便利屋『魔喰』
虚偽に塗れた歴史に隠された昔話。
そこは、薄暗い正方形の石室だった。窓は一つもなく、空気を通す親指ほどの穴が数ヶ所に空いているのと、部屋を僅かに明るくするゆらゆら揺らめく火を灯す松明があるだけ。けれど、その松明も今にも消えそうである。
石室の壁、天井には夥しいほど量の血がこびりつき、数十体の手足や胴体が斬られた死体が転がっている。その中心に、一人の黒髪の少年がいた。血塗れの服を着ていなければ普通の子供だ。
彼は、数多の戦場で何万もの兵士の命を奪ってきた。そして、殺した人の血肉を喰らうといった噂から「食人の死神」と呼ばれ畏怖されていた。たった一人で万の兵を殺す怪物。
だが、そんな化け物じみた強さを持つ少年も戦場という名の地獄では、強靭な肉体と精神も傷つかせ磨り減らしていく。けれど、少年の出会った一人の少女が安らぎと癒し、救いを与えた。その二人は一緒に居る内に惹かれ合い、いつの間にか深く愛し合う。
しかし、その少女は「食人の死神」と共に居たという理由だけで、少年への憎悪にまみれた人々に犯され無惨に殺された。
少年は犯されぐちゃぐちゃにされてしまった、ほとんど見る影も無くなってしまった、死に絶える愛しい少女の亡骸を抱え獣のように叫ぶ。
―――Arr、すべて、全て消えてしまえ。
『 』が何をしたと言うんだ。何故俺と共に居ただけで殺されなければならない。そんなに俺が憎いなら、俺を狙えば良いだろう。俺を殺しにこれば良いだろう。
『 』は関係無かったのに。
あぁ、神よ世界よ、何故聖女のように優しい陽だまりのように暖かい『 』を殺し、罪人の俺を生かす。そんなに俺が憎いのか。そんなに俺を絶望させたいのか。
ふざけるな、ふざけるな!ならば、俺は神々に復讐してやる。俺の全てを奪った総てに復讐してやる。彼女を汚した者に生きる価値などない。
希望なく死ね、望まず死ね、幸福なく死ね、感謝なく死ね、喜びなく死ね、絶望して死ね。
皆等しく死ね。
彼女の居ない世界など死んでしまえ―――
喉が潰れて出てこない声の代わりに血を吐いてまだ叫び続ける。
命より大切な愛しき少女を失った絶望を、守れなかった自分への失望を、救ってくれない世界への殺意を、『 』を奪った人間への怨嗟を。
己の魂を削るような叫び声を上げ続けた。
何時間何日間、何時まで彼はそこに居たのだろう。
少年にはもう叫ぶ力すら残っていなかった。彼の心には在るのは、深淵より深く黒いドロリとした純粋な殺意だけだ。
少年は、ボロボロで軋む身体を無理矢理動かし、地上をさ迷う幽鬼の様にゆらりゆらりと立ち上がると、腐った少女を抱え石室から出ていった。
その後、彼は「食人の死神」を恨む怨む憎む全ての者を探し出しその総て殺し尽くしていく。その家族、親友、恋人、尽くを殺し踏みつけていく。
そんな事をしても意味が無いと分かっていながら殺し続けた。
けど、何もない空っぽの誰も望まぬ復讐をただ続ける狂った死神は、唐突にその存在を抹消し世界から消えた。
彼が何処に行ったか、それを知るものは居ない。
***
寒さに向かう季節。
ここは新潟県西区にある何の変哲もない雑居ビル。そのビルの二階に上がると、便利屋『魔喰』、と短く丁寧な筆文字で書かれたプレートが取り付けられているドアの前に来る。その部屋には失せ物探しから不倫調査、配水管工事まで何でもする便利屋の事務所があった。
『魔喰』と言う不思議な社名の便利屋には、三人の従業員が居る。
まず一人は、
「あれー?もうプリン無かったっけ?」
