16 涙
次の日の夕方、おばあちゃんが畑に出ていていない時。
電話がなった。
私はお布団に座って裁縫をしていた。
台所にいたユウくんが電話を取ったようで、もしもし、と男の人の声が聞こえる。
「ユウ、まさかと思ったがやっぱりそこにいるのか」
「・・・父さん」
彼の声が強ばる。
私も手が止まる。お父さんからの電話、聞いてしまっていいのだろうか。
動こうと思えば動けるけど、この音量では隣の部屋に移動しても聞こえてしまう。
「なぜ、何も言わずに出て行った。今、一緒にいるのは誰だ?
部屋に女子の制服が置いてあった。お前は一体何をしている?」
厳しい声。電話越しに私のことも見透かされているようでギクリとして、私はその場で固まった。
「別に僕はやましいことをしてる訳じゃないよ。
彼女は家庭に問題があって帰れない。だから一緒にここに来てるだけなんだから」
「相手の親は知っているのか? 黙って連れ出したのなら犯罪だぞ。
相手の親に、誘拐で訴えられてもおかしくない。
いいか、これ以上軽率な真似をするな!
お前のおかげで私がどんな目で見られるか・・」
「相変わらずだね、父さん」
電話の向こうの荒げた声とは対称的に、ユウくんの声はとても落ち着いていた。
「父さんは、僕の言うことなんか、何一つ信じてくれないね。
心配しなくていいよ。ちゃんと家庭相談所の人に入ってもらって、法律的にきちんと解決するから。
そっちにはもう戻らないし、父さんには迷惑かけな・・」
ブツリと向こうから切れたようで、
ツーツーツーという電子音までやたら大きく響いていた。
すうっと襖が開く。ユウくんは私の隣に座った。
「あ、あの・・ごめんなさい。話、聞いてしまって」
「うん? いいよ。ここの電話は丸聞こえだってわかってるからさ」
「あの、えっと」
何か言いたいけど、こういう時、何を言っていいのかわからない。
「うん。・・・聞いてくれる? まなみちゃん」
「う、うん」
ユウくんは少し困ったように眉を寄せた。
「何から話そうかな。母さんに刺されて入院したことは前話したよね。
あの続き。
退院してからは、家に警察や児童相談所の職員が毎日のようにやって来たんだ。
何があったのか全部話すと、大変だったね、よく頑張ったねとか優しい言葉を
掛けてもらったよ。・・・表面上はね」
ユウくんは足の上でこぶしを握って悔しそうに眉をひそめた。
「・・・僕の話なんて誰も信じてなかった。特に父は。
息子の家庭内暴力が発端で、それで自分は正当防衛で息子を刺してしまったんだって、母は泣きながら訴えてたそうだよ。言葉巧みにね。
それを聞いた父は、僕を殴った。お前は最低だって言って」
ユウくんは言葉に詰まり、両手で顔を覆う。
私は相槌も打たず身動きも取れずに、ただ黙って聞いていることしかできない。
「僕の背中の傷を診た医者が、正当防衛なんかじゃなく明らかな殺意があったって判断して、それでようやく僕の言い分が認められた。
・・それでも、父は僕を信じなかったし、それ以来、僕のこと疎ましく思うように
なった。僕や母が起こした家庭内の問題で、会社や近所に白い目で見られることが父には堪えられなかったんだ」
顔を伏せるユウくんが、泣いているように思えて、私は彼の肩に手を伸ばした。
手は震えたけど、今すぐ抱きしめてあげたいって思った。
前、私がそうしてもらったように。
どうして、お父さんは彼を信じてくれなかったのだろう。
どんなに彼が苦しんでいるのか、わかっているのだろうか。
彼がこんなに悲しそうな顔をしてること、知っているんだろうか。
かなしい。胸が締め付けられる感じ。
視界がぼやける。
顔を上げた彼は、目を大きくして、すぐにくすりと笑った。
泣きそうな困ったような顔で。
「まなみちゃんは、すごいな」
「・・?」
「家でのことを話してくれた時も、電車で傷が開いた時も、手当ての時も、泣かなかったよね。強いんだなって思ったよ。
なのに、僕のことで・・こんなに簡単に泣いちゃうんだ。
人のために泣けるって、すごいことだよ」
そう言われてハッとして自分の頬を触る。自分が泣いていることに驚いた。
ここ何年も泣いた記憶などなかった。
痛くても、辛くても、泣くことなんてなかった。
もう涙なんて枯れてしまって出てこないと思っていたのに。
そっと私の目元を拭いながらユウくんは、ありがとって言った。




