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こんな事態に陥った元凶である兄と顔を合わせることもなく、エーレはこうやって三日間も移動している。その間、食事とと手洗いのほかは、馬車から一歩も降りていない。騎士達はやけに急いでいて、怪物もおそれずに野営をし、都を目指している。
最初こそ、どうしてあたしがこんな目にあうんだろう、とばかり考えていたエーレだったが、今はもうそんなことを考えるだけの気力も残っていない。たまに、窓を開けて外を見るくらいの気持ちの余裕は出てきた。それに、乾燥したビスケットやぶどう酒だけでなく、汲みたての水を飲みたいと文句をつけてみたり、チーズを食べたいとねだってみたりした。騎士達はそういう願いを、大概すぐにかなえてくれて、魔法のようにエーレは食べたいものを食べられた。
どうせ、兄の嘘が露見したら、自分は死ぬ。だから、多少のわがままくらいゆるされるだろう。エーレはそう思っていた。
さすがの兄も、自分のくだらない嘘で妹がつれていかれた、刑死した、となったら、もう二度と嘘は吐かないだろう。嘘を吐こうにも、兄も処刑される可能性が高いが。
約十日、昼夜問わずほとんどの時間を馬車に揺られ、エーレはやっとこ、都へ辿りついた。毎日交代々々でエーレと同じ馬車にのっている騎士達が、その日はやけにめかしこんでいた。
「お嬢さん、都に着いたから、髪を結い直したほうがいい」
そう云って、一番年嵩の兵は姿を消し、エーレははじめて馬車を独り占めした。
汲みたての水でもおいしいチーズでも、あっという間にどこからか持ってくる騎士達だったが、女が髪を結うにはいろいろと道具が必要であることは知らないらしい。櫛もブラシもピンも紐も帽子もないので、エーレはそのまま、焦げ茶の髪を肩に垂らしていた。どうせ死ぬのだから関わりない。
窓から外を見る。大きな門と、灰色の壁が見えた。騎士に同行しているのとは格好の違う、武装した兵も居る。
誰かが外から窓を閉め、エーレは座席に座りなおして、握りしめた自分の両手を見た。
「それが、金の糸を紡ぐ娘か」
騎士達が頭を下げ、揃ってもごもごと云う。「さようでございます」
エーレはただ、つったっている。
宮廷の、謁見の間だ。エーレは立派な椅子に腰掛けた、目の前の男性が誰なのか、知らない。ただ、領主さまよりもずっと偉いひとなんだろう、とは考えた。騎士達が頭を下げているし、尊大で偉そうなものいいだ。
男は騎士達よりもずっと若かった。といっても、子どもという訳ではない。エーレと同じか、少し下か、というところだ。
浅黒い顔にはうっすらと、左頬を縦に切るような傷痕がある。髪は銀と金のまじりで、風になぶられる炎のような形をしていた。明かりとりの窓からさしこむ光の加減で、熟した麦の穂のような黄金色に見えた。このひとの髪こそ、金の糸だ。
男がエーレを見た。エーレは身をすくめる。男は滴った血のように、濃い赤の目をしていた。しかしそれは片方だけで、左目は布で覆われている。あの頬の怪我をした時に、左目も傷付けてしまったのだろう。
男が手を振ると、似たようなチュニックを着た若い男達がはいってきて、それぞれが手にしたものを騎士達にさしだした。「褒美だ」
「おお!」
「ありがたきしあわせ」
「陛下、ありがとう存じます」
陛下……。
エーレは困惑で、男を見詰めなおした。これが、陛下? 国王さま。国王さまには、二十を過ぎた子どもがあったんじゃなかったっけ。このひとはまだ二十歳にも見えないけど。
唖然とするエーレを置いて、騎士達は出ていった。今度は、お揃いのドレスを着た娘達がやってくる。全員がエーレよりも若く、清潔で、立ち居振る舞いも洗練されていた。なにをくってたらあんなに細い指で居られるんだろう?
赤い目の男……陛下が、不機嫌そうに命じる。「その娘を風呂にいれて、なにか食べさせろ。それから、西の塔につれていけ」
娘達は小鳥のような声で承知し、エーレはひと言も発することなく謁見の間からひっぱりだされた。
出ていく瞬間、国王に対して、エーレはさっと舌を出した。くだらない嘘の所為で騎士達になにか大事なもんまであげて、こんなちっぽけな娘を綺麗にしてくれるんだもん、ご苦労さま。