事務所の壁側に置かれた冷蔵庫の中を見ながら呟く黒髪の二十歳ぐらいの容姿の青年。彼は、御門秋という名前で、この便利屋『魔喰』の社長である。そして、どこで身に付けたかハイスペックな能力で依頼をこなす『魔喰』のエースでもある。
依頼人や近所の方々からは、物腰の柔らかく常に笑顔が絶えない仏のような人物と言われている。その上、顔立ちもよく女性方に大人気であった。
「昨日の夜、シュウが自分で最後の一個食べてたじゃない。忘れたの?」
その言葉に呆れを含んだ声で答えたのは、窓側の三つある事務机の一つでコーヒーを飲む女性。誰もが羨む美しい曲線美、陶磁器のように白い肌、容姿端麗金髪碧眼の美女だ。
名をマリナ・ヴァレンタインと言い、相当の美人なのだが愛想笑い一つしないクールビューティーな女性である。何故かそれを見たい、良ければ罵られたい蹴られたいなど言う人々が居るらしい。
秋が、冷蔵庫の扉を閉めて呟く。
「そういえば、そうだったな。じゃ買ってくるかー」
「あ、なら俺が行くッスよ。ちょうど買い物に行こうと思ってたッスから」
冷蔵庫の前から移動し自分の机から財布を取り出そうとしていた秋に、茶髪の両耳四つずつと唇一つ高そうなピアスを付けヘラヘラと笑うチャラそうな見た目の青年。語尾に「ッス」をつけて話す寺岡悠人が手を挙げて見た目に対して明るい元気な声で言うと、答えを聞く前にパパっと椅子に掛けていたジャンパーを羽織り外に出る準備をする。
秋は申し訳なさそうに悠人を見つめ言ってくる。
「んー何か悪いよ。いつもいつもやってくれてるし、これぐらいは自分で行くって」
「あ、気にしないで良いッス。俺っち、社長にはいつも色々とお世話になってるんスから、これぐらいするのは当たり前ッス」
「まぁ、そうね。依頼のほとんどはシュウが一人で片付けてるし、良いんじゃないかしら?」
悠人の言葉に同意するようにマリナは言ってくる。
それでも納得してない表情をしていた秋だが、マリナの「ユウトの仕事よ」と言う一言に悩んだ末、渋々といった様子で答える。
「はぁ………、分かったよ二人とも。それじゃあ、悠人。足を滑らせないように気をつけて行ってね」
「はい、分かったッス!それでは行って来るッス!」
「「行ってらっしゃい」」
悠人は元気よく事務所を出ていった。
閉まったドアを名残惜しそうに見つめる秋に、マリナが声をかける。
「じゃシュウ。コーヒーおかわり」
「ねぇ、マリナ。そんなにコーヒーはおかわりするものじゃないよ?」
「別に良いじゃない。それに、そう言いながら用意してくれるシュウは好きよ」
「はいはい」
軽く返事をする。馴れた手つきで手早くコーヒーを淹れる秋に、マリナは見とれるほどの穏やかな優しい笑みを向ける。普通の男であれば顔を真っ赤にして狼狽えるだろうが、何年も共にいて飽きるほど見ていた秋は特に何も思わないのでスルーした。
マリナは聞こえない程小さい声で呟く。
「やはり姉さんでないと駄目か………」
「ん?何か言ったかい、マリ――」
手早く淹れたコーヒーをお盆に乗せて持ってきた秋が、マリナの言葉を聞き返そうとした時、
「あの、すみませーん」
若い女性の声。
事務所のたった一つの出入口の扉の方を見ると、私服の若い女性が立っていた。後から遅れて申し訳程度にチャイムが鳴る。
慌ててお盆ごと少し雑にマリナの机に置いた秋は、仕事用の何があっても外れない鉄壁の笑顔を浮かべ接客に移る。その後ろではマリナが何か抗議する視線を向けてきていたがスルーした。
「いらっしゃいませ、便利屋『魔喰』にようこそ!お客様は、今日はどう言ったご用件でしょうか?」
