1 week 1 month 1 more time!
第一章 1 week 1 month 1 more time
「えーっと…真悟君、だね。全治一週間だから」
カルテを見つつ、壮年の医者が俺にそう宣告した。
ゴールデンウィーク初日、姉である戸隠天音の原付を借りてラーツー(昼に即席ラーメンを食べることを目的としたツーリング。某所で流行っている)に行った帰りに縁石へ乗り上げた俺こと戸隠真悟は歩道へ見事なダイブをキメたあげく足を打撲した。正確に言えば打撲じゃ無いらしいが。とにかく全治一週間の怪我をした。
「…ってことは、ゴールデンウィーク明けの学校には間に合いますよね?」
隣で心配顔の天音姉が尋ねる。彼女もまた、自分の原付がおじゃんになった上、弟の病院搬送にまで付き合わされるというとんでもないゴールデンウィーク初日をキメている。他人の心配している場合じゃないのは分かっているものの、どっちかっていうと天音姉の方が不幸度合いでいえば上だと思う。
「えぇ…予定通りなら問題ないでしょう。幸いお休みなのでゆっくり治してくださいね」 「ありがとうございます…よろしくお願いします…」
「真悟くんもお姉さんにきちんとお礼をするんだよ。せっかく良いお姉さんを持ってるんだ。心配掛けないよう気を付けなさいよ」
「あ、はぁ…すんません」
心配顔の天音姉と、ポーカーフェイスにやや呆れの色が混じった医者の目がこちらに向く。
「それじゃ、病室に移動しましょう」
看護師に連れられ、俺は一週間ほど世話になる病室へ向かった。
五分後、個室に案内された俺と天音姉を残し、担当の医者は看護婦と席を外した。
「……何か言うことないの?」
「弁解の余地すらございません」
「ないの?」
あるなら教えて欲しい。
足を怪我してなかったら正座をさせられていただろうが、あいにくその足を怪我しているためベッドに横になりながら謝罪会見を開かされている。身体で反省の態度を取れずヒジョーに居心地が悪い。
「まぁ、原付の件はひとまず置いとくとして…」
「えぇ…どうしようもないですし、そうして下さると…」
「さっき、お父さんたちにメールしておいたから」
「電話じゃなくてか?」
心配性の天音姉にしては珍しい。実の息子が入院ってなったら飛んできても良さそうなものの、実際ここにいるのは姉だけだ。
「…掛けたら『メールで頼む』って」
そういって天音姉は俺に携帯の画面を見せる。
画面には現状を伝えた長文の後に書かれた両親それぞれの手短な返信が映し出されていた。
『真悟良かったな!美人のナースさんと一週間お泊まりだ!やったな!(父)』
『真悟のお小遣い一年分差し押さえてスクーター買ってあげるから心配しないでね(母)』
一瞬の沈黙の後、沈黙を破ったのは当然、俺だった。
「原付の件、もう解決してるじゃねえか!」
しかも予想通りの解決法で。俺にこの一年間どう生きろっていうんだ。
「ちょっと抜けてるっていうか…実の息子が入院するっていうんだから、もうちょっと心配してくれてもいいのにね…」
「おいちょっと聞けよ!むしろ退院してからが本番だろ!」
「もう少し大げさに伝えた方が良かったのかも…明日は必ず来させないと!」
「いやもうどうすれば…部屋に何か売れそうなものあったか…?新聞配達するにしても何時に起きれば良いんだ……」
入院して五分も経たない内に退院後に待ち受ける深刻な死活問題に立ち向かう患者がそこにいた。
貯金もロクにしていない俺の元に残された予算は一月分の小遣いにも満たないわけで今後永きに渡る困窮した生活になんとかして目処を立てようと頭をフル回転させたものの、どう計算したところで破産は目に見えていたのである。いずれにせよこの一週間やることができた。これ解決しない内に退院するわけにはいかない。どうすりゃいいんだ……
「ちょっと聞いてんの?」
天音姉が頭を抱えて呻く俺に問いかける。
