた途端、理世が動こうとしたが何故か硬直した。よく見れば、蒼白な顔で小刻みに身体が震えている。
マリナは満足した表情をしてふんぞり返っているが、秋と悠人に九里は皆一様に理世と同じ反応をしていた。
それもそうだろう、床一面に真っ黒い台所から這い出る黒いヤツがいるのだから。
「うぉふ………」
「キモ…イッス……」
「フゥ………」
秋、悠人は不快そうな表情になり、九里は吐息を漏らして気絶した。倒れる前に悠人が支えたため、黒い海に入らずに済んではいる。
広範囲に指定した幻覚を見せる魔術と分かっていたも、人が呑まれるのは見たくはない。
そう、これは幻術と言われる魔術である。
人の聴覚、視覚を対象に催眠を施し、精神的なダメージや妨害を行う。
その方法は色々とあるが、今回は誰もが生理的に拒否する生物ゴ○ブリを使い、視覚と聴覚を対象にして術を使っていた。ちなみに広範囲に設定したのは、そっちの方が面白そうだからという理由である。
「アハハッ、やっぱりこういう事するのは愉しいわね!」
術者なので自分には掛からないのを良いことに、心底愉快であるといった笑い声を上げている。
無駄に犠牲になった秋と悠人は無性にイラッときた。
「………」
理世が膝から崩れ落ちていながら、妖刀で何とか立ち上がろうとしている。だが、上手く力が入らないのか手足をプルプルと震わせているだけだ。
いくら洗脳を受けているとしても可哀想になるのだが、マリナはそんなものは関係ねぇと言わんばかりに追い討ち魔術を指を鳴らして放った。
理世は一瞬硬直、すぐさま白目を剥いて仰向けに倒れてしまった。そのタイミングで、床一面にいた黒のヤツも消えていく。
視界から消えたのに安堵しつつ、秋は聞く。
「………お前、何したんだよ」
「何って、顔に虫が張りつく幻覚を見せただけよ」
その答えに呆れ果てた表情を見せる秋と悠人。
さすがにやり過ぎた自覚があるらしくマリナは、睨み付けながらも何も言ってはこない。
秋は、ため息をついて言う。
「はぁ………。とりあえず悠人、あの娘回収してきてくれる?」
「分かったッス」
悠人は立ち上がり仰向けの理世の元に向かった。
一人になった秋は、天井を見上げて呟く。
「めんどくせぇ………」
***
静かな廊下で秋達便利屋組は気絶した姉妹が目を覚ますのを待っていた。ただ待っていると言っても何もしていない訳でなく、マリナは理世に掛けられた魔術的洗脳の解除、悠人は周囲の警戒と九里の看病のような行為を行っている。
することがない秋は未だに壁に寄りかかり、死ぬほどの怪我の治療に専念している。本来では、マリナによる即回復が出来たのだが、マリナと悠人がまた無茶をしそうだと時間のかけた治癒をされていた。
解せぬと不満を漏らしたが、二人が思った以上に真剣なために渋々諦めて安静にしていた。
「ん………、あれなんで私、寝て………?」
「あ、秋さん!この人起きたみたいッス!」
目を開けた九里に気付いた悠人が、秋に大声で伝えてきた。その横で、突然、大声を出したので九里がビクッと肩を震わせている。
怯えさせるなよ?という視線を秋が、悠人へ苦笑とともに向けていると、
「こっちも目を覚ましたわよ、シュウ。洗脳の方は完全に解いたから大丈夫よ」
少し離れたところで洗脳解除していたマリナからも理世が目覚めた事を報告された。
いや、本当にそういうの要らないんだけどなぁ、とは口に出さず思うだけに留めて、苦笑する秋は動けない自分の所に連れてくるように二人に頼む。その姉妹からは話を聞きたいからだ。
頼まれたマリナと悠人はすぐに行動に移していた。
何かしらあるだろうと秋は思っていたが、思いの外姉妹は大人しくマリナと悠人と共に側にやって来た。姉妹、特に洗脳されていた理世は困惑はしているようだが、それなりに落ち着いている。
外傷も精神以外は特にないそうだ。ただ、九里と理世の二人とも、お互いをチラチラ見ては気まずそうにしている。
秋以外の二人は何があったか知らないが、雰囲気で察したらしく秋達は静かに見守る。
「えっと、理世ちゃん」
「なに」
恐る恐る話し掛けてきた九里に、無愛想な態度で返事をする理世。
変に緊張して黙りこむが、意を決して二人は口を開いた。
「「ごめんなさいっ!」」
寸分違わぬタイミングでそう言った二人は、驚きと戸惑いの混ざった表情をしていた。どちらとも何故謝られたのか分からないようだ。
戸惑いをそのままに先に九里が言ってくる。
「どうして理世ちゃんが謝るの?理世ちゃんを傷付けてしまったのは私よ?」
「九里こそなんで謝るの?私も嘘だって分かるのに、信じちゃって九里を傷付けてたんだよ?」
「いいえ、私の方が理世ちゃんを傷付けてしまったわ」
「ううん、私の方が……」
私が私が、とちょっと変な意地の張り合いが唐突に始まって、見守っていた秋達がポカンと口を開けて呆けてしまった。激しい言い争う喧嘩でもするかと思って構えていたのだが、ちょっと拍子抜けである。
そんな秋達を他所に姉妹はよく分からない口論は、体力切れのドローでいつの間にか収まっていた。肩を上下するほどの息切れをしているが、スッキリした満足げな笑みを浮かべている。
バックに何故か百合の花が咲き乱れているが、仲睦まじき麗しい姉妹といった雰囲気だ。
呆けていた状態から戻った秋達では、今一要領を得ないでいる。
「とりあえず、仲直りしたって事かな………?」
秋は二人の様子からそう思い聞いてみれば、
「えぇ、はい。お陰様で」
「ハッ、見れば分かるでしょ」
「もう、理世ちゃんったら」
「だってー」
二人は真逆の反応をするが、否定はしていない。そして、呆れるほどの仲の良さを見せてくる。
元からこれほどだったのだろう、気まずくしていた時より違和感がない。しかし、そのまま放置しとくとまともに話も出来そうにないので、少々強引に意識をこちらに集める事にした。
と言っても、秋が九里を呼ぶだけで済んだが。
それで終わるはずもなく、その後、何故かキレた理世が妖刀を手にしてしまい暴走したり、近くにいた悠人が巻き込まれマリナが暴れたり、九里がベッタリとくっついて離れなかったり、と色々あって秋が落ち着かせるのに大変苦労したのだった。