「あ、えっと。ここで幽霊を退治してくれるって聞いて来たんですけど………」
不安げにビクビクした様子で答える女性。どうやら、秋を睨むマリナに怯えてしまったようだ。
そうなるよな、と思いつつ秋はニッコリ笑ったまま、後ろのマリナに少し視線を向ける。
「あぁ、祓い屋の要件の方ですね。マリナ」
「ハイハイ。それじゃ、ここのソファに座って」
「は、ひゃい!」
マリナの綺麗な顔に睨まれて緊張した女性は、噛み気味で返事をして言われた通りソファの真ん中にゆっくりと音をたてないよう座る。そのあとに、マリナが机を挟んだ前のソファの左にドサッと乱暴に足を組んで座った。
それに肩をビクッとさせて縮こまる女性の前に、客用の飲み物を取りに行き戻ってきた秋が苦笑いしながらティーカップを置く。
「どうぞ、ハーブティーです。お飲みください」
「あ、ありがとございます」
「どういたしまして。マリナは、さっきと同じブラックのコーヒーで良かったよね?」
「良いわよ」
マリナは即答する。マリナの事務机には先程淹れたモノが置いてあるが、飲み気は無いらしい。棄てるのももったいないので、秋が飲むことにしてそれを取り、秋はコーヒーカップをマリナの前に置いてその隣に腰掛ける。すると、笑顔一つ作らないリリィが口を開く。
「じゃ、単刀直入に聞くけど幽霊がどうしたのよ」
「あ、あの。疑ったりはしないんですか?」
「何を」
「嘘とか冗談とか」
「そうだったらシュウが追い返してるわよ。そうしてないのだから、疑う必要は無いでしょ」
「はぁ、そうですか」
それが当たり前のように言われた女性は、戸惑った様子で曖昧な返事をして視線をマリナの隣の秋に助けを求めるような目を向ける。だが、秋はゾッとするほどの完璧で綺麗な笑顔をしており、女性には何を考えてるか分からなかった。そっと視線を戻す。
「それで早く話してくれないかしら」
「は、ハイ!あ、えっと、一ヶ月ぐらい前からの事なんですけど………」
待つのが面倒であるマリナが威圧的に言ってくる。
スッと目を細め苛立った雰囲気の美人のマリナに萎縮しつつ女性は話始めた。
依頼人の彼女の名は、佐藤夕香。近場のカフェで働いているそうだ。
その彼女がソレを視たのは今から一ヶ月前。いつもより少し遅くなったために近道としてその日は別の道、墓場の前を通る道を通った。夜の墓場は、昼間と違い妖しげな雰囲気である。正直、怖かっため走って急いで帰宅したらしい。
親と暮らす一軒家の中に入った彼女は怖くて着替えもせずに、すぐに自室に入るとベットに潜り寝ることにした。が、部屋に入った瞬間、今一番視たくなかったモノが居た。
首のない血だらけの白いドレスを着た幽霊を。
その時は気を失って倒れたらしく、朝方親に心配されてしまった。親にもその事を話したが、相手にされず、精神科に連れていかれてしまったそう。そして、それからというものソレは、毎晩現れ耳元で何かを囁くらしい。
「私の頭を探して………」
と、ケタケタ嗤って。
そのせいで眠れず、だんだんストレスが溜まり疲弊する日々の中、知り合いからここの事を知り藁にも掴む思いで来たそうだ。
そう言い終え佐藤夕香は二人を見る。
ずっと秋は笑顔をまったく崩さず話を聞いていたが、隣のマリナは無言で、ただ一点を睨むように視ていた。
佐藤夕香の後ろを。
粘っこく張り付く気持ちの悪い霊気を。
「あの、マリナさん。後ろに何かあります?」
「ちょっとシュウ来て」
ビクビクしながら佐藤夕香が聞いてくるが、マリナはガン無視して隣の秋を引っ張って席を立ち窓側まで離れていく。
