仮身分証
見張りが僕の首に麻紐のネックレスをかける。
なんだ、これ?
ばっちーな。
いらねーよ。
ネックレスの先には木のカードがぶら下げてある。
そのカードには『仮身分証』と書かれている。
多分異世界語で書かれているんだろうが、僕には『翻訳魔法』で日本語として伝わっている。
便利だね、翻訳魔法。
そんなのは良い。
その『仮身分証』のカードに『アリエル 性別 女』と書かれている事が問題だ。
僕は「これは何だ?」と見張りに言う。
「お前、字読めないのか?
まあ、そんなの珍しくもないわな。
いいか?
それは『仮身分証』ってモンだ。
お前の本当の身分証は賊に奪われた荷物の中に入ってたんだろ?
それは仕方ない。
良くある話さ。
『身分証』は再発行される。
『身分証』を管轄してるのは『各種ギルド』さ。
今日はもう遅いから、明日の朝にでも『各種ギルド』へ行って『身分証』を再発行してもらうんだな
ただ『身分証』がない人間が村の中をウロつく訳にもいかない。
『不法入村』はそこそこの重罪だ」と見張り。
「何にも悪い事してないのに『身分証』を持ってないだけで重罪なのか?」
「『何にも悪い事してない』?
アホ抜かせ!
『不法入村』してるだろうが。
『不法』っていうのは犯罪なんだよ」と見張り。
「だったら僕は『身分証』を持ってないから犯罪者?」
「『失くしました』て手続きを踏んでなければな。
身分証を失くした人は『身分証再発行』の手続きが終わるまで『仮身分証』の携帯義務があるのさ。
アリエル、今お前の首から下がってるのが『仮身分証』だ。
結構大事なモノだぜ?
失くすなよ?」と見張り。
大体把握した。
でも、いつの間に『アリエル 女』てのがパーソナルデータとして定着してるんだよ!
女じゃねーし!
アリエルじゃねーし!
「『仮身分証』がないと今夜、公衆浴場にも入れないぜ?」と見張り。
「公衆浴場?
何それ?」
「この村は湯治で有名なのさ。
天然温泉が涌いてる。
金を払えばいくらでも温泉付きの高級宿に泊まれる。
だから金持ちがこの村に来るのは珍しくない。
だが金持ちを狙った賊もまた、悲しいかな頻繁に現れるのさ。
アリエルはそんな賊に襲われた訳だ。
だからアリエルみたいに全財産を奪われて、身分証もなくした人がここに来るのは珍しくない。
今月に入って6人目だ」
全然疑われなかった事を不思議に思ってたけど『石を投げたら賊に襲われたヤツに当たる』て環境だったんだ。
「金持ち用の温泉はある。
でも、貧乏人用の無料の公衆浴場もある。
この村の自慢は『貧乏人でも大都会のお貴族様みたいに毎日、風呂に入れる事』さ」
何か見張りは誇らしげだ。
どうやら温泉は村民の誇りらしい。
毎日風呂に入れるのはありがたい。
異世界に来て一番の不安がトイレ、二番目の不安が風呂だった。
二番目の不安が解消されるのは大きい。
しかしだ、問題は女として『仮身分証』に登録されている事だ。
つまりは『公衆浴場』の女湯にしか僕は入れない。
どうしてくれんねん!
女湯に入りたくない訳じゃない。
むしろ女湯以外に入りたくない。
去年の七夕の願い事は『透明になって女湯に入れますように』だった。
だがそういう意味じゃない。
僕が今、本当に女湯に入っていくとする。
僕の裸を見た女性達は関西弁で言うだろう。
「チンコやないかい!」と。
裸の女性達の真ん中で丸出しだ。
どんな企画モノAVやねん!
異世界転移初日に『公然ワイセツ』で捕まってしまう。
でも僕、悪くなくない?
だって勝手に女に分類されて、勝手に『仮身分証』のデータ書き込まれたんだもん。
ここは『仮身分証』のデータが間違えている、と見張りに言おう。
僕がそう思っていると・・・。
「しかし、本当の決まり通りに『仮身分証』を発行していたら、大変な事になるよな。
まず紛失した『身分証』が発行された自治体から『仮身分証発行許可証』を取り寄せる。
身分証を紛失したのが村民の場合は大体、半日で必要書類は揃うけど、『身分証』を紛失したのがアリエルみたいな『非村民』だった場合、必要書類を揃えるのに数ヶ月かかったりするからな。
しかもその間『入村禁止』だし」
それを聞いて僕は動きが止まった。
『仮身分証』を見張りの裁量で発行してくれたのは『見張りの良心』なのだ。
本来の正当な手続きに従った場合、僕はほぼ『入村拒否』に等しい。
見張りは何人もそういう人達を見たのだろう。
「こんな手続きはおかしい!
この人達は不幸にも賊に襲われただけで何も悪くないじゃないか!
こんな着の身着のまま、村の外に放り出されたら『死ね』と言うのと変わらないぞ!」と義憤から勝手に『仮身分証』を発行していたのだろう。
僕が『仮身分証』を貰えたのは奇跡だ。
日本で旧住所の『転出証明』がないと『転入手続き』は出来ない。
同じように、異世界でも『今までの経歴』が重要視される。
でも僕にそんなものはない。
だって別の世界から来たんだから。
良く考えろ!
これは『身分証』を手に入れる数少ないチャンスじゃないか?
過去の経歴を求められた時に一つ切り抜ける方法がある。
「わかりません。記憶喪失なんで」
何を聞かれても『知りません』『わかりません』『覚えてません』で切り抜けるのだ。
しかし今さら記憶喪失のフリをするのか?
いくらなんでも今さらすぎやしないか?
熟考の末、僕は『仮身分証』を受け入れた。
しかし女か。
どうやって切り抜けようか?
風呂入れないよな。
入ったらバレちゃうもんな。
風呂入りたい!
別の意味で女湯入りたい!
そう思っていると、見張りが僕に銅貨を15枚握らせた。
「無一文なんだろ?
そのうち返してくれよ?」見張りはニコっと笑って言った。
「ようこそ、チャボゲレロ村へ!
歓迎するぜ!」
この見張り、人を疑う事を知らない。
しかし変な名前の村だ。




