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中村ひろしです。

えぇっと、とにかくよろしく。

つづくらしいんで。

家向かいの三島とは幼いころから親子ぐるみの付き合いがあった。

母親は高校時代の親友同士。父親は中学の時のクラスメイト。何の因果なのか、彼との繋がりは図らずとも浅からぬものになったのだ。

幼いころ、四、五歳あたりまでは彼の方が強かった。

お互いにヒーローものに憧れているような無邪気な子供だったから、遊びはもちろんヒーローごっこ。近所の友達は全員ヒーローになって蹴ったり叩いたり遊具から飛び降りたり登ったり。

そんないいかげんなヒーローごっこで起こる些細なケンカで彼は負けたことが無かった。彼は容赦がなかったのだ。無邪気なゆえに加減を知らない。だから、彼は強かった。

おれはそんな三島に憧れやうらやましさに近い感情を持っていたんだ。

しかし、そんなヒーローごっこなんかも小学校にあがれば終わった。

仲がよかった連中とは組がみっつあったからうまく分断されたし、三島とも組が分かれておれは孤独になった。もちろんすぐに友達をつくることに成功した。勉強も母が教えてくれていたから平仮名は一通り書けていたから他の友達より授業をすらすらと受けることができた。おれは学校が楽しかった。授業はわかるし他の友達もできておもしろい。給食もおいしかった。

そんなあるとき、久しぶりに三島を見たのだ。

彼は真新しいランドセルを無造作に放り投げて砂場でひとり遊んでいた。

まだ日が高いころだったと思う。そのときのおれが知る限り、彼がひとりで何かしているところを見るのははじめてだった。三島はどんな時も必ず誰かをそばにおいて遊んだりいたずらをしていた。

だから、彼がひとりでいたのを見たのはこれが初めてだったはずだ。黄色い帽子の下に落ちた影で彼の顔はひたすらに暗く見えた。

前だったらすぐに彼に駆けよっていっただろう。けれど、そのときおれは彼に駆け寄ることはしなかった。彼に背を向けて家の方へ全速力で駆けたのだ。家に帰ったおれは迎えてくれた母が訝しげに首を傾げたのに笑って背負っていたランドセルを差し出した。

なんで駆けだしたのかはわからない。ただ、彼に抱いていたものがその時にすべて崩れたのは確かだった。幼いころの身近な友人に抱いていた憧れと羨望は砂の城のようにもろく崩れた。


中学二年に上がった春。おれはひとめぼれというものを経験した。

今年中学にあがった一年の少女。名前を田中梓。彼女のどこに惚れた、という具体的な好意の象徴というものは無いけれど入学式のときに名前を呼ばれた瞬間に立ちあがった彼女を見て恋に落ちたのだ。

恋に落ちる。うん、まさに落ちる。ことん、と何かが心のデコボコにはまったようなしっくりとした感覚。思わず見つかった、と呟いてしまって隣の席の男子から変な眼でみられてしまった。

田中梓。茶色のふちの眼鏡をかけたかわいらしい少女。特に彼女と接触する機会もつもりもないけど、おれはとにかくどこにいても彼女のことを見つけることができるようになった。

「おー! 中村、おまえ最近調子いいな! なにかあったのか」

「いいえ。ちょっと……」

「なんだよ、黙り込んで。はーん、隠しごとか? いいねぇ思春期」

「からかわないでくださいよ」

所属するサッカーチームの仲間との関係は良好。技術も体力も上がってきて、二年の初めで確実にレギュラーいりを狙えた。学校の勉強との両立。勉強は学校の授業とサッカーが終わってから二時間の自習。睡眠時を削っての勉強はなかなかはかどらないが、そうでもしないと今の順位の保持は難しい。

