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38 坂の上の源さん

翌朝もいつもと同じように起きた。

ユウくんの手をそうっと抜けて、部屋の隅で着替える。

洗濯機を回して、ホウキを持って、そっと玄関を開けて外に出た。

まだ薄暗いけど、空は雲が少なくて今日もとてもいい天気になりそうだ。

足も傷口は少しヒリヒリするけどそんなに痛くない。


通りを覗いて誰もいない のを確認して、いつものように新聞と牛乳ビンを持って階段を上がる。

いつもよりやはり少し足が重たく感じる。途中で少し休憩してまた上った。

新聞と牛乳ビンをいつもの場所に置いて、ほっと一息ついた。


「こらっ! お前か!」

「わ!」

突然の怒鳴り声に、全身がビクッと震え上がった。


「毎朝、毎朝、余計なことをしおって!

わしゃ、こう見えても若い連中より足腰はしっかりしとるんじゃ!」


仁王立ちの源さんが、鬼のような形相で目の前に現れた。

ズンズンズンと目の前に立ちはだかったかと思うと、腕をがしっと鷲掴みされて、古めかしくも立派な家に引きずり込まれた。

玄関を上がって、どんどん引っ張られ一番奥の座敷でようやくその手が離された。


「あ、あ、あ、あの、す、すみませ・・」


声が震えて、謝ることもちゃんとできない。

源さんはフンと鼻を鳴らしてどかっとあぐらをかいて座ると、小さなちゃぶ台に新聞と牛乳ビンを置く。


「取って食やせんから、落ち着け。わしゃ、お前と話がしたいだけじゃ」

「は、はい」


私も姿勢を正して正座をした。


「二、三週間前から新聞と牛乳が階段の上に置いてある。

配達の達彦は知らんと言いおった。・・お前かの?」

「・・はい」

「毎朝毎朝、なんでじゃ?」

「...か、階段がすごく長いから、大変だと思って。

す、すみません。勝手なことを・・」


もう一度深く頭を下げると、目の前に、どん、と牛乳ビンが置かれた。


「飲め」

「は、はい」


何がなんだか訳が分からなかったが、逆らうのは怖くて、急いで牛乳ビンのビニールを外す。

でもこのぴったりはまった厚紙の蓋は、どうやって取るんだろう。

爪で隙間から開けようとしてもできそうにない。

ゆきちゃんの銭湯でも飲んだことはあるけど、ユウくんが蓋を取った状態で渡してくれたから、開けるところは見ていない。

ビンを持って固まった私を見て、源さんはまたもやフンと鼻を鳴らして私の手から牛乳ビンを取り、指でズボっと押し開けて、牛乳まみれの蓋をポイとごみ箱に投げて、ビンを私に突き返した。


「あ、ありがとうございます」

牛乳はちょっと濃くて、甘くて美味しい。カラカラの喉に染み渡った。


「今までも、長い階段が辛いじゃろって、恩着せがましいこと言ってきた奴は何人かおる。じゃが三日も経てば終わりじゃ。

この階段の上にはわしん家しかないから、どこかに行くついでにっちゅーわけにもいかんしの。気まぐれの親切やええかっこしーの奴には続かんのじゃて」


源さんは顔を上げて、ギロリと睨んだ。思わずビクッと震える。


「なんで・・お前はずっとやっとるんじゃ。

しかも昨日はわしにあんなこと言われて、わしを嫌なジジイだと思ったじゃろ」

「そ、そんなこと思いません。わ、私が東京から来たのは本当のことですし、 は、ハナちゃんにケガをさせてしまったのも、わ、私の責任だと思ってます」


私は手にした牛乳ビンをぎゅっと握った。


「あの、か、勝手なことをして、すみませんでした。

私、この村にいさせてもらえること、 本当に感謝しています。

だから、だから、・・・何か少しでもみなさんのお役に立ちたくて・・」


顔を上げると、壁の時計の針が五時半を回っている。


「あ! す、すみません! 私、朝ごはんとお弁当を作らないと。

牛乳、ごちそう様でした」


ぺこりと頭を下げて行こうとすると、源さんが立ち上がった。

「ちょっと待てっ!」


部屋を出て行ったと思うと、ナベを持って戻って来た。


「持ってけ。ゆうべ炊いた粕汁じゃ」

「え? え? い、いいんですか?」


ずいっとナベを押し付けられ、慌てて受け取る。


「ナベは明日の朝、返しに来い」

それだけ言うと、源さんはフンとまた鼻を鳴らして奥に行ってしまった。


「あ、ありがとうございます」


襖に向かってお辞儀をして、こぼさないように慎重にナベを抱えて家を出た。

家に戻ると六時十分前。おばあちゃんは起きていた。慌てて台所に立つ。


ユウくんも起きて来て、みんなでの朝ごはんに源さんにもらった粕汁を出すと、二人ともすごく驚いた。

昨日あんな見幕で怒鳴ってたのに、一体どういうこと?とユウくんに身を乗り出して聞かれて、さっき家に上がらせてもらったことと、その理由を話した。


「えー、まなみちゃん、そんなに早く起きてたの? そんなことしてたなんて知らなかったなあ。

あー、外の履き掃除もしてたんだね。なんかまだ僕の知らないところで色々やってる?」

「そ、そんなことないけど」

「まなみは謙遜が得意じゃの。わしゃ、たーんと聞いとるぞ。

荷物を運んでもらったって佐藤のばあも喜んどったし、一平の母ちゃんも靴下の穴を縫ってもらって助かったと礼を言っとった。

ほんと働き者やの、まなみは。みんなに言ってもらえてわしゃ鼻が高いわ。

ユウも見習わんと」


はははとおばあちゃんは楽しそうに笑う。


「明日の朝、返しに来いって言われたんでしょ。

明日からもまた、新聞と牛乳のビンを持って来ていいってことなんだろうね。

すごいな。僕も源さんはあんまり話してもらえないんだよね。

僕も一緒に行こうかな」


そういう意味なんだ。嬉しいな。

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