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翌朝、侍女達は機嫌がよく、笑いさんざめいていた。エーレは窓にやってきたからすに、食べ残しのパンくずをやる。「ご機嫌だね、あんた達」
侍女達に云ってみると、笑いと短い肯定が返ってきた。彼女達はエーレに丁寧なお辞儀をし、出ていく。
エーレは微笑んでから、朝はやくに運び込まれた亜麻を見た。今日も糸紡ぎだ。不思議と心が軽い。
エーレはたらいの水で手を洗って、糸車の前に座り、糸を繰りはじめた。からすが飛び立っていく。
気付くと、あの糸繰り女が居て、つむに手をかざしていた。「よう、エーレ、べっぴんさん。今日も頑張ってるね」
「おばさん」
エーレは嬉しくなって、弾んだ声を出した。下唇の目立つ女の後ろには、片方の手が大きい女が立っている。だが、片方の足が大きい女は居なかった。
エーレは途端に不安になり、手を停めてしまう。「エーレ? どうしたの?」
「もうひとりのおばさんは? 具合でも悪くなっちまったの?」
女達が目を合わせた。優しく微笑み、エーレへ頷く。
「あんたは本当に、心の優しい子だね。大丈夫。トロイはあんたのおかげでいいとこへ行ったんだよ」
「いいとこ?」
「まあ、いいじゃないの。あたしらふたりが居れば、金の糸はちゃあんと紡げるんだから」
エーレは頭を振った。
「あたし、あの……トロイおばさんに、ちゃんとお礼してない。なんかあげたいんだけど、あたしこれっぽっちも」
「いいんだよ。あんたがここでこうやって、丁寧に糸を紡いでくれたら、あたしらは……」
下唇の目立つ女はそこで言葉を切ってしまった。
結局、どれだけ問い詰めても、三人目の女の行方はわからないので、エーレは諦めた。あの傷のある、変わり者の陛下の為に、金の糸を紡ぎたい気持ちがあって、不義理なことにそれが勝ってしまったのだ。
エーレは静かに糸を紡ぎ、女達は交代々々でつむに手をかざした。できた糸はすべて、昨日よりももっと綺麗な金の糸になった。
「お疲れさま、エーレ。あんたはいい子だねえ」
「ううん……」
エーレは昨日よりもずっとはやく、糸を紡ぎ終え、糸車の掃除をしていた。亜麻のくずが絡まって、動きが悪くなってしまうことがあるのだ。
糸繰り女達は、糸巻きを数えているらしい。エーレは手を停めてふたりを見る。「おばさん達、トロイおばさんはほんとになんともないの?」
「心配は要らないよ」
「でも、それじゃあどうして来てくんないの? あたしのことがやんなっちまったのかな」
「そうじゃないのよ。用事があってね」
「……おばさん達の名前、教えてくんない? あたしがエーレって云うのは知ってるよね」
下唇の目立つ女がにっこりした。「あたしがエーアリヒ、こっちがツァールトだよ。疲れたろうエーレ、ちょっとお眠り」
「ううん、疲れてなんかないよ。ねえおばさん達、あたし、陛下に頼んでみるから。一緒に晩飯食べたいひとが居るんだって。ね? いいでしょ?」
エーアリヒがにこにこしながら、エーレのせなかを撫でる。エーレは欠伸をする。
いい匂いがしてきて、エーレは体を起こした。いつの間にか、ベッドで寝ていたらしい。
「糸紡ぎというのは、疲れるようだな」
陛下が着席していて、右手で掴んだ焼いた肉を食べていた。エーレは目をこすり、そちらへ向かう。「いえ……でも、終わるとふっと眠気が来ちまって」
「肉は食べられるか?」
エーレは精一杯頷く。
肉を半分ほど食べたところで、エーレは思い出して、喚くように云った。
「陛下、お願いしたいことがあるんです」
「……なんだ?」
警戒するように陛下は目を細めた。エーレは肉の脂でべたべたの手を、布で拭う。「いつも糸紡ぎを手伝ってくれるおばさん達を、晩飯に招いてもいいですか。ほんとにいいひと達で、一所懸命、手伝ってくれてるんです。あたしお礼もできないのが悔しくって。せめて、うまいもんを食べさせてあげたくって」
陛下の眼差しが和らいだ。微笑んで、ゴブレットにぶどう酒を注ぐ。
「なんという者達だ?」
「エーアリヒおばさんと、ツァールトおばさん、トロイおばさんです。みんな優しくて、母ちゃんみたいにあたしのこと心配してくれます」
にこにこするエーレに、陛下もにっこりした。「その者らが承諾するなら、呼んでも差し支えはない」
エーレは嬉しくて、手を叩いた。