学校での唯一の息抜きはたまに見つける田中梓さんを観察する時と、友達と馬鹿やって騒ぐ時、給食の時間。おれはなかなかギリギリのところで頑張っていると思う。

「ひろし、三島さんちにリンゴ持って行ってよ。おすそわけ」

「はーい」

読んでいたサッカー雑誌をおいて母のところへ行く。

「はい。電気がついてたからきっといると思うから」

「うん、わかった」

ビニール袋の中には5つのリンゴ。さっさと靴を履いて出ていって向かいのドアフォンをならした。

「はい」

「中村です」

「あら、もしかしてひろしくん? 久しぶりね。カッコよくなって。待っててね、あのこ呼ぶから」

「え、いえ、そんな」

ドアを開けて出てきたのはおばさん。おばさんはせっかちで、おれがもっていた袋に気付かないで彼を呼びに行った。

「……なんだよ、ひろし」

「あ、久しぶりだね。いや、リンゴをおすそ分けしにきたんだけど勘違いしたみたいで」

「あっそ。ありがと。……それだけ?」

「あ、うん」

「そう。じゃ」

「え、あ、じゃぁ」

久しぶりに見た彼は髪を短く切っていた。そしてあまりにもそっけなかった。追い出されるような感じで外にでたおれは少し苛立った。

「なんだよ、無愛想な奴」

昔とは全然違う。


彼のうわさはあまり聞かないし、聞いたとしてもいいうわさとは言えない。

彼はおれよりテストの点がうんと悪かった。

彼はおれより運動ができなかった。

彼はおれより友達が少ないようだった。

おれは幼いころ、彼に勝てなかった。ところがどうだ。おれは今彼のうえに立っている。

昔の、崩れたとはいえ憧れと羨望の矛先を向けていた彼におれは勝っている。そう思うと不思議な高揚が手に入った。

気分の高揚を自覚し始めたそのころから、おれは執拗に彼にかまうようになったのだ。中学三年になって同じクラスになってからは特に。


中学三年。最上級生と呼ばれる学年に上がったわけだが、とくに変わった様子はない。担任が受験受験と繰り返すようになった以外は。

三島は必要以上におれに関わらないようにしていた。

一緒に帰ることは無いし、話だってこちらが持っていくしかない。邪険に扱うことはしないが返答はそっけなくこちらをみる眼差しは訝しむような色と強烈な劣等感がにじむようだった。

この年、おれはサッカーチームで攻撃の要として活躍できるようになった。

何もかもが充実している。友達との関係も良好。田中梓さんとの接触だけは未だにできないけれど、できないなら別にしなくてもいい。おれは彼女を遠くから眺めるだけで十分だから。


「なぁ、テストどうだった? おれさ、今回数学やばかったんだよな」

「そうか」

そっけない返事。でも一瞬だけこちらを向いた彼の顔。あれは屈辱に歪んだ顔。

「なぁ、今日の体育めんどくさいよな。リレーの練習なんてなんの役に立つんだか。走るよりも遊びたいよな」

「そうだよな」

そっけない返事。でも何気なく覗いた彼の表情は悔しさに歪んでいる。

「なぁ、島崎がさ、新しいゲーム買ったから一緒にやろうって言ってた。お前もこないか」

「いいや、俺。お前が誘われたんだろ?」

拒否の言葉。でも彼の笑顔でも瞳の中の感情までは消せていない。嫉妬の表情。後ろで島崎の嫌そうな顔が見えた気がした。

「なぁ、おれ試合でレギュラーとして使ってもらえるようになったんだ。ちょーうれしい!」

「そう」

わかりやすい嘘を混ぜた。案の定彼は悔しそうな顔。おれはしってるんだ。三島がベンチ温めで試合に使わせてもらえなかったから野球をやめた事。

「なぁ、高校、どこ決めたんだ? おれ、S高行くことにしたんだ。一応A判定だぜ!」

「すごいじゃないか」

表だけの褒める言葉。知ってるか、三島。お前もう繕いきれないくらいに顔が歪んでるんだぜ。


たのしい! 楽しい! たのしい! ものすごく、たのしい!!

