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第一六話

 第一六話 文化祭の代打

 毎年一一月に開催される県立横手高校の文化祭に大した行事はない。基本は自由参加だから、文化系の部活動が部室か空き教室で発表会を催し、幾組かのバンドが体育館で演奏するぐらい。

 バンドとは云っても、学生の、それも学業に時間を取られる進学高校生の演奏は大したものになりようがない。それでも、まれに人気者が現れて体育館を沸かせたりする。

 演奏会の最後を務める、その人気バンドのヴォーカルが補導されて、警察署から出られないと文化祭実行委員会――実質は生徒会が兼任している――に連絡が入ったのは、公演開始時刻の一時間前だった。

 リハーサルでギターの弦が切れたため、ステージ衣装のまま楽器店に走ったら、他校の不良から派手な衣装に難癖をつけられ、ケンカになって警察が駆けつけた。職員室には警察から連絡が入っていたのだけれど、傷害事件になりかねない事態への対応に追われ、文化祭どころでなくなった教員たちは、実行委員会に知らせそこなったのだ。

 他のバンドの演奏時間を延ばすか、最後のバンドの演奏はないまま終了させるか、あるいは別の演目を入れるか。判断を丸投げされた実行委員会は、どうすかか決めかねた。アイデアを出す時間すらない。

 ほとんどが生徒会役員で占める文化祭実行委員たちが議論する二年一組――横手高校には生徒会室なんかなく、生徒会長が所属する教室で会合を開くのが慣例になっている――の引き戸が勢いよく開かれる。

 「多喜姉ちゃん、見つけた。」、あさ美が場違いの明るい声を上げる。

「ねえ、お兄ちゃん、どこ?」

「部外者は出て行きなさい。いま、大事な話をしているんだ。」、書記が声を荒げる。

「話は聞こえた。だからお兄ちゃんを探すの。お兄ちゃんにしゃべらせればいいのよ。お兄ちゃんの歴史物語、とっても面白いから、三〇分なんてすぐに過ぎちゃうわ。」

「君ねえ……」

「私、寝物語に聞かせてもらって、ワクワクして胸にしがみついちゃうくらい面白いんだから。」

「話がややこしくなるから、あなたは黙っていなさい。」文化祭実行委員長、生徒会長の多喜が声を上げる。

 子供のころ、ぐずるあさ美を悠輔があやした時の話だろう。この子は国語が苦手なくせに、寝物語なんて言葉、どこで覚えたのかしら。

 しかし、これは使える。ステージに穴を開けるのと、いきなり悠輔に一人語りをさせるのと、メリットとデメリットを勘案した多喜は、即座に判断した。

 「悠輔、いえ、東山君を呼び出しなさい。あの人のことだから、自由時間は図書室でしょうけど、探す時間が惜しい。携帯電話を持たない人ですから、かまいません、校内放送でここに出頭するように言ってください。」

 面倒くさいとか、本を読んでる方がいいとか、嫌がりそうね。そうはさせない。

 ほどなく、校内放送が流れる。

「一年六組の東山悠輔君、東山悠輔君。至急、二年一組にお越しください。繰り返します。――えっ、この紙は何? 乙原会長からの伝言? 会長、字が上手いな。って、えー、これ、言っちゃっていいの? そのまま読んじゃうよ。

 『悠輔、すぐに来なさい。さもないと幼稚園でおねしょした顛末を、校内放送で公開しますよ』」

 息を切らせながら憮然とする、複雑な表情で悠輔が二年一組に飛び込んでくる。

 「多喜姉さん!」

悠輔の抗議を言わせもせず、多喜は問いかける。

「いま、日本史はどこを勉強してます?」

意表を突かれた悠輔は、思わず素直に答えてしまう。

「今週から江戸中期、元禄時代かな」

「ではもう少し先、幕末を語りなさい。時間は三〇分。文化祭のステージに空きが出来ました。あなたの講談で穴埋めするのです。」

「姉さん、急にそんなこと言われても」

三〇分もしゃべるネタがない、と言う意味ではない。三〇分では語りきれない、と言いたいのだ。長い付き合いの多喜には、皆まで言わなくても分かる。

「幕末史で一番好きな人は?」

「勝海舟、かな」

「では江戸城無血開城を語りなさい。多少の時間超過はこちらで調整します。開演は一〇分後の一四時。会場は体育館。すぐに向かいなさい。細かい事情は体育館に着く前に副会長から聞きなさい。

