57 逆らえない命令
頭の中は真っ白で、何も考えられなくなっていた。
さっき見たのは本当にお母さん?
優しい声で、優しく私の名前を呼んだ。会いたかった、と。
最後に私を見つめる目・・
ぶるりと身体が震える。なぜだろう。
ユウに手を引かれ、ぼんやりと歩いて行く。
反対の手はまだ何かを握ったままだ。
三人で近くにあるカフェに入った。
「よかったわね、愛美ちゃん。お母さんと話せて。
お母さんはまたすぐにでも会いたいと言っていたけど、あなたはどうかしら?
まだ気持ちの整理がつかないんだったら無理に会うことないわ。
ゆっくり何度も会ううちに、あなたの心の傷も癒えるんじゃないかしら」
田島さんがほほ笑む。
「・・はい。どうもありがとうございます」 私は答えた。
ユウは時計を見て、慌てて席を立った。
「すみません。僕も父と話をすることになっていて、約束の時間なので行って来てもいいですか?
ここからすぐ近くの喫茶店で、三十分くらいで戻るつもりなので・・」
「ああ、いいわよ。その間、愛美ちゃんと世間話でもして待ってるから」
「大丈夫? マナ」
ユウは心配そうだ。私は口の端を上げて、笑顔を向けた。
「大丈夫よ。行って来て。お父さんと、ちゃんと話、しなくちゃね」
「ああ。じゃ、行ってくるよ。待っててね、マナ」
ユウが走って喫茶店を出て行って、私もお手洗いにと言って席を立った。
トイレの個室に入って、握り締めていた紙切れを開く。
『 二人で話がしたい 内緒で ひとりで戻って来い 』
急いでいたのか、殴り書きのような乱暴な文字。
どうしよう、と考えることはなかった。
何の迷いもなく、私はすぐにトイレから出て、田島さんにこう告げた。
「やっぱりユウが心配なので私もついて行きます。
今日はありがとうございました」
田島さんはすぐに納得した。
「分かったわ。また夜に電話するわね。それじゃあ」
にこやかに立ち去って行った。
お店を出て、私は走った。
急がないといけない。
どうしてそう思うのか分からない。
でも、お母さんがそう言うんだから、そうしなければ。
全力で走って、すぐにあのアパートに着いた。
息を整えることもなく、ドアを小さく叩いた。
「あの、おかあさん、私・・」
「愛美?」
ドアが開いて、腕を掴まれ、ぐいっと中に引き込まれてドアはバタンと閉まった。
一瞬の出来事だった。
「よく来たわね、偉いわぁ、愛美」
聞き覚えのあるお母さんの声。
目の前の光景に、私は呼吸を忘れ、目を見張った。