横目でオロオロしている佐藤夕香を見ながら秋が小声で耳打ちする。
「ねぇ、マリナどうかした?」
「彼女が言ってた首なし霊、危険だわ。憑いてるだけじゃなく少しずつ魂も喰べてるわ。それに………」
「………」
険しい表情で話す。
それを聞きながら秋は、顎に手をやり考えるような仕草をする。視線の先は、マリナではなく佐藤夕香の方。
オロオロしている。あ、テーブルの角に膝をぶつけている、痛そう。あ、ソファから落ちた。慌てて座り直している。
いちいち行動がおもしろい人だ。
「ちょっと、シュウ。聞いてるの?」
「あ、ゴメンゴメン。考え事してた」
「はぁ………。ほら、戻るわよ。依頼主を、これ以上放置しとくのは可哀想だわ」
「マリナが引っ張って来たんだけどなぁ」
「何か?」
苦笑いを浮かべ秋は首を振る。マリナは怒らせると恐いのだ。極力怒らせたくは無い。逃げように茶菓子を取りに行く。
マリナはジトーっとした目をその後ろ姿に向けていたが、フンと鼻を鳴らし佐藤夕香の所へ戻って行く。
茶菓子を手に持った秋は少し遅れて戻ってきた。
***
依頼を受ける事にした秋とマリナはその後、依頼料等々のお金の相談を終えると、さっそく事務所を出て依頼人佐藤夕香の家に向かった。近いと言うことで歩いて向かう。その途中、墓場に寄って調べてみたが二人は特に何も感じること無かった。しかし、佐藤夕香宅に段々と近付くにつれてある違和感に気付いた。
「ねぇ、シュウ」
「どうかした、マリナ?」
「やっぱり変よ、ここ。動物霊や浮遊霊すら全然視えないわよ。この自殺大国日本にしては、とてつもなく不自然で違和感がありすぎるわ」
そう成仏していない霊が一体も見えないのだ。いくら手当たり次第に除霊したとしても、こうはならない。その事が、違和感を感じさせていた。
「うん、やっぱりそうだよね。あと、自殺大国は酷いから止めようね」
秋は頷きつつマリナの発言に注意し答えて、前を歩く依頼人を見る。小声で話しているとはいえ、流石に聞こえたかな?と思ったが佐藤夕香は気付いてない様子でややビクビクしながら先を進んでいる。
その姿につい笑みが溢れそうなのを堪えつつ、秋はマリナに聞く。
「と言うことは、例の首なし霊が喰べたのかな?」
「多分………、いえ。百パーセントそうでしょうね」
「何故、断定できるんだい?」
「本当に微かだけど依頼人の彼女に憑いてたのと同じ嫌な霊気が周りに漂ってるからじゃ、ダメ?」
珍しく可愛い仕草の上目遣いでマリナは秋を見てくる。それには秋は、内心で少し驚くが平静を装っていつも通りに答える。
「ダメでは、ないと思う。実際、感じることの出来る強力な霊気は夕香さん家の方からだけ。ただ、凄く邪気が強いわ」
「秋さん、マリナさん。ここを右に曲がったらすぐの私の家ですよ」
先頭にいた佐藤夕香が少し先のT字路の右側を指し振り返って後ろの二人に言ってくる。
秋は腕を上に伸ばしながら返事をする。
「分かりましたよ、夕香さん。………じゃ、マリナ。気合いを入れて祓い屋の仕事に行きましょうか」
「私は別に適当でも良いのだけど。その方が楽だし?」
「そこは真面目にやろうね」
「ウフフフ」
「急にマリナさんが笑いだした!?怖い!って、何で笑ってるんですか!?どうしたんです!止めてください、急に不安になるじゃないですか!何かの冗談ですよね、冗談なんですよね!?」
「あはは」
「秋さんも!?」
返答せず何故かただ笑うだけの二人に、佐藤夕香は変に勘違いして顔を青ざめて慌てる。気を紛らわすための行為だったのだが、逆効果だった。
