6 聞いてくれますか? 私のこと
それから二人で窓の外の景色を眺めていた。
少し遠いところに、白いタワーが建っているのが見える。
回りに高い建物がないので、そのタワーがすごく目についた。
あそこから海を見たら、どんな風に見えるんだろう。想像もできない。
「あれが気になる? すごく高いね。鉄塔かな。灯台かな」
小野木さんは私の視線の先を当てるように指をさし、私にほほ笑む。
「行ってみようか。ちょうどもう次の駅だよ。降りよう」
言い終わらないうちに彼は立ち上がり、私の手を引く。
小さな駅で降りたのは私達だけだった。
電車の中もほとんど乗客はいないようだったけれど。
彼は、一人だけしかいない駅員さんに切符を見せて、タワーまでの道も尋ねた。
私はただ彼の手をぎゅっと握ってついて行くだけだ。
「あ、あの。よかったんですか? こんなところで降りて」
「どこで降りたって構わないよ。目的地があるわけでもないしね。
ほらこの切符、二日間どれだけ乗ってもいいやつだから。
降りて乗って降りて乗って、色んなところが見れるよ。
あ、ここで曲がるんだって」
十分ほど歩いて、木々のトンネルに囲まれた長い階段にたどり着いた。
そこを上り切ると、一気に目の前の視界が広がった。
「わあ!」
大きな白いタワーが建っているのは崖の手前で、崖には柵がずっと並んでいた。
タワーの入り口にはチェーンがかかっていて看板が立てられていた。
「夏以外はタワーは解放されていないみたいだね。ざんねーん」
私は彼の手を離れて柵の方に近づいた。 右から左まで見渡す限りの青い海。
電車から見た海よりずっとずっときれいな青だ。
太陽の光を受けて、水面がキラキラ光っている。
こんな綺麗な景色、初めて見る。
「きれいだね」
横を向くと、小野木さんは優しくにっこり笑ってくれる。
屋上から飛び降りようとした私を止めてくれた。
見ず知らずの私に、傷を見せ過去の話をしてくれた。彼にとって、
きっと話したくないことだったのに。
・・この人なら、きっと私のこと、分かってくれる。
私のことを、聞いてもらいたい。そう思った。
「あのっ、小野木さん」
私はカラカラの喉を振り絞って言った。
「き、聞いてもらっても、いいですか? わ、私の、こと」
彼はこくりと頷いた。
「うん。もちろんだよ。そこに座ろうか」
私達は少し後ろの段差のところに腰を下ろした。
話そうと決めたものの、何から話したらいいのだろう。
「あ、あの、えっと」
「まなみちゃん、慌てなくていいよ。時間はたっぷりあるし」
彼はハイ、とペットボトルのお茶を差し出してくれた。お礼を言って一口飲む。
カラカラの喉に染み込んでいく。三回深呼吸をした。
「わ、私の家はお母さんと私の二人暮らしでした。
お父さんはどんな人か知りません。
お母さんは夜の仕事をしていて、夕方から出掛けて夜中とか朝に帰って来ます。
すごく大変なお仕事で、いつも疲れているから、わ、私が掃除とか洗濯とか料理をしてます」
彼は合間合間に小さく「うん」とか「そう」と相槌を打ってくれる。
私は俯いて自分の手だけを見つめながら話を続けた。
「お、お母さんはお酒を飲むと人が変わっちゃうんです。
あの、もともとすぐにカッとなって、私が悪いことしたり失敗すると、怒って、ぶつんです、けど。 それでも以前はそんなに酷くなかったんです。
でも、去年の夏ごろから、お母さんの恋人だって言う男の人が来るようになって、
・・・お母さんは、もう、・・・お母さんじゃなくなっちゃったんです」
左の手のひらに残るタバコの火傷跡。
これはずいぶん前のものなのに、ちっとも消えない。
袖から見える腕や服の下の体に付けられた無数の痣。
こんな醜い体、恥ずかしくて誰にも見せられない。
「夜中に帰って来て、私をたたき起こして、二人でお酒を飲みながら、
・・わ、私のことをぶつんです。
お酒のつまみを作れと言われて、遅いって蹴られて。
邪魔だって殴られて、布団に巻かれて押し入れに入れられたり。
冬になったら着込むから、跡がついても構わないだろってお腹も背中も、腕もぶたれるようになって。
毎日毎日、どんどん酷くなって・・・」
言葉が止まらない。今まで溜め込んで来たものが溢れ出て来る。
「き、昨日の夜中、お母さん、酔っぱらいながら私に上の服を脱げって言ったの。もたもたするなって 殴られて。
脱いだら、お、お母さんはナイフを持って、笑いながら言うの。
タトゥーを入れてあげるわって。ワタシもしてるんだから、おそろいよって。
男の人に押さえ付けられて、身動きが取れなくて・・・」
体がガタガタ震えて、私は両手で自分の体を抑えた。背中が痛い。
「それまでも何度かもう死にたいって思ったけど、
今のお母さんは異常だから、もしかしたらいつか以前のお母さんに戻ってくれるんじゃないかって、心のどこかで思ってて、踏みとどまってたんです。
昔は優しいお母さんだった、から。
けど・・・、それももう駄目、みたい」
私は自分の口から何が出るのか、自分でも抑えられなくて、口元を押さえた。
「だって、お母さんは私のこと、もう名前でさえ呼んでくれない。
あ、あの男の人が来てから、お前とかアンタとか、・・・も、物みたいに。
もうお母さんにとって私は娘でもなんでもない、ただの邪魔な物、なの。
もう、もう私のことなんて・・」
言葉に詰まった私を、彼は力強く引き寄せ、抱き締めた。
突然のことに驚いた。
けど、私の背中に腕が当たらないように、髪をそっと撫でてくれる。
彼の優しさが溢れる包容だった。