表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

存在の証明

作者: katsu

第1章:奇妙な動画


高倉憲吾たかくらけんごは、ぼんやりと天井を見つめながら、ぬるい缶コーヒーに口をつけた。

使いかけの加湿器と、万年床の布団。仕事部屋というには無理がある六畳一間のアパート。

パソコンのディスプレイに並んでいたのは、再生数が伸びない過去の自作記事と、次の依頼がこないライティング会社のメールボックスだった。


高倉はフリーライターだった。いや、かつてフリーライターだったと言ったほうが正確だろう。

肩書きだけは保っていたが、ここ数ヶ月、まともな依頼はない。クラウドソーシングの仕事ですら落ちる。


ため息交じりにYouTubeを開き、無意識に“都市伝説”系のサムネイルをスクロールする。

ネットの片隅にはいつも、どこか不穏で、しかしどこかワクワクさせる“胡散臭い話”が転がっている。


そのときだった。

画面の中央にふと現れた一本の動画が、彼の視線を止めた。


 


【戸籍のない男「田中誠」を探しています|報酬:3000万円】


 


投稿者名は英数字の羅列で意味をなしていない。再生回数はわずか400。

だが、タイトルには明らかに“素人のイタズラ”以上の何かが滲んでいた。


高倉はためらいながらクリックした。


画質は悪く、映像は夜の森をバックに揺れている。

暗がりの中、震える手でカメラを持っているのか、焦点は合っていない。


 


「この男を探しています。田中誠。1987年生まれ。身長は170cm前後、やせ型」

「戸籍がなく、どこにも記録がありません」

「彼に繋がる情報をくださった方には、3000万円をお支払いします」


 


声は低く、抑揚がなかった。機械音声ではないが、どこか“人間離れ”した無機質さがあった。

映像の最後には、ぼやけた写真のような影が一瞬だけ映り、すぐに暗転した。


 


高倉は無意識に巻き戻し、スクショキーを叩いた。

その写真のような影──白黒の粗いピクセル──は、まるで墓標のように沈黙していた。


「なんだこれ……」


 


興味本位と、わずかな“直感”が頭をもたげる。

誰かの創作か、あるいはキャンペーンか……もしくは本当に“何か”なのか。


――いや、そんなことはどうでもいい。


高倉は立ち上がった。

この動画が本物であろうと偽物であろうと、今の自分にとっては関係ない。


 


「これが、俺の人生を変える最後のチャンスかもしれない」


 


机に転がっていたノートを開き、動画内の情報を書き起こし始める。

画面に映った背景、声の周波数、服のしわ、タイムスタンプ。


小さな炎が胸の奥に灯った。

長いあいだ感じなかった“高揚”という感情だった。


 


まだ誰も見つけていない謎。

それを自分が最初に暴くことができたら――


高倉はペンを止めず、パソコンのタブに“田中誠”という名を入力した。





第2章:微かな痕跡


「田中誠」。

それは、日本に数千人は存在するであろう、ありふれた名前だった。

検索エンジンの候補は、どれも無関係のFacebookアカウントや同姓同名の著名人ばかり。

だが“戸籍がない”という前提で検索するだけで、途端に情報の海はざらつき始める。


高倉はまず、匿名掲示板とSNSを掘り始めた。

一見無意味なスレッドも、過去ログも、地方紙のアーカイブも。

「田中誠」「戸籍なし」「失踪者」「裏社会」「都市伝説」「生まれなかった男」……

あらゆるキーワードで繋がりそうなものをかき集めていく。


 


やがて一つの書き込みが彼の目に留まった。

数年前の掲示板、スレタイは「存在しない村で生まれた友人」。


「小学生の頃、転校してきた奴がいた。親もおらず、出生も不明。

田舎の“神室村”ってとこで育ったらしいけど、地図には載ってないんだよな」

(2017年投稿)


高倉はすぐさま“神室村”を検索した。

ヒットはゼロ。グーグルマップにも、地名辞典にも載っていない。

だが、その“無”こそが、逆に彼の心を掴んだ。


「実在しない……? 本当に?」


次に、高倉は図書館の郷土資料室に足を運んだ。

歴史や民俗関連の書籍を片っ端から漁り、廃村記録の目録をひとつずつめくっていく。


そして、ようやく一冊の古い冊子の中に、「神室かんむろ」という記述を見つけた。


「かつて山梨県の奥地に、戸籍制度導入前の“無籍集落”が存在していたとの噂がある。

神室──記録上の存在は認められないが、地元の古老の証言では……」


ぼやけた記録。残されていない地図。噂話の延長線上にあるような村の名前。

それでも、高倉の中では「何か」が確実に形を帯び始めていた。


 


さらに検索を進めると、10年前に発行されたある週刊誌のバックナンバーにたどり着いた。

“無戸籍問題”を特集した特集記事。その中に掲載されていた小さな写真──


 


やせ型で短髪の、目元を隠したモノクロの人物写真。

そこには、どこかで見たような既視感があった。


高倉は一瞬息を止めた。

それは──あの動画に映っていた、最後のぼやけた“影”に似ていたのだ。


 


偶然なのか? こじつけなのか?