「なんだよ、こちとら退院後の生活プラン構築でそれどころじゃないんだ」
その言葉を聞くなり、姉様はニヤりと笑う。
「ほうほう、お困りのようで」
「いっそ入院し続けるのもアリじゃないかと考え出す程度には」
「…その問題をなくしてあげるって言ったら?」
希望の光(?)が一筋差し込む。
「……つまり?」
「お小遣い一年無しっていうのを取り下げたげる。加えてお小遣いアップもわたしから打診してあげてもいいかな」
「マジ?」
「マジマジです」
ニコニコしながら天音姉は椅子に腰掛ける。そりゃあもう良い笑顔だ。
「ぜひお願いし……
……ちょっと待った」
いやいやいや、待て待て。
あまりにも好条件過ぎる上に天音姉自身には全くメリットがない。これを罠と言わずして何になる。うかつに返事をしては行けないと内なる理性が俺をすんでの所で留めた。
まずは提案の全体像を把握しないと。よくあるやり口だ。結局こっちが損するって展開だけは困るし、万が一に天音姉様の好意だとしてもそれを確認するのは悪いことじゃない。
「…天音姉に質問です」
「はい、どうぞ?」
慎重に言葉を選ぶ。この千載一遇のチャンスを取り上げられたら大変だ。
「それを私が受けた場合、天音姉も満足される何かがあるんでしょうか?」
「んー…あるかな」
「具体的に教えていただけると後生のためになります」
これは本音だ。後生(退院後の生活)に響くからな。
そして案の定、姉が渋る。やっぱり何かあったか。
「部活に入ってもらいます」
「部活?…まさかおい――」
「山部です」
天音姉はまっすぐ俺を見ながら、そう言った。
山部は天音姉が一年前まで通っていた俺の高校、池野町立高妻高校にある部だ。
高妻高では北アルプスの麓に位置する場所柄、山岳系の部活動・同好会活動が非常に盛んで、中でも二強といわれている『登山部』と『山部』は部員、実績、予算の各面において格段の力を持っていた。生徒会長は基本的に山部か登山部の部長が務めるし、生徒総会、予算会議の場においても彼らの意向が学校全体の意向に繋がるといった具合でもはや政党と同じじゃないかと俺は考えている。
ただ権力だけの部活という訳ではなく、毎年あちらこちらで「国体で山部が賞を取った」「今年は登山部がインターハイで優勝した」といった噂を聞いていたので名実ともに学校を代表する部活としてどちらが優れているかを常に競っていたらしい。規模もまた同程度に拮抗し何より部活としての歴史も学校創設以来共に最古の部活という具合だ。
そして何より『組織間の対抗意識』っていうのがもの凄い。
体育会での対抗試合から始まり、学内での友人関係なんかにも響いてくるところがあったりする。これは親がどちらかの部活に入っていた→元部員同士が仲が良いため子供も自然とそのグループで遊ぶようになる→その関係が高校まで続く、といった具合に自然とコミュニティができていたという理由もあるが、『一部の愛部精神溢れる親の子』で山部、登山部の親が「所属していなかった部の子とは仲良くしない」、みたいなことを言うのだ。
勿論、親がその二つの部に入っていなかったり、あまりその辺を気にしないって人が時代と共に増えていったため、そんなことを言うのはごく少数であるものの、事実そういった風習は未だ残ってる。
そんな山部と登山部関係であるが、去年の学年末に大問題が起きた。当時の山部部員内で部の方針についてもめ事が起きたために、ほぼ全部員が他の部へと散り散りになってしまう事件があった。事件自体は『登山部派の台頭』という形で学校全体に大きな影響を及ぼしたものの、具体的に『何があったか』については当事者間で揉み消されたらしく、俺もその真相は知らない。そのため現状では休部状態となり、今年の春に発足した生徒会には登山部が主要メンバー全てを固めたのだった。天音姉は元山部の会計担当で生徒会の書記も務めていたが当時はすでに引退済み。どうやら本人も話の全てを把握してるわけじゃないらしい。
