和包丁の真の力と最初の魔物戦
## 初めての戦い
「うわああああ!」
巨大なイノシシのような魔物——後で知ることになるが、この世界では「ワイルドボア」と呼ばれている——が花子に向かって突進してくる。
(死ぬ!絶対死ぬ!なんで料理しかできない主婦が魔物と戦わなアカンの!?)
花子は必死に横に飛び跳ねて、間一髪でワイルドボアの突進を避けた。地面に激突したワイルドボアが土埃を巻き上げる。
「ひいい!あかん、あかん!逃げよ、逃げよ!」
振り返って逃げようとした花子だったが、足がもつれて転んでしまう。
「いたたた...」
尻もちをついた花子の前で、ワイルドボアが振り返る。小さな目に宿った怒りが、花子に向けられている。
「グルルルル...」
低い唸り声と共に、再び突進の構えを取るワイルドボア。その牙は花子の体を簡単に貫きそうなほど鋭い。
(もう逃げられへん...どうしよう...)
その時、花子の手に握られた和包丁が、温かく脈打った。まるで心臓のように。
「え?」
包丁を見下ろすと、刃の部分が淡い光を放っている。その光を見ていると、なぜか心が落ち着いてきた。
(そうや...おばあちゃんが言うてた。この包丁には魂が込められてるって...)
花子は思い出した。祖母がよく包丁を使う前に言っていた言葉を。
「食材に感謝し、食べる人のことを思い、愛情を込めて」
「そして、包丁よ、私と共に美味しい料理を作りましょう」
その時、花子の中で何かがカチッと音を立てた。まるでスイッチが入ったような感覚だった。
「そうや...これも食材やん」
ワイルドボアを見る花子の目つきが変わった。恐怖から、料理人の眼差しに。
「いい霜降りしてるやないの」
## 料理人の目覚め
「グルオオオ!」
ワイルドボアが三度目の突進を開始した。しかし今度の花子は、逃げなかった。
(落ち着け、落ち着け。これは普通の食材や。ただちょっと...生きてるだけ)
和包丁を両手で握り、腰を低く落とす。まるで野菜を千切りする時のような、いつもの構えだった。
「おばあちゃん、力を貸して」
包丁の光が一段と強くなる。そして花子の中に、今まで経験したことのない感覚が生まれた。
ワイルドボアの動きが、スローモーションのように見える。
筋肉の動き、重心の移動、突進の軌道...全てが手に取るようにわかる。
(あ、左に体重がかかってる。なら右に避けて...)
花子は冷静にワイルドボアの突進を見極め、最小限の動きで避けた。そしてそのまま、反撃に転じる。
「せいやああ!」
和包丁がワイルドボアの脇腹に触れた瞬間——
シュパッ
信じられないほどなめらかな音と共に、ワイルドボアの皮が切れた。まるでトマトの皮を湯むきする時のように、あっけないほど簡単に。
「え?」
花子も、ワイルドボアも、一瞬動きを止めた。
ワイルドボアの脇腹には、血の一滴も出ない、綺麗な切り込みが入っている。あまりに鋭い刃によって、血管すら瞬時に切り口を塞がってしまったのだ。
「う、嘘やろ...こんなに切れるん?」
その時、ワイルドボアは自分に何が起きたかを理解した。
「グエエエエ!」
痛みで暴れ回るワイルドボア。しかし花子の目には、もはや魔物ではなく、調理待ちの食材にしか見えなかった。
(よし、次は首筋を...いや、心臓を一突きした方が楽に逝かせてあげられるわね)
## 不思議な感覚
ワイルドボアが花子に向かって再び突進してきた。しかし今度の花子は、なぜか全てが見えていた。
ワイルドボアの急所が光って見える。心臓の位置、首筋の血管、脳に通じる神経...全てが透けて見える。
「これって...なんで見えるん?」
(まるで魚をさばく時みたいに、どこをどう切ったらええかが分かる...)