 くれぐれも、余計なことはしゃべらないように。」 

悠輔が返事をする前に、多喜は文化祭実行委員たちに指示を出す。

「プログラムの変更を告知します。印刷物は間に合わないから放送で伝えてください。人気バンドの演奏がなくなって、会場から出ようとする生徒で混在するから、会場係は導線を確保してください。」

 悠輔はブツブツ言いながら体育館に向かう。しゃべる内容を確認しているらしい。

「悠輔」、多喜が声をかける。

「背筋を伸ばしなさい」、悠輔は反射的に真っ直ぐになる。

「会長、東山君って、講談なんかやってるんですか?」、と書記。

「始めてですよ。」

「大丈夫。お兄ちゃんの話は、一緒に寝るつもりが興奮して眠れなくなるくらい面白いんだから。たくさんの人に聞いてもらえるように知らせなきゃ。」

 口を挟むあさ美を多喜が止める。

「話がややこしくなるから、あなたは黙っていなさい。それより大事な仕事があります。会場の一番前で、悠輔に講演の残り時間を知らせてあげなさい。五分刻みでいいでしょう。そこのホワイトボードとマジックを持って行きなさい。」

 あさ美は走り出る。

「会長、大丈夫ですか?」

「いきなりでも三〇分ぐらいは話しますよ。勝海舟なら「氷川清話」とか、ほとんど覚えてるでしょうから。心配なのは東山君が調子に乗って、『教え方が悪いから日本史の魅力が伝わらない』とか、授業の悪口を言い出すことです。マイクを切られないように、放送係は教師に放送器具を触らせないようにしてください。」

「そんな過激なこと言うんですか?」

「まあ、そこまでの事態にはならないとは思いますけど。万が一、講談を途中でやめさせられた場合、生徒の反発が後々まで尾を引きます。念のためです。」

「大丈夫なんですか?」

「大丈夫ですよ。」多喜は微笑んで付け加えた「たぶん」。

「さあ、実行委員は仕事にかかってください」

放送係は顔を引きつらせ、体育館に走った。

 他に誰もいなくなった教室で、都子が多喜の前に立つ。

「何か言いたげですね、委員長」

「何を考えているのです、生徒会長。演奏できなくなったバンドはトリだから、公演終了を繰り上げればすむことなのに、なぜ、東山君を使うの?」

「あなたには本音を言っておきましょう。

 東山君、いえ、悠輔が最近、元気がないの、あなたも知っているでしょ。勉強ばかりしてきたのに、成績が落ち気味だもの。焦るから勉強がはかどらない。それで気分が落ち込むと、さらに勉強が手につかなくなる。楽しいことをさせて、得意分野だけでも自信を取り戻してあげれば、また元気になると思うの。」