しばらくするとマリナが笑うのを止めていつもの無表情の鉄仮面に戻しと、フゥと息を吐く。
「…さて。まぁ、依頼人を弄るのもこれぐらいにして早く行きましょう」
「ハハハ……」
「え。ちょ、ちょっと、私で遊んでたんですか!?酷いです!って、無視しないで!あ、置いてかないで下さいぃー!」
スタタターっと佐藤夕香を置いて早足で先を歩いていく秋とマリナの後ろを、若干瞳に涙を浮かべながら佐藤夕香が急いでついていく。
そして、いつも行う『依頼人弄り』を実行して楽しんだマリナとそれを止めることをほぼほぼ諦めている秋の二人が、後ろで涙目の佐藤夕香が指を指していた道を曲がった先にそれは在った。
「シュウ」
「分かってる。夕香さん、君はそこに立ち止まってて」
「へ?」
「返事は?」
「あ、ハイ」
笑顔で有無を言わせぬ圧力を放つ秋に、驚きながらも頷いて佐藤夕香はこちらに向かっていた足を止める。
秋はニッコリと微笑むと、視線をマリナと同じ道、佐藤夕香宅への道に向ける。
その先に、髪の長い女の頭が在った。
ソレは触れたら消えてしまいそうなほど白く汚れ一つない綺麗だった。だが、その垂れ下がる髪から覗く瞳には、怨嗟広がる地獄の業火のような憎悪の炎を宿していた。
ソレに何があったかは分からないが、消えることはないと感じる強い憎しみの籠った瞳だった。
「ハァ、いきなり待ち伏せか」
「大方、佐藤夕香を待ってたんじゃないかしら。私が事務所で、繋げていた霊気を無理矢理にぶち切ったから」
「はは、そうなのか。それで、こっちじゃなくて夕香さんの方を向いてたのか」
目の前の悪霊が依頼人を狙っていると分かっているのに、緊張すらせず自然体で二人は普通に会話している。当然、会話が聞こえていた佐藤夕香は曲がり角の向こうに居るのが、首なし霊だと感じ慌て始めていた。
「あのあの、お二人さん!?早くどうにかしてくださいよ!と言うか、逃げましょうよ!」
「無理ですね。あと少しで来ちゃうので」
秋の言葉に何が、と言おうとした佐藤夕香だったが、その言葉は口から出ることはなかった。何故なら、たった数秒に満たない瞬きの間に、もう視たくないと思っていた白い首なし霊が現れたから。
「ひょぇ………」
「あ。やっぱり、気を失っちゃたか」
変な悲鳴をあげ気絶して倒れた佐藤夕香を、いつの間にか横にいた秋が抱えていた。
「さてと、ちょっと貴女には少し離れてもらおうかな」
佐藤夕香を片手で抱え直すと、秋は空いている方の右手を横に一閃する。すると、首なし霊は勝手に吹き飛ばされていった。
「………んん?」
「どうかしたの、シュウ?」
「いや、これで切った筈なのに手応えが無くてね」
そう言って右手を少し握る。そこには引き込まれそうなほど黒一色の日本刀が在った。
刀身から柄まで真っ黒な刀だった。
「んー。もしかすると、悪霊じゃなくて生き霊かもしれないよ。もし悪霊ならいくら強い霊気を持とうが、これは退魔の力で問答無用で消し去れる。でも、生き霊だと生者との繋がりが在るから聞きづらいんだよね」
まぁ、本来の力を使えば殺せるけど、と小さく後付けするように小さな声で呟く。
それ以外は聞こえていたマリナが言ってくる。
「そう、でもやることは変わらない。そうでしょ?」
「まぁ、ね」
苦笑して答えると秋は依頼人の佐藤夕香を抱えたまま刀を構える。
曲がり角で霊の頭の方を押さえていたマリナがその様子を見て、
「後で姉さんに報告」
「それは止めてね!?あいつはすぐに嫉妬するから、それに怒るとホントに怖いから!」
「………」
マリナは何も言わず優しく微笑みを浮かべる!