いや、そんなことはどうでもいい。


 


「神室村に行こう」


 


高倉はその夜、バックパックに荷物を詰め、地図に載っていない場所への旅を決めた。

それが、戻れない探索の始まりになるとも知らずに。





神室村


山梨県の山奥、鉄道駅からバスを乗り継ぎ、そこからさらに歩いて数時間。

登山道とは名ばかりの、獣道のような細い山道をひたすら進む。


高倉は、手に入れた古い郷土誌に載っていた断片的な地名と、匿名掲示板に書かれていた曖昧な方角、そしてGoogle Earthの航空写真を頼りに、“地図に載っていない場所”を探し続けた。


 


道はやがて途絶え、木々に覆われた静寂だけが残る。

だがその奥に、それはあった。


 


朽ちかけた鳥居。

崩れかけた民家の礎石。

そして、木の根に覆われた、手彫りの石碑。


「……ここが、神室……?」


高倉は息を呑んだ。

確かに、誰かがここに住んでいた“気配”がある。

だが、それは“今”ではない。

過去の誰かの痕跡だけが、静かにそこにあった。


 


──その夜、村跡から少し離れたテントで眠っていると、外からカサッと音がした。


風か、動物か、あるいは……

高倉はヘッドライトを持って外へ出た。

周囲には誰もいない。ただ、静寂だけがある。


だが、翌朝、奇妙なことに気づいた。

テントの前の地面に、足跡が残っていたのだ。


ひとつだけ。人間のものに見える、泥のついた足跡が。


 


「誰かが……いた?」


恐怖と興奮が入り混じった感情が胸を突いた。

ここは誰も来ないはずの場所だった。

もし本当に“誰か”がいるなら、それは──


 


その日の午後、高倉はふもとの小さな商店で情報を集めていた。

「神室村」という言葉を出すと、店主の顔がわずかに曇った。


 


「昔な、そう呼ばれてたとこがあるよ。今はもう廃墟だけど……」

「行ったんですか? あそこに」

「……やめたほうがいいよ。あの辺には、変な話が残ってる」


 


変な話?


「村でね、誰にも存在を知られずに育った子どもがいたって噂があったのよ。

戸籍も、記録も、学校にも行ってない。だから“いなかった”ことになってる」

「……でもさ、昔あのへんにいたっていう年寄りは、みんな口をつぐんでてね……」


 


その夜、高倉は車中泊をしながら、これまでの取材ノートをめくっていた。

週刊誌の写真、動画の影、村の伝承……

断片が、じわじわと繋がってくる。


 


「……田中誠は、本当に、実在したのかもしれない」


 


彼の中で、現実と物語の境界が少しずつ曖昧になっていく。



第4章:再燃と失速


帰宅した高倉は、すぐに取材内容を整理し、ネットに投稿した。

「地図にない廃村・神室村に足を踏み入れた」「そこで“田中誠”の痕跡を見つけた」

そんなキャッチーなタイトルとともに、崩れかけた鳥居や石碑、足跡の写真を添えて。


 


投稿は思った以上の反響を呼んだ。


「本当にあるんだ、神室村って……」

「これ、映画のプロモーションじゃないの?」

「この男、マジっぽくて逆に怖い」

「田中誠、都市伝説からリアルに?」


 


数日間、高倉はまさに“時の人”だった。

ネットニュースに取り上げられ、フォロワーは1万人を超えた。

中には「手伝いたい」「探している場所を一緒に調べよう」と連絡してくる者もいた。


高倉は夜な夜なDMに目を通し、取材範囲を広げていった。

中でも1通のメッセージが目を引いた。


 


──「田中誠、昔見たことある。写真の男に似てる。あんたが正しければ、すごい話になる」


 


高倉は震えながら連絡を取った。

相手はかつて新宿でホームレス支援をしていたという中年男性だった。


 


「似てる男がいたんだよ。何年か前まで西口の地下通路にいた。

名前も名乗らず、他人と口をきかず、すぐどこかへ消えたけど……」

「今思えば、あの写真の影と、どこか重なる気がしてさ」


 


高倉の中で、確信が芽生えていった。

神室の廃村、動画の影、週刊誌の写真、足跡、そしてこの目撃証言。

どれも単なる偶然の積み重ねに見えるが──それでも彼は信じた。


 


「この男は、存在している」


 


そして彼は宣言した。

「田中誠を、必ず見つけます」

「彼の存在を、証明してみせる」


 


だが、ネットの世界は残酷だった。


次第に世間は、別の話題へと移っていった。

俳優の薬物スキャンダル、総理のスピーチ、人気アイドルの脱退──

“田中誠”の名前は、数週間のうちに誰も口にしなくなった。


 


