1 さよなら、おかあさん
・・もう、限界。
家にも学校にも、私の居場所はどこにもない。
生きてたって、苦しいだけ。つらいだけ。
だからもう、終わりにしよう。
覚悟を決めて、一歩、一歩と足を進める。
ぐるりと囲まれている柵の先には、青い空が広がっている。
鳥が優雅に弧を描いて飛んでいく。
早く私も、そっち側へ行きたい・・・。
日記帳を取り出して、鞄の上に置く。
これには今日までの私の日常が綴られている。
誰かが・・・警察がこれを読んだら、私がどうして死を選んだかよく分かると思う。もし先に母親が手にしたなら、燃やすなりしてすぐに処分されてしまうだろうけど。
柵に手をかけると下の景色は思った以上に遠くて、手がガタガタ震える。
緊張で喉がカラカラになっていく。
大丈夫。
飛んでしまえば一瞬で死ねるんだから。痛いのも一瞬だけ。
怖くない、怖くない。
そう自分に言い聞かせて、震える足を柵に掛けようと動かした。
その時。
「あれ? 人がいるなんて珍しいな」
突然開いたドアと男の人の声に、私の全身はビクッと震えた。
「どうしたの? なにか、落とした? だいじょうぶ?」
声と足音はこちらに近づいてきた。きっと、ここのマンションの住人。
落ち着いた声。大人ではない。中学生・・高校生くらい。
怖い人ではないようだけど、飛び降りようとしているなんてバレたら捕まってしまうかもしれない。
「い、いえ・・・。あ、あの、勝手に上ってきて、すみませんでした」
目を合わせるのは怖い。
早口で謝り頭を下げたまま、日記帳を鞄に押し込んで、その場から逃げるように駆け出した。後ろで「あ、ちょっと待って!」とさっきの人が呼ぶ声がするけど、止まらずに走った。
しばらく走って、息が苦しくなったので速度を落とした。
・・・せっかく、覚悟を決めたのに。今日も、終わりにできなかった。
はあっとため息をつき、鞄を抱えなおす。
帰りたくない。
でも、他に行くところもない。
・・・家に、帰る、しかないか。
私は重い足を引きずるように、とぼとぼと家路についた。
*****
翌朝、寝返りを打とうとして背中の痛みで眼が覚める。
「いっ・・・」
声が漏れそうになるのを唇を噛んで耐えた。
目覚まし時計を見れば、まだ六時前。
ゆっくりゆっくり体を起こして、音を立てないように静かに着替える。
ところどころ破れてボロ切れのようになったパジャマを脱ぐと、青黒い痣が醜く身体中に散らばっていた。
酒を飲んだお母さんから気まぐれに殴られることにはもう慣れてしまった。
いつからか、なんて思い出せない。
ただ昨晩は今までとは違って、刃物を持ち出してきたから、正直もうダメだと思った。カッターナイフを片手に高笑いをする母は、異常としか思えなかった。
思い出して背筋がゾクッと震える。
早く、着替えて、ご飯を作って、ここから出て行かなくちゃ。
これ以上ここにいたら、殺される。
肌着のシャツを脱ぐと、背中に当てたタオルが張り付いていた。
無理に剥がすとまた出血するだろうし、そのまま上からシャツと制服を着た。
大丈夫。もうほとんど痛くない。我慢できる。
音を立てないようにそうっと部屋の隅の流し台の方に移動する。
小さなアパートだから、物音で朝から起こしてしまうと鬼のように怒られるので、気をつけないといけない。
部屋の奥の襖の隙間から、男と重なるように眠っている母の姿が見える。
ご飯を作り終え、散らかった部屋を大まかに片付けると、
ここに私がいる理由はもうなにもない。
「さよなら、おかあさん・・・」
絶対に聞こえないような小さな小さな声でささやき、
私は鞄を抱きしめてアパートを出た。
初めての投稿です。
どうぞよろしくお願いします。