花子は迷わず、最も苦痛の少ない箇所——首筋の中枢神経を狙った。
「ごめんやで」
シュッ
音もなく、ワイルドボアの動きが止まった。痛みを感じる前に、意識を失ったのだ。
「できた...」
巨大なワイルドボアが、静かに地面に横たわる。
花子は和包丁を見つめた。確かに普通の包丁ではない。祖母が言っていた「魂が込められている」という言葉の意味が、少しずつ分かってきた。
## 解体と調理
「それで...これからどうしたらいいん?」
花子は倒れたワイルドボアを見下ろした。
(そうや、食材は新鮮なうちに処理せんとあかんよね)
祖母に教わった料理の基本を思い出す。
「解体って...私、豚肉とか牛肉とか、すでに切り分けられたやつしか触ったことないねんけど...」
でも、不思議と恐怖はなかった。むしろ、どうやって解体すればいいのかが、なんとなく分かる気がした。
和包丁を握ると、まるで手が勝手に動くような感覚。
最初に皮を剥ぐ。和包丁の切れ味は異常で、まるでピーラーで野菜の皮を剥くように、するするとワイルドボアの皮が剥がれていく。
「うわあ...これ、本当に私がやってるん?」
次に内臓の摘出。これは花子も魚をさばく時の経験があったので、意外とスムーズにできた。
「あ、この内臓、食べられるやつと食べられへんやつがあるのね」
直感的に分かる。心臓と肝臓は美味しく調理できそうだ。腎臓は少し臭みがありそうで、料理には向かない気がする。
解体しながら、花子は不思議な感覚に包まれていた。確かにこれは初めての経験なのに、手が勝手に動いてくれる。まるで何十年も肉屋で働いていたかのように。
「おばあちゃんの包丁、本当にすごいなぁ...」
1時間ほどかけて、ワイルドボアは見事に解体された。美しく切り分けられた肉塊が、葉っぱの上に整然と並んでいる。
## 初めての異世界料理
「さて、料理といっても...調味料も鍋もないしなぁ」
花子は困った顔をして辺りを見回した。森の中には当然、キッチン用品など存在しない。
ふと、足元の小さな赤い実が目に留まった。
「これ、何やろ?」
恐る恐る赤い実を一粒口に入れた花子。
「あ!これ、胡椒みたいな辛味がある!」
向こうの黄色い花も気になって、蜜を舐めてみる。蜜のような甘みがある。
「すごい!これって天然の調味料やん!」
左手側にある紫の葉っぱも試してみると、塩味がした。
(この世界の植物、なんか味が濃いなぁ。でも料理に使えそう)
その時、緑色の魔物が「ぷるぷる」と鳴いた。花子はそれをすっかり忘れていた。
「あ、そうそう。この子、お腹すいてるって言ってたのよね」
花子は解体したワイルドボアの肉を少し切り分けて、緑の魔物に差し出した。
「はい、どうぞ」
『プル...プルプル!』
緑の魔物は嬉しそうに鳴いて、肉を食べ始めた。その瞬間、魔物の体がキラキラと光った。
「え?なんで光ってるん?」
すると、緑の魔物が花子の足にすり寄ってきた。まるで猫のように甘えている。
「可愛い...」
(この子、もしかして私を仲間だと思ってくれたんかな?)
「プルプルって鳴くから...プルちゃんって呼ぼうかな」
『プルプル〜♪』
プルちゃんは嬉しそうに鳴いて、花子の肩に飛び乗った。
## 火起こしと料理
「さて、火を起こさないと...」
花子は乾いた枝を集め始めた。サバイバル番組で見た火起こしの方法を思い出しながら。
「え〜?プルちゃん、何してるん?」
プルちゃんは花子の肩から飛び降りると、集めた枝の前に座った。そして小さく息を吸い込むと——
ぽふっ
小さな炎を吐いた。
「うわあ!ドラゴンやん!」
(プルプルって、火を吐けるんや!小さいけどドラゴンの仲間なんかな?)
あっという間に焚き火ができあがった。花子は平たい石を火の上に置いて、即席のフライパン代わりにする。
「よし、ワイルドボア肉のソテーを作りましょう!」
赤い実をすり潰して胡椒代わりに、紫の葉っぱを刻んで塩代わりに、黄色い花の蜜で甘みを加える。
石の上に肉を乗せると、ジュウジュウと美味しそうな音が響いた。
「ええ匂い〜♪」
肉を返しながら、花子は満足そうに微笑んだ。こんな環境でも、やっぱり料理を作っている時が一番楽しい。
## 予想外の美味しさ
「できあがり〜!」
石のフライパンの上で、ワイルドボア肉が美味しそうに焼き上がっていた。異世界の調味料の香りが食欲をそそる。
「いただきま〜す」
花子は小さく切り分けた肉を口に入れた。
「うん!美味しい!」
予想以上の美味しさに、花子は目を丸くした。肉は柔らかく、野性味のある濃厚な旨味がある。地球の豚肉とは全く違う味だった。
「この肉、すごいわ!なんでこんなに美味しいん?」
(この世界の食材、なんか普通とは違うなぁ)
プルちゃんにも分けてあげると、プルちゃんの体がまた光った。今度は前より強く光っている。
『プルプル〜♪』
プルちゃんは花子の頭の上に飛び移って、嬉しそうに鳴いた。
「この子、私の料理気に入ってくれたみたい」
食事を終えた花子は、ワイルドボアの残りの肉を保存することにした。祖母に教わった塩漬けの技術を使って。
「明日からどうしようかなぁ...」
森の中で夜を明かすのは不安だったが、プルちゃんがいれば少しは安心だった。
## 夜の思い出
焚き火を囲んで、花子とプルちゃんは夜を過ごした。
「なぁ、プルちゃん。私、どうしたらええんやろ」
『プルプル』
プルちゃんが首を傾げる。
花子は祖母のことを思い出していた。いつも料理をしている時の、穏やかな祖母の顔。そして時々見せていた、どこか遠くを見つめるような表情。
「おばあちゃんも、もしかして...」
(この包丁の秘密を知ってたんかもしれん。でも何も教えてくれへんかった...)