「もういい加減、嘘だってわかってんだよ」

「最初はワクワクしたけど、最近の投稿は全部ポエム」

「田中誠とか、もう忘れろよ」


 


高倉のDMは鳴らなくなり、フォロワーは少しずつ減っていった。

広告収入も尽き、彼はまた元の部屋で、缶コーヒーと格闘する毎日に戻っていた。


だが──彼は、諦めなかった。


 


テレビやSNSに取り上げられることはなくなっても、

彼の“中”では、田中誠は依然として「存在していた」。


ある夜、自宅で古い映像素材を見直していたとき、

高倉はふと手を止めた。


ノイズ交じりの1カット。神室の村を撮影した初期の素材。

そこに、微かに“人の目”のような光が写っていた。


ビデオ編集ソフトで数分間調整を加えると、確かに“何か”がいた。


 


高倉は、加工したその一枚を“匿名アカウント”からネットに投稿した。


 


「【拡散希望】田中誠の姿を捉えた決定的写真」

「真実は、すぐそこにある」


 


それは一時的に拡散された。

再び注目が戻ってくるかのように見えた。


 


だが──24時間後、人気俳優の不倫が報じられ、

すべては瞬時に“埋もれた”。


 


画面の前に座り、虚空を見つめる高倉。

その瞳は、なおも何かを探していた。




5章:存在の証明


「人の目」を映した画像が、話題にすらならなくなった頃。

高倉は、最後の手段を選んだ。


彼は近所の公園で、顔に深い皺を刻んだホームレスの男に声をかけた。


 


「ある男になってほしいんです。

田中誠。動画の、あの影の“中身”になってほしい」


 


最初、男は訝しげに笑った。

「で、いくらくれるんだ?」


「今は少ししか出せないけど、世間が騒げばすぐに……。

騙すんじゃない。証明するんです。世の中に、まだ見ぬ人間が“いる”と」


 


その数日後。

高倉のSNSに投稿された動画が、再び界隈をざわつかせた。


 


《田中誠、生きていた》


老いた男が川べりを歩くモノクロームの映像。

口数は少なく、名前を呼ぶとただうなずく。

背後には廃墟、わずかに「神室村」と記された石碑が映り込む。


 


「これは本物か?」「嘘だろ?」「演出にしては雑すぎる」「でも……怖いくらいリアル」


 


──拡散された。

テレビ局が取材依頼を寄越し、再びインフルエンサーが乗っかり始めた。


高倉は手応えを感じていた。

“存在の証明”は目前だ、と。


 


しかし、崩壊は早かった。


匿名掲示板で男の素性が暴かれた。

過去の路上生活の様子、交番に保護された記録。

さらには男自身が「あれ、作り話だよ。金もらっただけ」と語る音声までが流出した。


 


そして、今度こそ完全に、終わった。


 


「やっぱり詐欺じゃん」

「くだらねえ演出に騙された」

「田中誠って、結局誰だったの?」


 


高倉の家には、嫌がらせの手紙と、出版社からの契約解除通知が届いた。

支援者も、フォロワーも、もういない。

口座にはほとんど金が残っていなかった。


 


だが──高倉は、それでも諦めていなかった。


「まだだ……まだ、終わってない……」


彼は再び、神室の山奥へ向かった。

今回の旅には、撮影機材もなく、ただ紙とペンだけを持っていた。


 


朽ちた石碑の前に立ち、風に吹かれながら、

彼はひとり、何かを“記録”し続けた。


目を凝らし、耳を澄まし、シャッターを押さず、録音せず、ただ感じたものを言葉に変えていく。

誰かに見せるためではない。

自分の中にある“存在”を、確かめるために。


 


ある夜、彼は村の跡地で、ぼんやりと立ち尽くしていた。


ふと、木々の隙間から、人影のようなものが見えた気がした。


──それは、こちらをじっと見ていた。


 


次の瞬間、風が木々を揺らし、光がその影を覆い隠した。


高倉は目を閉じた。


「……いたんだな。やっぱり」


 


それが幻覚か、気のせいかは、もうどうでもよかった。

田中誠は、自分の中に存在していた。

それだけが、確かだった。


 


 


──その後、高倉憲吾は消息を絶った。

SNSも、執筆活動も、すべての痕跡がネット上から消えた。

ただ、神室村近辺の郵便受けに、時折“無記名のノート”が投函されるという噂がある。


中には、こう書かれていた。


 


 


「この世界に、本当に“存在していない”人間など、いるのだろうか?」

「誰かの記憶の中に残れば、それはもう、確かに“生きている”のだ」


 


それが真実かどうかは、誰にもわからない。

だが──いま、あなたの心に「田中誠」という名前が残ったなら、

その存在は、確かに“証明”されたのかもしれない。



完。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