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チルビン

作者: Jiecai

僕の部屋の窓からは、公園が見える。

滑り台と鉄棒と、壊れかけのベンチ。

春になれば桜の花びらが舞って、時々それを追いかける子どもたちの笑い声が聞こえてくる。


でもその景色の中に、猫の姿はもうない。


昔はいた。

夕暮れ時、電柱の影からひょっこり顔を出す白っぽい猫。

僕がリュックからパンを出すと、気配を察したように近寄ってきて、小さく鳴いた。

その仕草があまりにも自然で、猫は外にいるものだと、ずっとそう思っていた。


だけど今、猫は外にいてはいけない。

それが“常識”なんだと、大人たちは言う。

「完全室内飼育が基本です」

「事故にあいますよ」

「病気になりますよ」

「外は危険なんです」


みんな、口をそろえてそう言う。

それは「猫のため」なんだと。


僕も頭では理解している。

でも、心はまだ、よく分かっていない。



うちには今、一匹の猫がいる。

名前はシロ。

毛は灰がかった白で、右耳の先がすこし折れている。

元々は母さんが働いていた保護施設にいた猫だった。

他の猫たちとはあまり馴染めず、人懐こいとも言えなかった。

でも、僕とはなぜかすぐに仲良くなった。


譲渡のとき、たくさんの書類にサインをした。

その中に、こんな言葉があった。


「完全室内飼いをすること」


母さんはためらいもなくそこにサインをした。

僕は、その文字を何度も読み返した。


シロは、窓辺が好きだ。

日が差し込む午後になると、いつの間にかカーテンの向こうに座って、じっと外を見ている。

鳥の鳴き声が聞こえると、耳がぴくりと動く。

風に揺れる木の葉を、じっと目で追う。

時々、しっぽがぴくぴく動いて、すごく真剣な顔をする。


「……行ってみたいのかな」


つぶやいた僕の声に、シロが小さく振り返る。

分からない。

シロがなにを思ってるのかなんて、僕には分からない。


でも、分からないまま、室内というガラスの向こうで生きてもらうことが、

果たして“猫のため”なのか。



先生に聞いてみたことがある。

「猫って、本当に外に出ちゃダメなんですか?」


先生は一瞬驚いた顔をして、笑って答えた。

「うん、出さない方がいいよ。外には車があるし、病気の猫もいるし。怖い人に何かされることもある。長生きしてほしいでしょ?」


たしかに、そうだ。

事故も、病気も、怖い人間も、全部“リスク”だ。


だけどそのとき、僕は思った。


「じゃあ、人間だって外に出たら、交通事故にあう確率は上がりますよね」って。

僕たちも通学中に車にはねられるかもしれないし、公園でケガをすることもある。

だけど、それでも毎日外に出る。

外に出たいからだ。

友達と遊びたいし、空を見たいし、季節の匂いを感じたいからだ。


「じゃあ、猫は?」


猫の中にも、たぶん「家の中でのんびり寝てるのが好きな子」もいれば、

「走り回ったり、木に登ったりするのが好きな子」だって、いるかもしれない。


人間にだっているじゃないか。

インドア派とアウトドア派。

本を読むのが好きな子もいれば、身体を動かすのが好きな子もいる。

肉が好きな人、魚が好きな人、甘いものが苦手な人。


どうして猫には、「個性」じゃなくて「ルール」が先にくるんだろう。


「猫のためだから」


その言葉を聞くたびに、胸の奥がもやもやする。


「それってつまるところ、人間の都合なんじゃないですか?」


問いかけたくなるけど、誰かを責めたいわけじゃない。

ただ、僕たちが“分かった気になってる”ことが、怖いだけなんだ。


シロが外に出たがっているかどうかは、僕には分からない。

ただ、じっと窓の外を見つめるその後ろ姿に、何かしらの「願い」があるように感じてしまう。

それが「出たい」なのか「見たい」なのか「知りたい」なのかは分からないけれど、

その想いごと、閉じ込めてしまっていいのかと、時々考えてしまう。



夜、ベッドの上で、シロが丸くなって眠っている。

小さな鼻が、すうすうと静かな音を立てて動く。


守ってあげたいと思う。

その小さな命を、できるだけ長く、そばにいてもらいたいと思う。


だけど、僕はいつも自分に問いかけてしまう。

「守る」って、どこまでなんだろう?

「自由」を奪ってまで、「生かす」ことが、ほんとうの愛情なんだろうか?


たとえば、僕がこの部屋に一生閉じ込められて、

好きな場所にも行けず、空の匂いも風の感触も知らずに、

でも毎日三食ちゃんとご飯が出て、あたたかい布団で眠れるとして。


それを「幸せ」と言われたら、僕は、素直にうなずけるだろうか。




人間と猫の関係は、昔から「利害関係」が成り立っていたから始まったんだと、

何かの本で読んだことがある。

ネズミを追う猫と、それを必要とした人間。

お互いの利益の上に、共に生きる選択をした。


だから僕は、「飼う」という言葉に、どこか引っかかってしまう。

「ペット」っていう言葉にも。

そこに、上下があるように思えてしまうから。


もし本当に対等な関係なら、

相手の生き方も、選択も、ちゃんと認め合うべきなんじゃないか。


いっしょに居たい時に、居ればいい。

遠くに行きたければ、行けばいい。

たとえそれで命を落としたとしても、それが“自然”なら、悲しいけれど、受け止める。


そうやって、人間も、猫も、生きるべきなんじゃないか――。


ただ、現代社会において、僕たち人間側が管理しておかなければ殺処分されてしまうシステムが出来上がってしまった以上、こういった理想論は通用しないことは理解している。




窓辺にたたずむシロの背中が、淡い陽射しを浴びている。

外では鳥がさえずり、車の音が遠くから響いてくる。


「今日は風が強いよ」

と声をかけると、シロはまたこちらを見上げた。


その瞳に、何を思っているのかは分からない。

でも、分からないからこそ、勝手に決めつけずにいたい。


“分からない”まま、いっしょに生きていけたらいい。

命の形も、幸せのかたちも、愛し方さえもひとつじゃないのだから。


僕は今日も、シロの背をそっと撫でる。

この手で何かを「決める」のではなく、

ただこの世界の一部として、隣にいてくれるその命を、ちゃんと「感じていたい」と思うのだ。


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