三島の歪んだ顔を見るたびに、隠しきれない負の感情を向けられたときに、感情が高ぶる。

なんというのだろう、彼のうえに立ってるのを自覚したから。

一時でも、幼いころでも、崩れてしまっていても、嫉妬を向けていた彼に嫉妬されるなんて。

たのしい。たのしい。たのしい!!


「あのさ、三島」

「うるさいんだよ」

「は?」

いつものように、得意げになって三島の劣等感を刺激するような言葉を言おうとした時。三島の机に手を置いて見下ろすような格好で話しかけた。

三島は、おれの言葉を遮って小さいながらはっきりと言った。

うるさいんだよ、と。

目を見開いて三島の顔を見下ろす。髪の陰になって瞳の色も窺えない。

苛々した。

なんだよ、三島。お前はおれよりうんと劣ってるだろう? そのくせして、おれに対してうるさいなんて……!

「な、なんて言ったんだよ、い」

「うるさいって言ってるんだよ!!」

机を両手で叩くようにして立ち上がった三島。机をたたいた音と勢いに負けて椅子が倒れた音が教室に響き、教室にいて騒いでいた奴らが訝しげにこちらを見て会話をやめた。

ぎろりとこちらを睨みつけるような暗い瞳におれはぞっとした。

「お、おい」

「お前は知らないんだろ。お前に対しておれがどう思ってるかなんて。うるさいんだよ、ほっとけばいいだろおれなんて。うるさい、うるさいんだよ、お前は。おれはお前のことが大嫌いだ!!」

三島は、廊下側に立っていたおれを押しのけて教室を出ていった。

「お、おい。ひろし、大丈夫かよ」

「あ、ああ。大丈夫」

背中から肩に手を置いて、驚きと心配を現した島崎が、おれの顔を見ると教室の入り口の方に目をやった。

教室の中は、ざわざわと落ち着かないように揺れている。

「あいつ、なんなんだよ」

あからさまな嫌悪を浮かべて、島崎は三島の出ていった教室の扉を睨みつけた。


その日、家に帰ったおれは心の中の大きな衝撃に呆然と流されていた。

ベッドにあおむけに倒れて、眩しい蛍光灯の明かりを目を細めて眺めていた。

部屋の壁は白い。蛍光灯の明かりが反射して、さらに明るくなった光を目に受け続けたせいか痛くなった頭をさすった。静かだ。

階下から、薄い床を通じて夕食の準備をする音が聞こえるけれど、それ以外の音もましてや音楽も流れていない。

瞼を閉じて、真っ暗な瞼の裏の闇にちかちかと映る光を認識した。

考え事には、明るいより暗い方がいい。

三島はおれにとって、ヒーローのような奴だった。

ずっと幼いころ。あいつがおれより強かったころは近所のいじめっこから守ってもらうこともあった。

ずっとずっと憧れていた。

その憧れの落ちぶれた姿を見たときに襲った衝動は、絶望だった。

裏切られた、と感じたと思う。

でも、彼よりおれの方が勝ってると感じた時、あの時に感じたものは優越感だけだっただろうか。

カップ一杯に注がれたコーヒーのような優越感の中に、一滴だけ交ざりこんだミルクのような感情はなかっただろうか。

そう、おれは落ちぶれたヒーローに対して確かに親近感を覚えたんだ。

幼いころは、強くてかっこよくて明るかくて、少しだけ手の届かなかったヒーロー。そいつが、今は自分と同じ舞台に立っている。

そう思ったんじゃなかっただろうか。

彼に構い始めたのも、実はその親近感のせいも少しだけ、あったんじゃないだろうか。

おれは、三島と仲良くなりたいんじゃないか。

友達に、なりたいんじゃないか。



それなら。

それなら、そうだ。明日謝ろう。

ちょっとばかり調子に乗っていたって。

からかってやろうと思っただけだって。

もちろんおれだけ謝るのは癪だ。

あいつだっておれにうるさい、大嫌い、だなんて暴言投げつけてきたんだからな。

そうだ。

謝って、仲直りして、そして。

「友達になろう」

きっと、あいつとはいい友達になれると思うから。

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