「それ、公私混同です」

「そうね。でも、文化祭を盛り上げたいのも嘘じゃないのよ。ちょっとした職権乱用だけど、誰にも迷惑はかからないし、黙っていれば分からない。」

「私が暴露したら?」

「悠輔が好きで、元気にしてあげたいあなたは、悠輔が苦しむから、そんなことしないわ。」

「そうかもしれない。でも黙っていればその危険もないのに」

「誤解しているかもしれないけど、私は、悠輔を好いてくれるあなたが好きよ。一本気で男前の性格も好ましい。そのあなたに嘘はつきたくない。」

「でも、会長、いえ、乙原さん。あなたが東山君を好きなのは弟としてではなく、男性としてでしょう。私は恋敵になるのでは?」

「そうね。子供の頃は手のかかる弟みたいに思っていたけど、今は誰にも渡したくない気持ちが強いわね。あなたにも、あさ美にも。

 でもね。悠輔に幸せになってもらいたい気持ちはもっと強いの。悠輔があなたを選ぶのなら、受け入れるしかないわ。私、恋人じゃなくてお姉さんだもの。

 あなたがいなければ、自分の気持ちを整理できないから、理解もできなかった。感謝しているわ。」

 都子は目からうろこが落ちる思いだった。この人は、これほどまでに悠輔を思っているのか。

「乙原さん、単純にあなたに嫉妬していた自分が恥ずかしいです。東山君がどういう選択をしようと、親しくさせてください。よろしくお願いします。」

「こちらこそ。さて、悠輔の晴れ舞台、見に行きましょうか。」

「はい。でも、本当に大丈夫なんですか?」

「落ち込みやすいくせに、お調子者のところがあるからね。私たちで助けてあげましょう。」

 多喜の心配は当たった。悠輔は最初から飛ばした。

「えーと、一年六組の東山悠輔です。既にご承知の方も多いでしょうが、この時間に演奏を予定していたバンド、「エアリーテール」はのっぴきならぬ事情により出演できなくなりました。代わりに僕の講談を聞いてもらいます。

 なに、中止の理由を言え? またまた、知ってるくせに、意地が悪いなあ。それじゃあまあ、かいつまんでご説明を」

 最前列でケタケタ笑っているあさ美からホワイトボードを取り上げた多喜が、書き込んで悠輔に示す。

『余計なことは言わない。早く本題に入りなさい』

「あー、恐い姉さん、もとい、生徒会長から指示が入りました。その話はあとで生徒会がするのね? はいはい、命じられたお題の話をしますよ。えーっと、何でしたっけ?」

会場から笑いが起こる。

「冗談です。委員長まで、そんな恐い顔しないで。分かってます。江戸城無血開城ね。」

悠輔は咳払いを入れ、真面目な顔になる。

「時は慶応四年、西郷隆盛に率いられた薩摩、長州を主力とする官軍は錦の御旗を押し立て江戸に迫る。対する徳川幕府は、最後の将軍、徳川慶喜が恭順の意思を示すものの、それで収まるもんじゃあない。徹底抗戦か降伏か、日本の運命がかかった決戦を前に、江戸城内は混乱を極める。」

「あー、ちょっと説明入れますね。江戸ってのは今の東京です。そのくらい知ってる? あさ美、おまえ知ってた? 首を横に振ってるよ、この中学三年生。おまえの志望校、ここだろ。大丈夫かねえ。これ終わったら勉強見てあげるから。

 嬉しそうに肯くんじゃありません。

 あーと。慶応四年、改元されて明治元年ってのは西暦で言うと一八……、何年だったっけ? すいません、数字覚えるの苦手で。だいたい年号なんて意味のない数字で、テストに出しやすいからって安易な問題つくっちゃうのは、出題者の怠慢じゃないかと……」

 都子がホワイトボードをかざす。『教師を怒らせない』

「あー、今度は委員長から叱られました。内申点に響くことを言うな。分かりましたよ。  明治元年は概ね一五〇年前です。」

 あさ美は大喜び。都子は呆れる。

「乙原先輩、東山君は大勢の前でしゃべるのに、緊張しないんですか?」

「気が弱いから、何かあるとすぐ萎縮する子よ。でも、幕末史は得意中の得意だから、言葉に詰まらない自信があって、リラックスしてるみたいね」

「あたしがいるからよ。」

あさ美の真顔を多喜と都子はのぞき込む。

「あたしがいれば、お兄ちゃんは何だってできるの。何故かって? 難しい理屈は知らない。でも、あたしと一緒なら、お兄ちゃんが無敵なのは間違いない。だから、あたしはお兄ちゃんのもの。」 

 多喜と都子は顔を見合わせる。天性の才能は、ときに努力を凌駕する。この何も考えてないとしか思えない子に、悠輔を取られてしまうのではないか。

 悠輔の話は進む。当時の官軍は兵力に余裕がないから、無理に攻めれば形勢逆転しかねない状況。対する幕府側の、将軍不在で統制が取れないドタバタを面白おかしく説明していく。

