第2章 動物王国
§1 バスターズ元気
枯れた大きな木の根元に、洞穴ができている。暗闇の中から、たくさんの目が外を見ていた。
イノシシのイノダがまず、漣に気づいた。洞穴の入り口で見張りをしていた。
「どこから来られました? 国道も県道も通行止めだったでしょう」
漣は、赤沢高原を越えてきたことを話した。
「皆さん、無事でしたか?」
気になっていたことを訊いた。
「あらあ、漣さん!」
タヌキのタヌエだった。
「ここに避難しとったら、大丈夫や」
シカのシカヤと、サルのサルタも奥から出てきた。
「バスターズのおじいさんたちはどうしてますか?」
ジキータたちは年寄りなので、漣は心配だった。
「昼間、ジキータさんがここに寄りましたよ」
サルタが言った。
ジキータも森の仲間を見にきていたのだ。
「なに、バスターズはもっと安全な山奥に住処がありますから、酒でも呑みながら、台風の通り過ぎるのを待っていたんでしょう」
「ところで、漣さんの民宿、風で屋根が飛ばされとるんよ。みんなで修理を手伝おうかって話し合うとったところや」
タヌエは続けた。
「発電機は子供らが川から引き揚げとったので、壊れてないと思うけど」
「そうでしたか。子供たちにもお世話になったのですね。助かりました」
動物たちの気持ちがありがたかった。
横になると、漣は疲れから、すぐ眠った。
§2 河童の川流れ
洞に朝日が差し込んできた。まぶしさに漣は思わず目を背けた。
動物たちがごろ寝していた。見慣れた森の動物に交じり、初めて見るものもいた。
「あんたも、避難してきたん?」
人間かと思ったら、口が三角になって前に突き出している。しきりに帽子を気にしている。よくよく見ると、皿だった。
「いや、そこで民宿やってるものですから、様子を見にきたのです」
「民宿? なに、それ」
首を傾げた。そのものはハンカチを濡らして、頭の皿を湿らせている。
「ははあ、おばあちゃん家の跡で何かやってるの、あんたたち? あのおばあちゃんにはお世話になったなあ。人間に見つかりそうになって、よう納屋に隠してもろうたわ」
川の上の方にあるダムに棲んでいる、と言っていた。
川をせきとめて水を貯めたダムは、人間から隠れるにはちょうどいい場所だった。仲間たちも集まってきた。しかし、ダムには雨が降るたびに、周りから土や砂が流れ込む。積もると、上から底がまる見えになる。
そればかりか、ダムに貯まる水の量は減り、少しの雨でダムの水はいっぱいになる。あふれた水はいろいろなものを押し流してしまう。
「仲間にはダムからの水に呑まれ、溺れ死んだものも多いのですよ」
「まるで『河童の川流れ』ですね」
漣が言うと、いきなり漣の口を押えてきた。
「シッ! 言葉に気を付けて! ほかの人間に聞かれたら大変なことになります」
§3 あの動物も生きていた
人間、と聞いてビクッとしたものがいた。
「こいつはニホンカワウソです。私? 大きな声では言えませんが、河童です」
イタチに似た動物が、河童の横から漣をじっと見ている。
今朝からしきりにオシャレをし、ネコのように毛並みを整えていた。
なんと、ニホンカワウソが生きていたのである。昔はあちこちの川や谷で見かけたが、毛皮が高く売れるので、獲り尽くされてしまった、とされている。
「山奥に隠れて、なんとか生き延びてきました」
となりで奥さんと子供が、ペコリと頭を下げた。
「さあ、朝ごはんですよ。みんなお待たせ」
タヌエがみんなの食器に、湯気の立つ鍋からシャモジで、料理を入れて行く。
待ちきれず、ガウガウと、動き回っているものがいた。
§4 まさかまさかの
「オオカミ爺のもあるよ。あんたは生肉しか食べんから、一番後でもええやろ」
目がつり上がり、耳が立っている。バスターズのドクの何倍も怖い。
「オオカミって? まさか」
漣が尋ねると、タヌエは笑った。
「その、まさか、や。ニホンオオカミも死に絶えた、絶滅したと思うとったんやろ」
ニホンオオカミは一〇○年以上前に絶滅した、と言われている。
もともと野山で、ウサギやタヌキ、シカなどを食べていた。ところが、人間が住まいを野山にまで広げてきた。牛や馬などが家畜として飼われ、おいしい肉が簡単に手に入るようになった。人間は黙っていない。オオカミと見るや殺した。さらにイヌやオオカミの間で「狂犬病」という恐ろしい病が流行ったことから、多くが死んでしまった。
「腹を空かせて、村の近くまで出てくると狙われる。山奥で暮らしとれば、安全じゃよ。それにしても、人間は自分勝手だ」
ニホンオオカミの目がキラリと光った。
§5 幻の生物、生まれる
「なんだか、哀しい話ですね。人間はたくさんの動物の命を奪ってきたのですね」
漣はタヌエに頭を下げた。
避難していた動物たちは安全を確かめて、家に戻った。これからはしばらく後片付けに追われる。
漣が民宿に行こうと腰を上げかけた時、洞にお客さんがあった。タヌエにしきりにお礼を言っている。
「そりゃ、よかったわ。みんな心配しとったんよ。奥さんも、赤ちゃんも元気?」
相手は、山に実っているアケビを大きくしたようなヘビだった。短くて丸く、ヘビにしては可愛らしい顔をしている。ヘビのようにくねくねと進むこと(蛇行)ができないのか、飛び跳ねながら帰って行った。
「赤ちゃんが卵から孵ったのですか?」
「違うんよ。避難を呼びかけた時に、奥さんのお腹が痛うなったんよ。それで家で子供、生んでな」
卵ならともかく、子供を生むヘビなど聞いたことがなかった。
「マムシと同じように、あれらの子供は親と同じ姿で生まれてくる。どっちかと言うと、体つきからしても、マムシに近いんよ、ツチノコは」
タヌエはいつものようにしゃべった。
漣は大事なことを、うっかり聞き逃すところだった。
民宿の被害を調べ、次の週から修理にかかることを告げて、漣は赤沢高原へと向かった。
無事帰ったことを、鍼灸師が喜んでくれた。盲導犬も今度は吠えなかった。
今回、タヌエの森で見たことを鍼灸師に話したかったが、とても信じてもらえそうにない。隆や明子だって、いつもの冗談と、相手にしてくれないだろう。