第一七話
第一七話 乱闘
文化祭の講談以来、悠輔と日本史の瓜生教師との関係は悪化するばかりだった。
悠輔にしてみれば、本来は面白いはずの日本史を、教科書の事項を羅列するだけの退屈なインデックスにしてしまう瓜生の授業が不満。講談が受けたのに気を良くした悠輔は、瓜生の事業がつまらないと思うのが授業態度の端々に出る。
瓜生にしてみれば、少しばかし知識があるのを鼻にかけて、教師をバカにした態度を取る悠輔が許せない。
授業中そっぽを向いたままの悠輔、あからさまに不機嫌な瓜生。見かねた都子が注意する。
「授業を聞いているふりだけでもしなさい。前を向いて板書を書き写すとか。」
「瓜生先生の話は、聞いてるとイライラするんだ。西南戦争は田原坂とか熊本城攻防とか、面白い話がいくらもあるのに、西郷隆盛の最期すら取り上げないとか、あれじゃみんな日本史が嫌いになっちゃうよ。」
「瓜生先生の授業が下手なのは認めるけど。高校の授業で、あなたの講談のように面白いところをドラマチックに語る時間なんてないわよ。こんなものだと割り切って。最低限、前を向いてるのが礼儀でしょ。」
聞くふりをして、実は耳に入っていない。真面目な悠輔は、そういう方便を使えない。
面倒なことに、この二人は歴史観が違った。悠輔は、近代日本は周辺諸国を侵略して自滅した、と考えている。瓜生は、日本の戦争は自衛のためだった、と考えている。
多くの場合、対立する前に生徒が引き下がるものだが、悠輔はそうではない。日露戦争後の日本の大陸進出の解釈で、悠輔が噛み付いた。
「じゃ、お聞きしますが。韓国併合や満州国建国はどうなります。明らかに侵略でしょう。おかげで韓国じゃ、いまだに反日が収まらない。」
「併合しなければ韓国、いや東アジアは悲惨なことになったぞ。日本のおかげで韓国の資本主義は発展したんだ。日本からの韓国への収支は赤字になるくらい、日本は韓国に出資してるんだ。」
「そりゃ、植民地政策や初期投資が下手くそってことでしょ。投資するなら他国を併合して良いなんて話にはならんでしょ。」
「日本が併合して韓国が安定したのは無視できん。韓国併合は国際法上、合法なんだ。おまえ、ものを知らんな。」
日本史は人並み以上の知識があると自負する悠輔は、この一言に切れた。
「ものを知らんのはあんただ。あんたのような身勝手な解釈をする人がいるから、戦争がなくならないんだ!」
激高した悠輔が立ち上がり、拳を構えて教壇に駆け寄ろうとする。それより速く動いた豊が悠輔を後ろから羽交い締めにする。
「放せ。」
「やめろ。口喧嘩は先に手を出した方が負けだ。殴られた相手は暴力を非難して、いっそう自説を語るぞ。黙らせるには殺すしかない。悠輔、おまえにそこまでの覚悟があるのか?」
制止してるのか、けしかけてるのか分からない過激な言葉に、身構えた瓜生の腰が引ける。そこまで考えていなかった悠輔は勢いが削がれる。
騒然とする教室に終業の鐘が鳴る。
「起立!」
都子の凜とした声が響く。生徒たちは思わず立ち上がる。
「礼、着席」
「先生、終業です。東山くんは興奮して我を忘れています。私が説得します。退室してください」
「いや、生徒にこの事態を任せるわけには……」
「先生がいらっしゃると東山くんの興奮が収まりません。どうか委員長の私にお任せください」
悠輔を押さえたまま、豊が妙に間の抜けた口調で言う。
「先生、部員が不祥事を起こすと、野球部は公式試合出場停止になるんだなあ。俺、関わっちゃったから。来年の野球部はけっこういい線まで行くと思うんだけど、パーになっちゃう。こいつにバカな真似させないから、とりあえず、帰ってくれない。」
毒気を抜かれた悠輔の力が緩む。瓜生は吐き捨てる。
「分かった。今日のところは帰る。」
瓜生はそそくさと教室を出て行く。都子は悠輔の前に回る。
「委員長、ごめん。豊、放してくれ、もう大丈夫だ。」
豊は手を放す。うなだれる悠輔の頬に都子の平手が飛ぶ。小気味よい音が教室に響く。
「大丈夫なものですか。暴力沙汰を起こして、前科者のレッテルを貼られるつもり。あんなくだらない男のせいで。」
「おい、瓜生先生に聞こえるぞ。」
都子の怒りに、悠輔の方があわてる。
「かまうものですか、教科書を読むだけの授業しかできない教師にどう思われようが。そんなの相手に子供みたいに興奮して。」
うつむいた都子は悠輔の胸を叩く。
「悪かった。落ち着いてくれ。」
「もうこんなことしないと、約束できる?」
「する。約束するから、叩くのやめて。痛いよ、委員長。」
「あと、私のこと、委員長じゃなくて、名前で呼んで。」
「ええと、神楽女さん。」
「都子、です。」
「都子さん。」
「「さん」、じゃなくて「都子」。」
「都子……」
「はい」
悠輔を見上げる都子は、ニターッと笑った。
「全部、計算ずくか……」豊がつぶやく。
「さあ、何のことかしら。ねえ、悠輔クン!」