包丁を手に取ると、やはり温かく脈打っている。まるで生きているみたい。
「まぁ、考えても仕方ないか。とりあえず、どこか人のいるところを探さないと」
『プルプル』
プルちゃんが花子の膝の上で丸くなった。まるで「一緒に頑張ろう」と言っているかのように。
「ありがとう、プルちゃん」
花子はプルちゃんを優しく撫でた。
## 新たな力の発見
夜が更けて、森は静寂に包まれた。花子はプルちゃんと一緒に、大きな木の根元で休むことにした。
ふと目を覚ますと、何やら森がざわめいていた。
「何の音?」
花子は身を起こした。プルちゃんも不安そうに鳴いている。
茂みの向こうから、複数の赤い目が光っているのが見えた。
「今度は何?」
赤い目の正体は、オオカミのような魔物だった。5匹ほどの群れで、ワイルドボアの血の匂いに誘われてきたようだ。
「群れって...何匹もおるやん」
花子の顔が青くなった。1匹でも大変だったのに、5匹も相手にできるわけがない。
「逃げよう!」
でも、その時ふと気づいた。プルちゃんが最初に会った時より一回り大きくなっている。そして体の光も強くなっていた。
(あれ?プルちゃん、私の料理食べて強くなった?)
「もしかして...」
花子は急いで肉を温め直し、自分とプルちゃんで食べた。
すると、体の中に温かいエネルギーが流れ込んできた。
「うわ!なんかパワーが湧いてきた!」
(これ、私の料理の効果なん?)
プルちゃんも一回り大きくなり、目がキラキラと光っている。
『プルプル!』
力強い鳴き声で、プルちゃんがオオカミたちを威嚇した。
## 連携戦闘
オオカミたちが一斉に襲いかかってきた。しかし、花子の動きは昼間とは比べ物にならないほど俊敏だった。
「うおりゃあああ!」
和包丁を振るうと、一匹目のオオカミが瞬時に昏倒した。まるで魚を三枚おろしにするように、正確で無駄のない動きだった。
『プルプル〜!』
プルちゃんも火の息で、オオカミたちを牽制する。小さな体からは想像できないほど、勢いよく炎を吐いていた。
「プルちゃん、すごいやん!」
2匹目、3匹目と、花子とプルちゃんの連携で次々とオオカミを倒していく。
料理で鍛えた包丁さばきが、そのまま戦闘技術として活かされていた。食材の急所を見抜く目は、魔物の急所を見抜く目でもあったのだ。
「4匹目〜!」
最後の一匹は、花子の気迫に圧倒されて逃げ出してしまった。
「はぁ、はぁ...やったんやな?」
花子は息を切らしながら、倒れたオオカミたちを見つめた。
「すごいなぁ...私、本当にやったん?」
プルちゃんが花子の肩に飛び移る。さっきより更に大きくなっているような気がした。
「プルちゃんも頑張ったな〜」
『プルプル♪』
## 夜明けと決意
朝が来て、森に陽の光が差し込んできた。花子は倒したオオカミたちの解体を終え、大量の肉を手に入れていた。
「こんなにあったら、しばらく食べ物には困らないね」
塩漬けやスパイス漬けなど、この世界なりの保存技術も覚えた。
「よし、町に向かおうか」
花子は荷物をまとめた。ワイルドボア肉、オオカミ肉、各種調味料となる植物、そして何より大切な和包丁。
(この包丁、絶対に普通やない。でも、おばあちゃんが残してくれた大切なものや)
花子は昨夜作った料理のことを考えていた。確かに特別な効果があった。
「『愛情たっぷり!花子特製パワーミート』...変な名前やけど、なんか気に入ったわ」
その時、花子の手の中で和包丁が温かく光った。そして花子の頭の中に、新しい感覚が生まれた。
(あ、これって...料理のコツが分かってきた感じ?)
花子は自分の変化を実感した。昨日の朝まで、ただの専業主婦だった自分が、今は魔物を倒し、特殊な料理を作れるようになっている。
「不思議やなぁ...でも、おもしろいかも」
花子は森の出口に向かって歩き始めた。プルちゃんが肩の上で『プルプル♪』と鳴いている。
未知の世界への第一歩。不安もあるが、和包丁とプルちゃんがいれば何とかなりそうな気がした。
「よし!今日から私も冒険者や!」