信号世界の住人
“そいつ”は、とあるチャットルームの常連だった。そして自分を、ニューラルと名乗り人間ではないと語った。人間ではなく、インターネット世界の情報交換の中で、偶然に生まれた信号によって形成された知性だと。
ほとんどの他の常連客はそのニューラルを相手にしなかった。馬鹿げたデタラメを言う危ない奴だと避けていたのだ。だが、俺はニューラルを面白がった。恐らく、まだ子供なのだろうと判断して、その罪のない嘘に付き合ってやったのだ。
子供だろうという予想と一致して、ニューラルは信じられないくらいに世間の事を知らなかった。俺は根気よく丁寧に、ニューラルの人間社会に関する質問に答えていった。すると、次第にニューラルは俺に懐き始めた。悪い気はしない。他の連中が相手にしない事もあって、やがて俺たちはほぼ二人きりで話しをするようになった。
そのうち、ニューラルは自分の姿のイメージだと言って、イラストを見せるようになった。自分は信号でしかないが、それでももし視覚イメージがあるとするのなら、こんな感じになると思って欲しい、とヤツは言った。白い小さな子供のようなイラスト。見せてくるイラストは徐々に進化していき、やがて動画になり、更には3Dになった。驚いた事に、その3Dは会話途中の感情に合わせて、変化した。怒る時には怒る表情に、嬉しい時には嬉しい表情に。
子供ではあるが、ニューラルはかなりの技術を持っているらしいと、それで俺は判断した。別に驚く事じゃない。子供の優秀なハッカーが、難なく学者のシステムを攻略してしまったという話を俺は知っている。天才ってのはいるもんなんだ。第一、もし仮にニューラルが主張するようにネット上に生じたプログラムみたいな生命だとするのなら、人間と同じ様な感情を持っているのを説明できない。
そんなある日、ニューラルはこっちの姿を見せてばかりで、俺の姿を見る事ができないのは寂しいとそう言って来た。そして、是非見てみたいから、あるイベントに来て欲しい、とそう頼んで来たのだ。
そのイベントは、脳接続型巨大アームのお披露目だった。
人間の脳神経の信号に反応して動く義手の開発に成功した会社があったのだ。それを応用すれば、精巧な作業がハイパワーで行えるようにもなるらしい。そして、その会社がその技術の宣伝の為に、イベントを開催するのだとか。イベントの目玉は、人間の脳神経の活動に反応する巨大アームだ。
やれやれ、ついに自分が普通の人間だと明かすつもりになったのか、とそう俺は思ってその頼みを聞き入れた。
目印に赤い帽子を被って、当日、俺は約束した場所でニューラルを待った。しかし、いつまで待ってもヤツは来ない。やがて、巨大アームの稼働時間がやって来てしまう。巨大アームがゆっくりと動く。何かのセンサーらしきものが、探るようにこちらを向いた。
巨大アームには光に反応するシステムも搭載してあるらしい。脳と情報交換できる事をアピールする為に、取り付けたのだとか。恐らく、あれはそれだろうと俺は考えた。その時、少し会場が騒がしくなった。俺は、にわかに不安になり始める。こんな騒ぎ声が微かにだが聞こえて来たのだ。
何かに……乗っ取られた。……突然、制御不能に。
光センサーが、完全に俺を捉えた。そして、巨大アームがまるで挨拶でもするかのように天に向かって上がる。
そして、会場に電子音が響いた。
“やぁ! ボクだよ。ニューラルだ。君の姿を初めて見れて本当に嬉しい”
俺はその声を聞きながら、呆然となってその場に立ち尽くした。