第4章 川の学校
§1 怖い人の目
隆は動物の子供たちと、水力発電の水車が回るのを遠くから見ていた。
東京のマンションにきているのと同じ電気が起きている、と父親から聞いた。小学生には、話がむずかしすぎた。動物たちには、水車が回るのさえ不思議でならなかった。
「へー。これは昔、水車小屋にあったのと同じ仕組みや。これを使って、米や麦やソバを挽いておったなあ」
通りすがりが、足を止めたようだった。
初めて聞く声だった。隆が振り向くと、頭に皿、背中にスケートボードみたいなものを背負った動物が立っていた。仲間たちとは違うその姿に、隆は後ずさりした。
「河童のおじさんだよ。なにも悪いことせえへんで」
子供たちが笑った。河童はタヌキの子供の頭を撫でている。
「だけど、おじさん、昼間からこんなところに出てきて、危なくないの?」
動物の子供たちは、ヒヤヒヤしている。
子供たちの言うとおり、人間に見つかったら、河童狩りが始まってしまう。今度こそ、四国の河童は死に絶えるだろう。これで、日本から河童がいなくなってしまう。
「うん、ちょっとタヌエさんにお届け物があってな。すぐ去ぬ(帰る)よ」
帰りかけた河童の手を取って、隆が言った。
「ボク、いやだ。おじさんと遊びたい」
§2 魚目線
隆は別れるのがつらくて、河童について川に入った。
頭まで水に浸かると、河童の胴体が水面の向こうに見えた。それは大きかった。しかし、まわりはなんだか小さく見える。
「うわ! 面白ぇ」
動物たちも水に潜った。口々に同じことを叫んでいる。
「それは光のせいじゃよ。魚からは、みんなはいつもそんな風に見えているんじゃ」
河童のおじさんが教えている。おじさんは両方の世界の住人なのだった。
隆は両親と行った水族館を、思い出した。みんなに話したかったが、分かってもらえないだろう、とあきらめた。
「ボク、もっと水の中で遊びたい」
隆がせがむと、河童は岸のイタドリの茎を折って手渡した。
「じゃ、これを咥えて、おじさんに付いておいで」
河童は水中深く潜った。
深い淵もあれば、ゴツゴツした岩の間を、水が音を立てて流れているところもあった。
水は冷たかった。ジンゾク(カワヨシノボリ)やドブロク(ハゼ)などの小さな魚に交じって、アメゴやイワナなどの大きな魚も泳いでいた。
魚たちは隆の目の前を横切る。後ろからウナギがヌーッと追い越して行った時には、びっくりしてイタドリを口から離しそうになった。
上の方にコンクリートの高い壁が見えてきた。勢いよく水が噴き出している。
§3 命の恩人
「この上がダムじゃ。もうすぐだよ。水が出ている穴に入るよ」
河童は隆の手を取り、流れの中に突き進んだ。
「着いたよ」
広々としていた。流れは、ほとんどなかった。魚たちもじっと浮いていた。
「ひとりで暮らしてるの? 寂しくない?」
「もう何十年もひとりだから、寂しいのは慣れたよ。前は仲間がたくさんいた。ちょっとした川には仲間が棲んでいた。川には危険なところも多く、人間がよく溺れた。そんな時、ワシらが駆けつけて水を吐かせ、岸にあげておいたものじゃ。そりゃあ、人間から喜ばれたよ」
河童は川の主だったのだ。
隆はふと、先ほどのイタドリの茎に、目をやった。咥えていると、水の中でも息が自由にできたのだった。
§4 カッパの涙
「しかし、人間は賢くなり、人間にできないことはない、と思うようになった。いろいろな機械なども発明して生活が便利になった。いろいろな病気を治す薬もできた。
それでも、命あるものには必ず死が訪れる。そこで目を付けたのが、死なないことで知られた、われわれ河童の肝だった。『河童は、川に人間を引きずり込む』などと、ありもしないことを言いふらし、生け捕りにして肝を抜いた。不老不死の薬にしようというものだ。ワシの親やきょうだいはみんな、それで殺された」
河童はしばらく泣いていた。
「ひとり残され、生きているのがいやになった。でも、河童も動物の仲間。事故にあったり、殺されでもしない限り死ねない。いっそのこと人間の前に飛び出そうかとも考えたが、ワシが殺されると、河童は本当に伝説上の生き物になってしまう。
ワシが相談に行くたびに、村にひとり暮らしていたおばあちゃんは話を聴いてくれた。今があるのは、あのおばあちゃんのお陰や」
隆は河童の手に、小さな手を添えた。
§5 おばあちゃんと会えた
隆はその夜、夢を見た。
年取ったおばあちゃんが話しかけてきた。
「隆か? よう来たのう。待っとったで。田舎は楽しいか? 喘息はどうや?」
おばあちゃんは民宿の奥の部屋から、何か持ち出してきた。イタドリだった。
「発作で苦しい時は、これを咥えるんだよ。しばらくすると楽になる。これを持っておれば、喘息なんて怖くないよ。また、おばあちゃんとこへ、お父さんやお母さんと、遊びにおいで」
隆は手を伸ばしてイタドリを受け取ろうとした。おばあちゃんに手が届きそうで、届かない。おばあちゃんは奥の部屋にスーッと消えていった。
目が覚めると、汗びっしょりだった。手に、昼間、河童のおじさんからもらったイタドリを握りしめていた。