自殺回路
死にたい、死にたくない、死にたい、死にたくない……
やっぱり、私は死にたくなんて、なかった。私はチラリと背後を見た。ニタニタとこちらを見る化け物がいた。
「ほら、早く死んじまえよ」
「さっさと飛び降りろよ」
一体、どんな理由があって彼女は私にここまでの敵意を向けるのだろう。何が気に食わなくて、私を虐めてくるのだろう。私には全く、理由が分からなかった。
もう一度、背後を見る。恐ろしい。私は本当に死にたくなんてなかったのに。
私は最期に、もう一度、彼女の顔を見た。彼女は底知れない悪意を向けておきながら私が本当に死んでしまうかもしれないなんて思ってもいないのだろう。
馬鹿だ、こいつは、馬鹿だ。私は満面の笑みを向けると前に直る。夕日が眩しかった。私は一気に飛び降りる。
その日、学校の屋上から1人の少女が投身自殺を図った。病院に搬送されるもまもなく少女は亡くなった。
本当に、死にやがった。マジでムカつく。初めはちょっとからかってやろうと思っただけだった。掃除当番代わってくれだとか、パン買ってこいだとか、所謂、テンプレの絡みだ。
漫画の中のいじめられっ子じゃないんだから、そんなの適当に受け流せばよかったんだ。
なのにあいつは悲劇のヒロインみたいな顔しやがって私のいうことを全部、聞いた。そんなことされたらこっちが悪者みたいになる。
イラッとした私は命令をどんどん過激化させていった。それでもあいつは相変わらず従順な子犬みたいに私の言うことに従って、本当に気持ち悪かった。
一回でも反抗されたら、そこで止まるつもりだったのにあいつが抵抗しなかったせいで、歯止めが効かなかずに、自殺にまで追い込むことになった。
あいつの死ぬ直前の笑顔が忘れられない。あんな気味の悪い笑顔を向けてきて復讐のつもりなのか。目の前で死なれたせいで昨日、今日と警察の事情聴取を受けることになった。
そのくせ、学校は遅刻扱いで欠席出来ないんだから、疲労だけが溜まる。
「桐子、なんか死にそうな顔してるじゃん。生理?」
クラスメイトの1人が話しかけてきた。
「やめなよ。ほら、桐子はあの子と仲良かったでしょ」
私があいつをいじめていたことをクラスメイトは知らない。知らないことになっている。何人か勘づいている人もいるけれど、みんな、面倒ごとにはわざわざ関わろうとはしない。
「そっか、ごめん。元気出してね」
「うん、ありがとう」
私は殊勝な顔をして礼を言った。
その日は1日中、気分が晴れなかった。どうしても、あいつの最期の顔がちらつく。あいつは一体、何を思って死んだのだろう。
学校が終わり家に帰ると私は真っ先に風呂を沸かす。兎に角、疲労が溜まっていたので、風呂でさっぱりと疲れを洗い流したい気分だった。
「母さん、先風呂入っていい?」
「いいけど、あまり、長風呂しないでね」
「はーい」
風呂が沸いたので、私は浴室に入ると化粧を落として、髪を丁寧に洗う。何だか、妙に髪がベタついている感じがして落ち着かなかった。
シャンプーを流し、コンディショナーをつけていると何か視線を感じ、私は顔を上げる。鏡の中の自分とばちりと目が合った。少しやつれた表情をしている。
「本当に疲れたな」
身体を洗い終えると、私は湯船に浸かる。
……死にたくない、死にたい、死にたくない、死にたい。
私は、そばにおいてあった剃刀を右手に取る。どこを切ればいいんだろう。私は、左手首に刃を当てる。チクリと刃先が食い込む。血が手首を伝う。
私は慌てて剃刀を手放した。剃刀は浴室の床に落ちて音を反響させる。一体、今、私は何をやっていた。死のうとしていたのか。何の為に。あいつじゃあるまいし、私は死ぬつもりなんか無い。
「あっ」
私は呻き声をあげる。今度は息が出来なくなっていた。私は身体をばたつかせる。
なんでなんで息が出来ないの。太腿の辺りにお湯とは違う生暖かい液体が流れてくるのを感じる。
「ちょっとうるさいけど大丈夫?」
母の声が聞こえる。私はそこでやっと我に返る。私は自分で自分の首を絞めていた。自覚すると、万力のように首を絞めていた手は簡単に離すことが出来た。
「ム、ムダ毛処理に失敗して血が出ちゃって」
私は慌てて取り繕う。
「ふーん。沁みるかもしれないけど消毒しときなさいよ」
「わ、分かった」
私は風呂を出ると鏡に目をやる。首元が赤くなっていた。頭にも血が上って少し朱色に染まっていた。
