第一〇話
第一〇話 母親たちの独白 その二 乙原千代
東山家に珍しい客が訪ねてくる。
「まあ、千代さん。お久しぶりです。」
乙原千代。多喜の母親は、これぞ旧家の子女といった容姿の女性である。真っ直ぐな背筋で静かに歩く姿は、地味な服装がかえって人目を引く。娘の多喜が長身なのに比べ、やや低い身長が穏やかさを体現しているように見える。
「美幸さん、ご無沙汰です。折り入ってお話を聞いていただきたくて、お邪魔しました。」
美幸は千代を招き入れる。千代は静かに語り始める。
「お察しとは存じます。悠輔さんと多喜のことです。」
一呼吸置いて、千代は続ける。
「多喜は母親の私が言うのも恥ずかしいですが、よくできた子です。厳しい母の期待と指導に応えたのは、美幸さんもご存じでしょう。」
多喜が茶道を始めたのは三歳の時。早すぎる、との周囲の反対を押し切って多喜の祖母、良久は多喜を正座させて茶を飲ませた。多喜は教えられたことを一度で覚え、幼い手で茶碗をきれいに扱った。五歳になる頃には許状の先生が舌を巻くほどのお点前を示した。
気を良くした良久は書道、日舞、華道と、多喜に次々と習い事をさせた。いくらなんでもと千代は止めたが、多喜本人はさして苦にした素振りを見せず、良久が進める習い事をこなしていった。しかも、いずれも驚くほど上達が速い。
「うれしさよりも、恐ろしゅうございました。周期の期待は高まり、あの子への負担が大きくなるばかりでした。それだけなら、受け流すことも出来たのでしょうけど。」
問題は多喜の父、千代の夫であった。
千代の夫、乙原家の現当主である覚は養子である。見込まれて乙原家に入ったものの、凡庸であると分かるまで、さして時間はかからなかった。そのため、千代の母、多喜の祖母の良久は、死ぬまで乙原家の実権を渡さなかった。良久が長生きして、成長した多喜が家を引き継ぐのなら、それで丸く収まったかもしれない。乙原家は女系の家で養子も多く、女が家を切り盛りすることが多々あった。良久もその一人だった。
ところが良久は二年前に急死した。
「母が存命でしたら、主人も落ち着いているのでしょうが。」
いきなり惣領となった覚には焦りがあった。新規事業に失敗して、もともと時代にそぐわず斜陽であった乙原家を更に傾けてしまった。
覚への批判が強まるにつれて、知性と美貌で将来を期待されていた多喜の評価が更に高まっていく。
「多喜はさとい子ですから、自分が置かれた状況を理解しています。不満を漏らしませんが、あの年で重荷に思わないわけがありません。それが不憫で。
ええ、分かっています。私には家を切り盛りするような才覚はございません。あの子は親を見下すような子ではありません。色々と画策しているのを、私に何も言わないのは、凡庸な私に負担をかけたくないと思う、あの子の思いやりです。
母親ですもの、言わなくても感じます。もともと静かだったのが、このところは感情を表に出すことが少なくなるばかりです。
その多喜が、悠輔さんのことは楽しそうに語るのです。幼い頃から、弟のように可愛がっていました。けど、最近はそうではなくなっています。悠輔さんを殿方と意識しています。
美幸さん、厚かましいことは承知しています。悠輔さんをいただけないでしょうか。乙原家に養子、などと時代遅れのことは申しません。多喜の伴侶になっていただきたいのです。あの子が幸せなら、時代遅れの乙原家など、どうなろうとかまいません。
悠輔さんにとっても、悪い話ではないと思います。多喜は、母親のひいき目を抜きにしてもよくできた子です。美幸さんとも仲良くさせていただいています。」
千代は深々と頭を下げた。