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3 自己紹介

強引に握られているわけじゃないのに振り払えなくて、後をついて行くと、

「ここがうちだよ、どうぞ」と鍵を開けて三〇三の部屋に入った。


「これ、タオルと着替え。僕のだからちょっと大きいけど。

濡れた制服が乾くまでは着ていて。

僕はキッチンにいるから、なにかあったら呼んでね」


手際よく奥の部屋に案内されて、タオルと服を渡してその人は行ってしまった。

こんな迷惑をかけてしまっていいのだろうか。

そう思いながらも言われた通り、濡れてズッシリと重たくなった制服を脱ぐ。

下着まで濡れていなくてよかった。

大きいTシャツに袖を通す。半袖だったので、剥き出しになった腕の痣が異様に目立った。

スカートも脱いで ズボンを履いて、バスタオルを肩から掛けて腕を隠した。

濡れた制服を手に持ってそっとドアを開けると、キッチンから男の人がこちらに来た。


「服、でかいね。濡れた服はこの袋に入れて。バスタオルも濡れたでしょ。

こっちにもらうよ」

「あ・・」


腕を隠す物がなくなっちゃう。

思わずタオルの合わせ目をぎゅっと握って身を引いた。


「あーっと、うん。長袖の薄いパーカーかなんか、持ってくるよ。待ってて」


そう言って、その人は隣の部屋に入って行った。

私はただ驚くばかりだ。どうして、私の 言いたいことが分かるんだろう。





テーブルに置かれた二つのマグカップ。ほかほかと湯気が立っている。


「ココアだよ。どうぞ」

「あ、ありがとう、ございます」


そっと口をつける。

甘いカカオの香りと、心地よいあったかさが喉を通って行く。

ココアを飲んだのなんて、いつ以来なんだろう。ずっとずっと小さい頃、まだお母さんがまともだった頃、寒い冬に飲んだような気がする。


「・・・あったかい」


マグカップの中で揺れるココアから視線を上げると、自分を見つめる瞳と目が合って、慌てて俯いた。


「僕は、小野木ユウ。君は?」

「あ・・・、は、橋本、ま、まなみ、です」

「いくつ? あ、僕は十六だよ」

「あ、あの、十二歳、です」


小野木さんの声はとても静かで落ち着いていて、私の回りにいる男性とは全く違っていた。迷惑そうに眉をしかめる学校の先生も、母が連れ込む荒っぽい男の人も私には恐怖でしかなかったから。

まるで昔からの知り合いみたいに自然に話しかけてきてくれるので、私も答えることができた。声は震えていたけれど。

こんな風に穏やかに誰かと会話をするなんて久々で、緊張して声がうわずる。


「中一にしては小柄だね。あ、今日のお昼は食べた? まだならこれ、どうぞ」


そう言って彼は、テーブルのすぐ横の棚からごそごそとアンパンを取り出した。


「あ、い、いえ。あの・・・、も、もう帰ります」

「帰るって、どこに?」


どうしてそんなことを聞くのだろうと少し顔を上げると、

彼は真っすぐ私を見ていた。


「・・・あのさ。僕も、同じだったから、分かるんだよね」

「え?」


彼は立ち上がり背を向けると、Tシャツをめくり上げた。

「っ!」 私は息を飲んだ。

そこには縦に大きく切られたような傷痕があった。

もう完治しているようなのにこれだけハッキリと跡になっているんだから、どのくらい深い傷だったんだろう。


「見ず知らずの人間にこんな傷見せられて気持ち悪いな。ごめんね。

でも、あれこれ言うより一番分かりやすいかなって思って。

・・・僕もね、君と同じように自殺を考えて、ここの屋上に何度も足を運んでいたんだ。

だから初めて君に会った時、すぐに分かったよ。死にたいって思い詰めてること」


彼はそのまま私の横に来て、かがんで床に膝をついた。

椅子に座った私より低い姿勢だから、 俯いていても彼と目が合ってしまう。


「まなみちゃん」


小野木さんは私の名前を呼んで、私の手にそっと大きな手を重ねた。

触れられてビクリと体が反応したが、彼の手は温かった。


「死んだ方がましだって思えるくらい、辛い目に遭ってるんだね。

家で? 親、かな? だったら帰らない方がいいよ。うん、帰っちゃ駄目だ」


家に帰れば、またいつものように殴られる。鬼のような形相で睨む母の顔が脳裏をよぎって、体が震えた。


「い、家には、か、帰りたくない。

こ、このまま、消えてなくなりたい。 ・・・わたし、もう死にたい」


声が掠れる。

お母さんに殴られながら、何度そう思っただろうか。

死んだらこの苦しみから解放されるんだ、もう少しの辛抱だと、どれだけ自分に言い聞かせただろう。


「・・・そっか」

彼は小さくそう呟くと、よっと立ち上がった。

初めて会った人にこんなことを言ってしまって、変な子だと思われただろうか。

死にたいならさっさと勝手に死ねばいいのにって。 誰だってそう思うだろう。


「じゃあ、連れてってあげようか。静かに痛みもなく死ねるとこへさ。

ちょっと待ってて。 支度してくるから」

「え?」


小野木さんは奥の部屋に行ってしまった。

私の聞き間違いだったのだろうか。死ねるところへ連れてってあげようかって。

そう言ったの?

そんなところがあるの? いや、あるとしても、これ以上この人に迷惑掛けちゃいけない。

早くお礼を言って、ここを出なくちゃ。あ、その前に服を返さないと・・。


「おまたせ」

私があれこれ考えている間に、彼は少し大きめなショルダーバッグを持って戻って来た。 キッチンでごそごそと何かをバッグに入れて、テーブルの上に出していたアンパンも手に取る。


「あ、あの」

言わなくては。これ以上は迷惑掛けられませんって。私の問題なんだからって。


「まなみちゃん、行こう」


小野木さんは何の躊躇いもなく私の手を握って、ほほ笑んだ。

用意した言葉が言い出せない私の手を引いて、マンションを出る。



どこに連れて行かれるかも全然分からないのに、

小野木さんの手がすごくあったかくて、

戸惑いは感じるけれど、恐怖なんてこれっぽっちも感じなかった。

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