第二一話
第二一話 乙女三態 その一 姉さんの事情 乙原多喜
「美幸母様から、『高校生のうちに伴侶を決めて生涯設計を立てるなんて、先走ることはない』、とも言われてたけど、こういう旧家で生まれ育つと、家のことや自分の将来を考えてしまうの。あなたに重い女だと嫌われるのも恐いけどね。」
「それで茶室?」
三人の女に、それぞれのアピールする場を設けるとの美幸の提案。一人目の多喜は悠輔を自宅の茶室に招いた。二人で落ち着いて話すのに一番いいし、落ち着いた装飾は、案外に旧家の重さを感じさせない。
「あなたはお婆さまのお気に入りで、この家は出入り自由だけど、炭火がある茶室には入らないように言われていたわね。」
悠輔は本を与えておけば何時間でもじっとしている子だったから、この家で過ごす時間の大半は本棚の前だった。その温和しさを多喜の祖母の良久は気に入り、この家の本は好きに読んで良い、どこでも自由に入って良し、との特権を与えた。自分の親戚の子供たちは厳しく叱るのに、と反発する一族に向かって良久は言った。「この子ほど行機の良い子が、あなたたちの子供にいますか?」
その悠輔も、茶室は入室禁止だった。
「普通の子供なら見慣れない茶器に悪戯するでしょうけど、あなたは触るなと言われたものは触らない子だったから大丈夫。けど、さすがに火はね。だからここは珍しいでしょ。良い機会だから、一服さし上げましょう。」
「ごめん、作法知らない。」
「飲みやすいように飲めばよいのです。私もお点前をキチンと習ったわけではないから。」
謙遜である。多喜は幼いころから茶道の先生が舌を巻くほどのお点前で、所作は高校生離れしている。茶道部に誘われても入部しなかった理由を「我流ですから皆様の和を乱してしまいます」と言ってるけれど、本当は上手すぎて顧問や先輩に恥をかかせてしまうのを避けたためである。
実際、多喜の流れるような動きは美しい。悠輔は見惚れた。
差し出された茶碗を、悠輔は片手で掴んでグビグビと飲み干した。
「けっこうなお点前で」
「正直におっしゃい」静かで優しい口ぶりながら、目に力がある。
「……苦い。作法を知らないから緊張する。」
多喜は破顔した。
「今度は甘い抹茶ラテでも入れてあげます。お茶というものは、本来静かに落ち着いた時間を楽しむものです。作法は縛られるものではなく、自然にそうなるべきもの。戦国の武士が茶道を好んだのも、殺伐とした戦から解放された安らぎを求めたのだと、私は思います。
私ならあなたに、そういった安らぎを差し上げられます。二人きりです、何でしたら横になってもかまいませんよ。膝枕をしてあげます。」
「いや、そこまでは。それに俺、サムライじゃない。」
「生真面目に自分を律して、努力を積み重ねるあなたはサムライです。放っておいたら何時間でも勉強続けてしまう。そうしていないと人並みの成績を維持できなくなりそうで恐いのでしょ。その性格は変えられそうにないけど、私といるときは楽にしてよいのです。
あなたとの付き合いは私がいちばん長いから、あなたの嗜好は分かっています。私と一緒のときは、好きな本を読んでいても良いのです。喉が渇いた頃に、あなたが好きな飲み物を入れてあげます。
何でしたら、将来は働かなくて、本を読む生活でも良いですよ。あなたは贅沢しないでしょうから、この家に残った財産で、あなたを養うこともできます。」
「いくらなんでもそこまでは……」
「冗談です。」
「姉さんが言うと冗談ですまない。そもそもなんだけど、姉さんほどの性格も容姿も完璧な美女が、どうして俺程度の男に尽くそうとするの? もっと立派な許嫁とかいそうなのに」
「さすがに今どき、許嫁はないです。あなたにこだわる理由は……。そうですね、この家に最初に来たときのこと、覚えています?」
「恥ずかしくて忘れられない。」
幼稚園でおねしょをして泣いている悠輔をトイレに連れて行き、パンツとズボンを洗ったのが、たまたまその場にいた一年上の多喜だった。多喜はその頃からしっかりした子であった。そういう幼女に、保母に任せておけないと思わせる幼気さを持っているのが悠輔だった。
そのままでは風邪を引くからと、悠輔を連れて帰った多喜は風呂にいれて、その間に濡れたパンツとズボンを乾かした。幼稚園児のすることではない。
後で事の次第を知った美幸がお礼を言いに来ると、多喜は「これからも面倒見ます」と言った。美幸は幼女に頭を下げつつ、それを当てにした節がある。任せられるのが、旧家で躾けられた多喜という少女であった。
「あの時、わたくしはあなたのおちんちんまで洗ったのです。責任取って、嫁にしなさい」
「いや、それは……」
「冗談です。」
「冗談言ってる顔つきじゃない。」
「では真面目な話。良家の子女というのは、それなりに大変なのです。あなたが言うほど、わたくし私は完璧な女ではありません。嫌な感情もあるし、必要とあれば人を操ったり陥れもします。嫌っている家の力も使ってね。
しかし、表面上は御嬢様に見えるような育てられ方をしてきました。その割に、この家は没落してお金はないので、見栄が息苦しく感じるときもあります。ですから、成人したら家を出たいのです。家出という方法もありますが、よほど上手く隠れない限り、連れ戻されるでしょうね。
あなたはこの家で私と一緒に育ったようなものです。お互いを知っているので、気兼ねがありません。わたくしが地を出せる同年代の殿方はあなだだけなのです。あなたと居ると、わたくしは気が安らぎます。とても幸せです。
あなたは真面目で良い男です。あなたを見てると、何を置いても助けたあげたくなります。恋というより母か姉のような感情なのかもしれません。どちらでもかまいません。一緒にいたいと思う情熱に変わりはありませんから。
しかもあなたは一族の人間ではないから、この家の旧態依然としたこだわりがありません。美幸お母様とも上手くやっていけそうです。わたくしには良縁なのです。
わたくしをこの家から連れ出してください。他家に嫁いでしまえば、誰も乙原家に縛り付けはできないでしょう。そうすれば、あなたの言う完璧な美女が一生尽くしてさしあげます。」
悠輔は答えられなかった。




