第3章 消えゆく自然
§1 それでも四国行きたい
「ボク、河童やツチノコと友達になりたいな」
漣の話を聞き、隆は大喜びだった。来週は三連休なので、ゆっくり四国に出かけることにした。
連休初日の朝、明子が隆の部屋から出てきて言った。
「苦しそうなのよ。ゆうべは、ほとんど寝てないみたい。四国行き、無理じゃないかな」
発作が始まってしまった。それでも隆は「行く」と言い張ったのだった。
「鍼灸師さんのところへ寄って、先週のお礼を言っておこう」
漣は治療院の駐車場にレンタカーを入れた。盲導犬が少し吠えた。
明子と二人でお礼に行った。クルマで休んでいる隆が気になった。
「誰か一緒ですか?」
鍼灸師が訊くので、隆のことを話した。
「ちょっと診ましょうか。中に入ってください」
§2 鍼治療
隆がベッドに仰向けになった。青白い顔をしている。
鍼灸師が長さ五センチあまり、太さ五ミリほどの|金属棒(防きんぞくぼう)を取り出した。先が丸く尖り、手元はネギ坊主のようにまん丸くなっていた。
指先を隆の手首に添えて脈を診た後、金属棒を隆の腕に当て、素早く回している。両方の手足に治療をし、次に隆を座らせた。
隆の顔がポッと明るくなってきた。背中に金属棒を当てると、隆はくすぐったそうに体をよじった。
「はい! いいですよ。大きく息を吸ってみて」
隆は両手を広げて、深呼吸した。楽になっていた。
「肺の調子を整えておきました。元気に遊んでらっしゃい」
隆が金属棒を、じっとながめている。
「これも鍼なんだよ。刺さないけど。おじいさんの手作りだよ」
鍼灸師が隆に鍼を渡した。
「なんだか、ツチノコの赤ちゃんみたい」
漣はたしなめた。
「これ。お世話になった先生に、変なこと言っちゃだめだよ」
ずんぐりむっくりしたものは何でも、隆には父から聞いたツチノコに見えるようだ。
鍼灸師は笑いながら、鍼をもとの場所に戻した。
「ツチノコも河童も見かけなくなったね。おじいちゃんが子供のころは時々つかまえて、いじめたなあ」
明子と漣が顔を見合わせた。
「昔は、山や川も、学校だった。そこにいる生き物も、みんな友達だった。家に帰るのも忘れて遊んだもんだよ」
鍼灸師はなつかしそうに語った。
「楽しいことばっかり? いやなことはなかったの?」
隆が訊いた。
「そりゃ、いやなことも、あったよ。でも、楽しいことの方が多かったから、いやなことは我慢できたよ」
鍼灸師が隆の肩に手をおいた。
「いいなあ。ボクも四国で暮らしたいなあ」
隆がポツリとつぶやいた。
§3 プレゼント
動物たちが隆たちの着くのを待っていた。
庭を片付け、屋根葺きに取りかかった。サルタが先頭に立って働いた。屋根に上れないイノシシやヒツジ、タヌキ、シカなどはせっせと屋根を葺く萱を運んだ。
漣と隆は動物の子供たちと、発電機を河原に戻し、調子を見ている。
少し離れたところで、明子とタヌエはバーベキューの準備をしていた。みんなそろそろ、お腹を空かせているだろう。
向こうの河原から近づいてくるものがあった。河童だった。かついでいる木の枝に、たくさんの魚がぶら下がっていた。
「ダムで獲れた魚です。野菜もいいが、たまには魚も食べてみてください」
魚をプレゼントし
「じゃあ、ワシはこれで」
と、河童はまた水に潜った。
河童が帰ったことを知らされ、隆は悔しがった。
「隆君、ウチらの仲間にはな、人間に姿を見られたらまずいものもおるんよ」
タヌエが話して聞かせた。
「河童やツチノコが人間につかまり、この世界からいなくなってしもうたら、可哀そうやろ。河童もツチノコも、ウチらに会いとうなったら出てくるから、それまでそっとしておいてあげよう」
隆はうなずいた。
「分かった」
§4 サギソウ園荒らし
民宿の修理は二日と掛からなかった。翌週末からお客さんを迎えた。
漣たちが民宿に着くと、タヌエが駆けこんできた。
「あのな、サギソウ園が荒らされたんよ」
赤沢高原は古くから、サギソウの高原として知られてきた。環境汚染が進み、また、その美しさのせいで持ち帰られ、野生のサギソウは絶滅してしまった。
これに対して立ち上がったのが、地元の小学生だった。麓でなんとか生き残っていたサギソウの球根を集めて、学校で育て、高原に植え替えることになった。
地元のボランティア団体も応援し、この活動は二○年以上、引き継がれている。
サギソウ園に急いで行って見ると、多くのサギソウは根から引き抜かれていた。小学生が一生懸命に育て、植えたものだ。
クルマが一台停まり、男性が降りてきた。ボランティア団体の人だった。
「花が終わるまで、見回りするか」
男性は唇を噛んだ。漣とタヌエは協力を申し出た。
次の日の昼、漣たちは遠くからサギソウ園を見張っていた。
クルマがそっと近づいた。男と女がクルマから降りて、遊歩道をサギソウ園へと歩く。
男がレジ袋を手に、しゃがみこんだ。
「こら!」
漣は大声をあげた。
§5 近づく絶滅の日
「ごめんなさい。とっても可愛らしい花だから、あちこちのサギソウを集めているんです。でも、ここのはだんだん小さくなり、枯れてしまう。それで、また獲りに…。本当に、ごめんなさい。庭の元気なサギソウをもってきて、植えておきます」
女がしきりに謝った。
「赤沢のサギソウはこの自然環境と、子供たちの愛情によって育ったものです。ほかの土地で根をおろすはずがない。それに、わけの分からないものを植えたら、病気を持ち込むことだってあるんです」
漣は昨日、教わったとおりのことを述べた。
「一度壊してしまった自然は、簡単には元に戻らんのです」
どこで聴いていたのか、ボランティア団体の人がゆっくりと歩いてきた。
「私が子供のころ、このあたりには、モウセンゴケがいっぱいありました。ところが、今ではほとんど見かけません。このため、間もなく絶滅するものとみられています」
ボランティア団体の人は話を続けた。
「食虫植物です。葉からネバネバした液を出し、近寄るアリやハエなどを捉えて、溶かしてしまう。別にめずらしいものではなかった。減ったのは、人間が持ち帰ったせいではないでしょう。環境汚染のせいですよ。クルマの排気ガスや農薬などで、水も空気も土も汚染された。植物は動物たちと違って自由に移動できないだけに、弱い。もう、安心して育っていける環境ではなくなっているのですよ」
§6 ギャング
「いい機会だから、一度お見せしておきたいところがあります」
ボランティア団体の人は夫婦を帰し、漣と隆、タヌエ、イノダをクルマに乗せた。
「この橋の下には何年か前まで、アユやイダ(ウグイ)がいっぱい、いたんです。それが一匹もいなくなった。なんでだと思いますか?」
何がそこまで自然を変えたのか、漣には答えられなかった。
「鵜ですよ。川鵜。カラスのように大きな鳥です。岩の上や木の枝から狙っていて、水中に飛び込んでは魚を追いかける。鵜に目を付けられたら、魚は助からない。アユを獲って生活している人は、大変な被害を受けています」
「どうして、そんなに鵜が増えたのですか?」
漣が問うと、ボランティア団体の人は苦しそうに答えた。
「分からんですなあ」