「西郷隆盛と勝海舟とが話し合いで江戸城を明け渡しを決めたのは、江戸を戦果で焼きたくなかったから、と言われてきたけど、そうでもないらしいんです。

 勝海舟は西郷隆盛との交渉が決裂したら、官軍を江戸に引き込んで焼き討ちで殲滅する作戦も用意してたって。そのために過去の大火ので火の回り方を調べて、どうやれば効率的に焼き討ちできるかを考えてたらしいんです。江戸の住民を逃がす手はずを火消しの頭領の新門辰五郎――この人は江戸っ子で幕府、というか徳川慶喜の信奉者ですけどね――と打ち合わせて、江戸湾に住民を逃がすための段取りを固める。海から住民を避難させるためにフネを用意するとか、多くの人材を駆使して、かなり綿密に計算してたようです。

 はてはイギリス公使にまで根回ししたらしい。江戸城無血開城の交渉って、足かけ2ヶ月ぐらいかかってますから、あれこれ画策してんです。まあ、西郷の方でもあれこれ動いたようですけど。「誠意を持った交渉」どころか、かなりドロドロした駆け引きがあったようです。

 勝海舟はそういう画策が出来るくらい人脈が広い、魅力的な人だったようです。ちなみに英雄、色を好むというか、女たらしで、行く先々でお妾さんを作る。

 例えば長崎では後家さんと付き合ってます。わらじの鼻緒が切れて困ってるのを、勝がすげ替えたのがきっかけだって。そんな手垢の付いたナンパ――下で女性陣がにらんでるので、この話はやめます。」

 会場から笑い声がおこる。「女たらしはお前だ」とヤジが飛んでどっと沸く。

「僕は恐い女たちに責められてるだけです。」

 多喜がホワイトボードをかざす。『話を戻しなさい』

「ほら、こうやって叱られる。

 女性で思い出しました。勝海舟が和戦両方の準備を進めてるとき、お伺いを立てたのは天璋院、篤姫。一三代将軍、徳川家定の未亡人です。勝も江戸城でアテにできる人が他にいなかったんでしょうね。この人は薩摩の出身で、政略結婚で徳川に嫁いだんですが、最後まで徳川のために尽力した人です。このときは西郷隆盛に将軍・慶喜の救済を願ってます。

 篤姫の嫁入り道具を揃えたのは西郷隆盛。二人は旧知の仲なんです。だから土壇場での嘆願も効果あったんでしょう。西郷隆盛って豪快な印象があるけど、嫁入りなんて繊細な仕事もできる。だから江戸を戦場にすべきかどうか、細かいな計算もしたんでしょう。

 そういった事情もあって、勝が江戸を火の海にしてでも官軍を迎え撃つぞって、西郷に脅しをかけたのは、効いたのでしょう。はっきりとは言わないまでもほのめかしたらしい。まあ、勝海舟ってほら吹きのくせに大事なことは言わない人だから、日記や状況からの推測ですけどね。

 ともかくも、両者の思惑が一致して、江戸幕府は江戸城を官軍に明け渡す。抗争の最終局面で戦闘なしの政権交代って、歴史上そうはないでしょうね。収まりが付かないのが旧徳川勢力。明治政府と日本最大の内戦、戊辰戦争が起こるのですが、その話は別の機会に。

 かくして二六〇年続いた徳川幕府は静かに終焉。江戸城無血開城の談、本日はこれまで」

 悠輔は一礼する。会場から拍手が起こる。

 演壇を降りようとする悠輔に、日本史担当教師の瓜生から声がかかる。

「明治元年は西暦……」

皆まで言わさず、悠輔が続ける。

「一八六八年。明治五年に改暦された新暦だと12月がズレるので一八六九年。こんな面倒な年号、試験に出さないでくださいね」

 この日、一番大きな笑い声が会場から起こる。あさ美は大喜び、多喜と都子は顔をしかめた。


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