ともあれ、『触らぬ神(山部)に祟りなし』学内で力を持つ山岳系部活で起きたこの問題に下手に首を突っ込むとロクなことがないことは見え透いているので、この山部問題を知る現二年生以上は皆、詳細は知らないものの余計な波風を立てないよう山部の話は一切しなくなった。
言わば『触れちゃいけない腫れ物』扱いというのが山部の学校でのポジションだ。
読めてきた。おそらくこういうことだろう。
「つまり山部が廃部になる前に俺を入れて部活を再興させようってか」
ありがちな話だ。
「さすがにそこまでは言わないけど、現状の山部を見てると何だか情けなくって」
天音姉は続ける。
「あの時、自分の知らないところで部が解散状態になっちゃったから、すごく心残りなんだよね。それにお父さんたちも表面上ではああだけどOB会なんかでは私たちの代に対してすごい怒っちゃって。『教育の不行き届きだー』って」
「あの親父が?」
そう。先ほど息子の入院にふざけたメンションを返してきた俺の両親も、実は共に高妻高山部の出身、というより俺の家、戸隠家ではいつぞやか代々山部に所属するのが伝統になっていたので祖父母の代から山部であり、祖父と親父は共に部長であった。中でも親父は一番部員数が多かった時の部長ということで、今でもOB会でかなりの力を持っている。
『山部、登山部の部長経験者』と言えば地元ではかなり名を馳せていて、山小屋の管理人やアウトドアショップの経営者などにとどまらず町議会議員、町医者なんかもOB会という括りがあり、街中で俺を見るなり「戸隠の坊主」と声を掛けてくる。正直俺が山部に入っていない理由がその辺の絡みが面倒この上ないってところが大きい。
しかし、意外な話だ。普段の親父は言動こそテキトーなものの、古い慣習や非合理的なものには従わなくても善し、として山部に対しても『立場になければ口出しせず』といった形で常に活動には見守るというスタンスを崩さずにいた。『山部伝統の戸隠家』の俺が帰宅部ライフを満喫させていただけるのも親父の理解あってのことで、俺はそんな親父に感謝や尊敬の念を持っていた。本人には言わないけど。
ただそんな親父が声を荒げるレベルってことは分かってたものの山部自体が本当に存亡の危機なのかもしれない。そんな状況とあれば俺の出来ることがあるのであれば手伝いたいし、それが部活に入ることで解決するなら入部するのも吝かじゃない。
しかしだ―――
「あのな…渦中の山部に単身飛び込んで何になるって言うんだ。どうせ一人じゃ何もできないし、騒動の理由を掴めなきゃかえって問題を深刻化させかねないだろ」
部外者である俺が何も知らぬまま、山部問題に首を突っ込むようなことをすれば、旧山部の連中に対して活動の邪魔をしかねない。そんな真似誰も望んでないだろうし、それに至っては俺自身も同意だ。
「それでもどうにもならなかったら?結果まではさすがに保証しきれないし―――」
「んー」
「……けど山部ってかなり部費が掛かるんだろ。俺にそんな持ち合わせなんて
…あー、なるほど」
小遣いアップの件はこれか。
「!だから…それでね!」
もう良いか。医者にも「お礼をしろ」って言われた傍だし、何より一ヶ月限定、しかもそれで今回の件は不問になるって言うんだ。ここは『お姉ちゃん孝行』ってことで手を打とう。
学校全体を巻き込んだ山部。何が起きて、今どうなっているのか。気になるところではあったし、空気が読めない部外者の俺が今更入ろうとも余計なことさえしなければ登山部の連中は目にも留めないだろう。それにどうにもならなければ廃部の申請もついでに出せば良い。
当事者の弟として成すべきことをしたとなれば誰も攻められないはずだ。
「いや、もう分かりました。どちらにせよ飲まざるを得ないし」
こうして小遣いアップの裏を含めた話の全貌が明らかになり、最終的に俺の一年二ヶ月に渡る帰宅部ライフは幕を閉じることとなった。