第二話
第二話 お姉さんが来た
県立横打高校一年六組。始業前の教室に二年生女子が入ってくる。クラスの男子生徒たちがざわつく。
「おい、あの美人」「生徒会長だよな」「名家・乙原家のご令嬢の」
それらの声に反応することもなく、長身で真っ直ぐ背筋を伸ばした上品な足取りが悠輔の席に向かう。
「悠輔、お弁当を忘れてますよ」
「あれ? でも、どうして多喜姉さんが?」
「お母さまに頼まれたのです。早く出るのなら、ちゃんと言っておきなさない。それと、いい加減、携帯電話を持ちなさい。人付き合いをしないと、寂しい大人になりますよ。わたくしがいつもあなたのお世話をできるわけではないのです。」
「携帯はまあ、そのうち。いつまでも子供じゃないから、姉さんの世話にならなくても……」
「では、今度忘れ物があったら、お母さんが届けに来ますよ。」
「それは、勘弁して。」
「では、ちゃんとすることですね。」
多喜は弁当箱を悠輔の机に置くと、生徒たちに向かって優美にお辞儀する。
「皆さん、お騒がせしました。ごきげんよう。」
飾り気がまるでない制服でも肌の白さと細やかさが際立つ容姿、長髪を律儀に三つ編みにする――校則で決まってはいるが、時代錯誤で誰も守らないし、教師も違反を注意しない――地味な髪型でも分かる艶やかな黒髪、雅楽の中を歩くような優雅な足取り。静かに去って行く後ろ姿に、男子からは憧れの視線、女子からは羨望のまなざしが注ぐ。
「「妹」の次はお姉さん?」 と、隣の席の都子。
「いや、家が近所で幼稚園の時からの幼なじみ、乙原多喜。年はひとつ上だから多喜姉さんって呼んでる。」
同級生たちが集まり、矢継ぎ早に質問してくる。
「世が世ならの名家で、物凄い資産家だって、本当か?」「二年生に進級したらすぐに生徒会長って、どれだけ優秀なんだ?」「あの美貌だから、取り巻く男が百人もいて、親衛隊が登下校の送り迎えをしてるって、本当か?」
悠輔は答える。
「そんな大層な家系かは知らない。今は落ちぶれて大した金はないって。昔は市街地の外れにある家から駅まで、自家の土地だけを通って行けた、って聞いたことあるけど、戦前の話だって。家は大きいけど、高価な調度品なんかないよ。離れに小さな茶室があるのが贅沢だけど、価値のある茶道具なんてないって、お婆さまが言ってた。
頭はいいよ。昔から、成績は学年順位のトップばかりじゃないかな。茶道とか日舞とか習ってるから品が良くて、子供の頃から大人に好かれるなあ。
この学校の生徒会長って、二年生がなるもんだろ。年度始めの選挙なんて有名無実で、ほとんど先生の推薦で決まってしまう。
親衛隊なんて知らない。むしろ友達は少ないと思う。性格温和しいし、近寄りがたい雰囲気あるから。俺は子供の頃から一緒だから平気だけど。」
「その「世が世なら」の御嬢様に好かれて、何かと世話を焼かせてる、ってこと?」
都子は悠輔を真っ直ぐに見つめる。
「ただの幼なじみ。あさ美の時もそうだけど、やけに絡んでくるなあ。」
「好きな男に近しい女は、そりゃ、気になるわよ。しかもあんな非の打ち所のない美人。あなたって、何者なの?」
そういう自分だって結構な美形じゃないか、と悠輔は思ったが、口に出せずにうつむいた。