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エーレは呆然と、亜麻を見ながら云った。
「結婚してくんなくちゃ。おばさん達に、結婚式に呼ぶって云っちまったんだもの。いやだ。おばさん達にうまいもん食べさせてやりたいんだ」
「エーレ?」
「陛下、あたし、失敗したんですよね」
エーレはそう云いながら、涙をこぼした。「おばさん達との約束、破っちまった」
「エーレ、落ち着け」
陛下は怒ったような声を出し、傍らにある袋に手をつっこんで、貝殻をとりだした。それには軟膏がはいっていて、彼はエーレの傷口に軟膏をすりこむ。「花嫁が手から血をこぼしていたら、結婚式どころではない」
「え?」
「わたしは三日間、糸を紡げとは云ったが、運び込まれた亜麻すべてを糸にしろとは云っていない」
エーレはきょとんとし、しばらく考え、それから泣き笑いの顔になった。
「じゃあ、結婚してくれるんだ」
「ああ。王后の座よりも、糸繰り女達にうまいものを食べさせたいという理由で結婚を望む娘と、わたしは結婚するとも」
陛下は云いながら途中で笑い出して、エーレにもそれがうつった。このひとはなんて、いいひとなんだろう。
翌朝、侍女達の機嫌は最高潮だった。「エーレさま、結婚式のお召しものが届きましたわ」
「うん」
パンをかじっていたエーレは、侍女達が三人がかりで運び込んでくるものを見た。
パンがテーブルに落ちた。
それは、金色のドレスだった。まず間違いなく、エーレが紡いだ糸で織った布からできている。不思議と、縫い目らしいものはみあたらなかった。
ゆったりとしたスカートは裾が長く、金の紗のヴェールも一緒に運ばれてきた。
「あたしがこれ着んの?」
ぽかんとして云うと、侍女達は笑いさんざめく。「エーレさまにお似合いです」
「お髪をとかしましょうね」
「エーレさま、こちらに」
「ちょ、ちょっと」
「陛下がはやく結婚式をすると仰せです」
「エーレさまの気がかわらないうちにと」
エーレはテーブルに落ちたパンをひっ掴んで、口へねじこんだ。侍女達がエーレの服を脱がせにかかる。
結婚式は宮廷の前庭で行われる。エーレはしばらくぶりに地上に降りて、きょろきょろしていた。豪華な椅子に座るエーレのまわりには、侍女達が居て、甘い匂いのお菓子や小さく切ったチーズなどを度々運んできたが、エーレはそれどころではなく、すべて断っている。
はなれたところにテーブルが幾つもあり、ご馳走が並んでいた。陛下に伝えたおばさん達の好物もあるようだ。甘く煮た栗と、ヨーグルトといちごとはちみつをまぜたもの、こんがり焼いた川魚。それがおばさん達の好物だった。
めかしこんだひと達がたくさん来ている。騎士達の姿もあった。すでにほろ酔いのようで、顔が赤い。ひとのよそうなおじさん達も沢山居た。貴族だろうとエーレはあたりをつけている。そのなかに、在所の領主さまも居た。
だが、おばさん達の姿はない。エーレははらはらしていた。陛下がゆるしてても、ばかな門番がおばさん達をおっぱらっちまったんじゃないかな。兄ちゃんみたいなばかが居たらどうしよう。
「花婿が来たぞ!」
誰かが叫んだ。全員がそちらを見る。エーレもそうした。
陛下は花婿の衣装を着て歩いてくる。その周囲に、金のドレスを着た三人の女性が居た。
エーレは椅子から飛び降りると、陛下へ駈け寄っていった。侍女達がきゃっと悲鳴をあげる。「エーレさま!」
「司祭が来るまでに花婿と花嫁が喋ってはいかん!」
おじさんのひとりが叫んだが、エーレは聴いていなかった。羽のように軽いドレスを翻して、陛下の前まで来ると、その周囲に居る女性達をまじまじと見詰める。全員、エーレの紡いだ糸でできたドレスを着ていた。ひとりは不格好に袖が短く、ひとりは不格好に丈が短く、ひとりは不格好に襟が深い。全員が奇妙にちんちくりんだ。
三人とも、見たことがない顔だ。エーレはけれど、云った。
「エーアリヒおばさん、ツァールトおばさん、トロイおばさん。どうして姿形が変わっちまったの?」
三人が嬉しそうににっこりしたと思ったら、笑いながら空へ舞いあがった。「エーレ、ありがとう!」
「呪いが解けた!」
「また喋れるわ!」
エーレは大きく口を開けて、それを見上げた。