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『よろしく』
名前の無い女の子にそっと手を差し出すと女の子はつられて小さい手を差し出した。
差し出された手を軽く握る。
『えっ?』
すると、どうだろう。女の子の手は一瞬で水になって地面に勢いよく落ちて呆気に取られていると、
女の子の手はまた元通りになっていた。
『………』
『………』
しばらくの間だけ、沈黙が走った。どうにも説明しがたい状況なのだからだ。だがこのままでは話が進まない。
『不思議だね!』
本当なら不気味に思うのが自然なのだが、この時はなぜか彼女の持つ不思議な魅力に気を取られた。
『クラゲ!クラゲだ!体のほとんどが水だからクラゲ!ってどう?』
途端に嬉しそうな顔をしてくれた。気に入ってくれたみたいだ。
『家に来る?』
『ただいま~』
『あっ、おかえりー。…っとその子は?』
『あぁ、この子はねクラゲって言うの』
『くっ、クラゲ?』
僕がそう言うと、母さんはププと腹の底から湧く笑いをこらえた。腰をかがめてクラゲと視線を合わせる。
『こんにちは、クラゲちゃん』
挨拶のつもりだろう。クラゲは軽く会釈して僕の背中にそっと顔を埋める。
『あははっ、かわいい子だね。俊吾』
『うんっ』
『ねぇ…、あなたお母さんとかは?』
すると、クラゲは首を横に振る。
『お家が無いの?』
母さんの問い掛けに女の子は不安そうな顔を浮かべながら首を縦にゆっくりと動かす。
ビッショリ濡れた女の子の髪の毛をそっと触ると母さんはにっこりと笑う。
『いい髪の毛持っているね。サラサラでつやつやしている。私は小百合っているの。分かる?さ・ゆ・り』
『しゃ…ゆゆ』
『今タオル持ってくるから。そのままだと大事な髪の毛が痛んじゃう』
その日から、僕の食卓のお皿は3枚に増えた。
雨脚が徐々に弱くなってきた気がする。
傘の布にあたる雨の音の間隔が徐々に長くなってきているからきっと雨自体はかなり小降りになってきている。
多少重くなったゴミ袋はまだまだ余裕でゴミが入るスペースが残っている。
車道を走る車の数も朝の通勤ラッシュと比べて何倍も少なくなってきている。今頃大人たちは会社で仕事を始め
普通の学校に通っている生徒達はつまらないあるいは、面白い授業を受けているのだろう。
「おっ!?」
アスファルトに溜まった水溜りに思わず靴をはめた。白い運動靴は跳ねた水で茶色くなり水が染み込む。
ジャージと靴下も水溜りの冷たい水が染みて、歩く度に蒸し暑い気温なのに足元だけが妙に寒い。
「最悪だ…」
中学校に進学し、4ヶ月ほど経った頃クラゲの不思議な力を目の当たりにした日を俺は覚えている。
『あぁ!ほらっ言わんこっちゃない』
『ぬっー』
水溜りに足をはめて転んで尻餅をついたクラゲは頬を膨らませている。どこかのダダッコみたいに。
『全くしょうが…うわぁぁ』
“しょうがないな”を全て言い終わる前に自分も雨で濡れ滑りやすくなっていたタイルに見事足元をすくわれ
クラゲと同様に大きく尻餅をついた。
『痛ぇぇ~』
『プッハハハ』
『笑うなぁ!うげっ』
うげっと言った理由は、膝を大きく擦りむき、そこから赤い血がドクドクと流れていたからだ。
この年になってこんなドジを仕出かすとは…、我ながら褒め称えたい。
『うわぁ、最悪…』
すると、血を見たクラゲはすぐに俺の膝に駆け寄ってその傷口をクンクンに追い出す。
『どっ、どうしたの?』
言葉の分からない彼女に聞くのも何とも変な話だが一応聞いてみる。しかし返事が返されることは無い。
彼女がそっと、傷口に手をかざすと数秒間傷口が変な感触に襲われる。
気持ちいいというか、心地いい。今までに味わったことに無い心地よさ。
それから開放されるのに20秒ほど掛かりクラゲが傷口から手を離すとこける前の綺麗な膝に戻っていた。
『あっあれ?』
傷口が無くなっている事に驚き、クラゲの顔を見つめると得意そうな顔を浮かべている。
『フッ…、ありがと。クラゲ』
立ち上がって彼女の頭をなでるとクラゲは嬉しそうな笑顔を浮かべる。
何時の間にか、クラゲの背より自分の背の方が何倍も高くなっていた。