「ちょ、何か言ってよ!」
「ねぇ、シュウ?人払いの結界と頭部の拘束、疲れるの。早く仕事してくれないかしら?」
「―――っ!あぁ、もう!分かったよ!後で覚えてるよぉ。オン・バサラ・ヤキシャ・ウン…」
ヤケクソ気味に秋が黒刀を正眼に構えて真言、金剛夜叉明王を呟く。これは強力な破邪の力、邪気を持つモノを祓う力を付与する。
真言を唱えながらゆっくりと歩いて首なし霊に近付いていく。そして、秋は真言によって強化された黒刀を、ユラユラと浮かび上がった首なし霊に振り下ろした。
速く静かに見惚れるほど綺麗な太刀筋。
「フッ!」
振り下ろされた黒刀は目の前にいた首なし霊を縦に切り裂いた。そして、切り口からまるで砂になっていくように消えていく。
すると、いつの間にか隣にいたマリナが体を伸ばしながら言ってくる。
「さぁて、早く帰りましょ」
「そう、だね………」
秋はただ一言返してもう一度消えていく、いや元の体の元に還っていく生き霊を見る。
「それはそうと、はやく依頼人を下ろして叩き起こしなさい。姉さんに言うわよ」
「ア、ハイ」
***
後日、佐藤夕香から首なし霊を見なくなったと言う話を聞いた。それと、お礼といって謝礼金三万ととある有名洋菓子店のシュークリームを置いていった。
悠人が目を丸くしながら言う。
「へぇー。俺っちが買い物でいない間に、そんな事があったんスね」
「いつも通り楽だったわよ」
「そうだねー」
秋が笑いながらそう答えてシュークリームを食べる。隣ではマリナが優雅にしながらティーカップを持ち紅茶を飲んでいた。
悠人が不思議そうに見つめながら言ってくる。
「そう言えば、今日はコーヒーじゃなく紅茶なんスね」
「何となくよ。まぁ、味なんて今一分からないけど、今日はそういう気分なの」
「そうなんスね………」
苦笑いを浮かべる悠人。
マリナは気にせず紅茶を口に含む。
「まぁ、依頼は達成したんだよ。今日はそのお礼のシュークリームを味わおう!」
「って、秋さん食べ過ぎッス!何個食べるんですか!」
「何個でも、ね♪」
「甘党はほっといて、紅茶おかわり」
「マリナ姉さんも飲みすぎ!もう少し味わったください!」
自由すぎる二人を注意するが、まったく話を聞かない。
悠人はため息をつきながら、この二人は本当に仕事以外駄目だなぁと思うと共にそれ以外は自分がしっかりしようと改めて心に誓っていた。
〈取り敢えず、マリナさんには紅茶の正しい楽しみ方からッス〉
「ねぇ、ユウトはやくして」
「はぁ………。分かったッスよ、今持ってきますね。でもその代わり、面白い話聞かせてくださいッス」
「良いわよー。ってか、ユウトって物好きよね。私達の怪異依頼の話が聞きたいなんて、普通はあまり聞きたくないものよ?」
〈はは、俺っちもそう思うッス。でも、聞いてて楽しいんですよ?二人の仕事の話は〉
悠人は心の中でそう答えつつ、紅茶を入れ始める。彼の珍しい唯一の楽しみである怪異の話を聞くために。
自然と彼の口元はつり上がっていた。
変わって、いつの間にか冷蔵庫のある部屋の一角にいた秋はプリンを取り出して皆の所に戻ろうとした時、ふと自分の事務机に置かれた少女の一枚の絵と同じ顔の人物が写った写真立てが目に映った。
遠い昔の事を思い出す。
とても昔の大切な人との暖かい思い出。
「………フフ。君の妹は元気にやってるよ、レナ。全然、君に似てないけどね」
愛しいそうに写真を見つめながら呟く。
窓に微かに写る秋の表情は、穏やかで優しく微笑んでいた。
「シュウ?残りのシュークリーム食べて良いかしら」
「え、ちょ、それはダメ!絶対ダメだから!」
慌てて意地悪な笑みをするマリナと苦笑いを浮かべる悠人の元に、いつもの笑みを浮かべた秋は慌てて戻っていった。
ここ便利屋『魔喰』の一日が今日も終わる。
 




