社会人編2
高校時代に追い回されていた相手とはいえ、要が今も七季を想っているかはわからないし、あの手紙を受け取って以降、彼女は本当に一切の恋情を見せなくなった。
ただ友人としての一定の距離感を保っているからこそ、七季から踏み出す勇気がない。
要にとって本当にただの友達になっているならば、今更、恋愛感情を持つなんて失礼だ。
お酒を交わしながら他愛もない会話をする今が心地よくて楽しくて、多分人生で一番いい時間を過ごしている自覚が七季にはある。
互いの近況や仕事の事を話しながら飲み進めていく途中、ふと要が何かを思案したように押し黙った事に気が付く。
「先輩……あの」
そう言いながら、両手でグラスを持つ要の指先に、キュッと力が入るのが分かった。
視線をさまよわせながらも口を開こうとして、はくはくと言葉にならない呼吸が零れてから、要は「そういえば」と続ける。
「今度、高校の写真部で集まるって蝶子ちゃんから聞きました」
多分、今何か話を逸らした、とは気が付いた七季だったが、そのことに触れないまま「ああ」と返事をする。
「最近、一眼レフ触ってないなぁって茅と話してて、そしたら久々に集まって写真撮ろうって話になって。沖田も来る? きっと今田も喜ぶ」
「いいえ、流石に部外者ですし皆さんで楽しんでください。また、撮った写真見せてくださいね」
「わかった」
そう言って要が飲み込んだ言葉を濁すように、要も知らぬふりをして笑った。
◇◆◇
「え……あれ? 聞いてなかったんですか? 要ちゃん、上司の方から縁談勧められてるって」
「……は? え?」
動揺する七季の様子に、更に動揺して見せたのは、要の高校時代からの親友であり部活の後輩でもある蝶子の発言だった。
高校時代に趣味としていた一眼レフカメラも、大学時代はほとんど触れることがなかった。勉強に明け暮れすぎて忘れていたに近い趣味ではあったが、それをきっかけに知り合った高校時代の友人達と久々に撮影会をしようとスケジュールを合わせて集ったのが今日だ。
当時、五人部員いた写真部のうち、一人は留学生だったため今は母国にいる。ゆえに今日は残りの四人集まる予定が、二人は遅れて合流するという。社会人になれば、日程を合わせられることも稀になってくるのだから、多少の時間の誤差は気にならない。
部活の紅一点で、唯一の後輩でもあった蝶子と、二人で待ち合わせのカフェでドリンクを注文し腰を落ち着かせたタイミングだった。
二人の共通の友人として要がいるのだから、当然要の話題になる。
そこで知った衝撃の事実に七季は言葉を失った。
「あの……要ちゃんから結構頻繁にお会いしてるって聞いてたので、てっきり本人から聞いてるものだとばかり思っていて」
互いに動揺を隠せないまま、蝶子は申し訳なさそうに言い訳をしたが、七季にとってそんな事はどうでもよくて。
要は容姿が優れているからこそ、異性にモテることは知っている。
表立ったアピールも男性同士の静かな牽制も、要は気づいていたしそれに対して七季に多少の愚痴をこぼすようなこともあった。
女性として美人で控えめで、決して安易に男を喜ばす言葉を口にせず、けれどその紡がれる言葉はまっすぐで偽りがないことも相まって、要の魅力は留まるところをしらない。
上司からの縁談ともなれば、当然断りにくいだろう。
慌てた蝶子が追加してきた情報には、それほど改まった縁談というよりちょっと会ってみないか程度のものらしいのだが、要は断らないだろう。
問題はそこではなく、なぜ、彼女は教えてくれなかったのか――と。
いくら縁談が気軽なものとはいえ、ここ数年で培ってきた互いの関係はそんな薄情なものではなかったはずだ。
仕事のことだって交友関係のことだって、要は自分の気持ちと折り合いをつけながらも、時には一緒に苦悩させてくれたのだ。
今回だって、普通に話してくれるだけでよかったのに。
要にとって、話すほどのことではなかったから?
断わるつもりだったから?
それとも――。
ただ明らかなのは、要の人生の決定権に七季がいらないという事実だけ。
驚愕から呆然とした七季の様子を心配そうに見つめる蝶子の視線に、ようやく我に返るが動揺は心に置いたままだ。
「逆に……聞いてよかったんだろうか? 僕に言っていないということは、聞かなかった事にした方が……?」
「いやいや、きっと言い忘れていただけですよっ! 私も最近、要ちゃんに直接会えていなくて、連絡されて教えてもらっただけですし!」
蝶子は気を遣って言ってくれているのだろうが、その事実は七季を余計に苦しめた。
ほぼ週一で会っていた七季に言わず、最近会えていない蝶子に連絡で伝えているとなれば確実に話題として。
「……避けられてるじゃないか」
ポツリと零した七季の言葉に、蝶子は今度こそ申し訳なさそうに委縮して。
本当は、いつ、どこで、誰と、と問い詰めたい思いでいっぱいいっぱいになっていたが、七季がしたいのは蝶子に対してではない。けれど、要に問い詰めるほど自分は踏み込んでいいのだろうかと思い悩む。
頭がいい七季にとって、頭で考えてわからない事なんてないと思っていた。でも、今はこんなに頭がごちゃごちゃになって、何をどこから処理していけばいいのかわからない。
眉間に皺を寄せて考え込む七季に、蝶子は困った表情を浮かべながら素直に謝罪した。
「すみません、困らせてしまいましたね」
「……いや、驚いただけで困ったわけでは」
それに、と急に高校時代の事を思い出して蝶子の目をまっすぐ見て。
「むしろ、今まで言えなかったけれど、高校の時に今田が僕を写真部に誘ってくれてた事、感謝してるんだ」
「そう、なんですか?」
「あの頃は自分自身の掲げる目標が高すぎて、理想に追い付かない現実に追い込まれて精神的に参っていた。若気の至りと言えばそれまでなんだが、あの頃に写真に出会えていなかったら、今の僕は多分存在していない」
きっとあの苦悩に圧し潰されて、駄目になっていた未来を想像してゾッとする。
思春期だから、ではない。
思春期だからこそ、の苦悩があの時にあって、視野の狭さとかそういったものを広げてくれた蝶子に感謝の意を伝えていなかったなと改めたのだが。
七季の言葉を聞いて、蝶子はまた違った様子で困りながら言葉を絞りだした。
「あの、違うんです」
「……え?」
「あの時、確かに私から光山先輩に声を掛けましたけど、私の意思じゃないんです」