それからの記憶は曖昧だ。多分、動揺していたせいだと思う。確か、毛剃りに失敗したという私の嘘を母が食事中に話して、弟に馬鹿にされた。でも何となく、友人が死んだことになっている私を励ましているようにも感じられた。
まあ、どうでもいいや。私はベッドに潜り込むと、スマホを開く。何件分か、SNSのを通知が溜まっていた。
私は返信やら投稿やらしようとしたがめんどくさくなってスマホを放る。いいや、知らない間に充電コードが抜けてて気づかなかったことにしよう。それでもって風邪だからスマホを開くことも出来なかったと、そういうことにしておこう。
私は先程のことを回想する。夕食中は何も起きなかった。その後の歯磨きでも、リビングで動画見ていた時も何も無かった。
風呂場での出来事はあいつの呪いなのだろうか。自分を自殺に追い込んだ、私を同じく自殺に追いやろうとしているのだろうか。
私はドアノブに紐を括りつけながらそんなことを考える。私は首を紐に通した。そしてそのままドアにもたれかかり、座り込むとそのまま首が締め付けられていく。
なんで、おかしい。まただ。まるで自分自身が望んでいるように自然と自殺の準備をしていた。顔が充血して涙が溢れる。声も出なかった。
意識が落ちていきそうになった時、紐が解けた。ツルツルとした素材の紐だったからだ。私は床に倒れ込む。
「ごめんなさい」
私は誰に言うでもなく口にする。もう許して欲しかった。
私は床に寝そべりながら考察する。どうやら私は知らない内に側にある道具で死のうとするみたいだ。
とりあえず、刃物類、紐類は側に置いてちゃダメだ。私は自殺に繋がりそうなものを鍵付きの扉に放り込むと窓から鍵を放る。
そして後は一本だけ残しておいた紐で自分の腕を結いつける。大丈夫、ちゃんと自覚して死なない行動をとっている。めちゃくちゃに結びつけたので自分ではもう解けそうにもないけど、それは弟を脅せばなんとかなるだろう。
SMみたい。私は少し興奮し、人並みに感情が働いていることに安堵して眠りにつく。
……死にたくない、死にたい。
寝苦しくて、目が覚めた。妙に暑苦しい。火だ、火がついている。ドアを激しくノックする音が聞こえた。
「姉ちゃん、助けて、おかしいんだ。俺、気づいたら火をつけててさ。それで火が広がってくからどうしようと思って、母さんの部屋行ったら」
ドアの向こうで嗚咽が聞こえた。
「母さんがどうしたの?」
私は怒鳴り声を上げる。完全に冷静さを欠いていた。
「首を吊ってたんだよ」
弟は気分が悪くなったのか、ドアの向こうで嘔吐したようだった。
「俺、どうすればいい?」
「霊柩車、霊柩車に電話して」
私は自分の言った言葉に心底ゾッとする。何を言っているんだ、私は。この場でこんな発言、もはや滑稽なギャグだ。
「違う、父さんに。いやそれも違う。まずは救急車と消防車を」
私は回らない頭で必死に考える。けえども自分の頭はもはや全然、信用できなかった。
自分だけじゃなかったのか。これはあいつの呪いじゃないの? それとも一家ともどもってこと?
「狙うなら私だけにしろ」
私の発した声は虚しく響く。誰の声も返ってこなかった。弟の声も、もちろんあいつの声も。
……死にたい、死にたい。
そう言えば、私は先程からどうしてドアを開けようとしないのだろう。腕を固定しているとはいえ、ドアノブを捻ることくらい出来る筈なのに。
これは本当に呪いなのだろうか。
……死にたい、死にたい、死にたい
そうだ、私、死にたいんだった。空っぽな私は死ねばよかったんだ。じゃあ、母さんは、弟は? 死にたかったのだろうか。
そんな訳ない。弟は最近、彼女ができたことを私は知っている。母さんだって、長期出張からもうすぐ帰ってくる父さんとレストランのディナーに行く予定だったことを私はよく分かっていた。
彼らが死にたいと思う訳がない。
きっと最初から、私だけが死にたがっていた。それなのに私が周囲を巻き込んだのだ。
何の能もない私、可愛いあの子に嫉妬することしか出来なかった私、あの子を虐めた私。
私は心底、死にたがっていた。
メラメラと燃え上がる火が部屋を熱していく中、私は案外、冷静になっていた。
あの子の呪いなんてなかった。
自殺までへ続いていく道にみんなを引き込んだのは私だった。
私はベッドに横になる。私なんて死んでしまえばいい。これ以上、誰かを巻き込む前に。
私は、目を閉じる。ジリジリとやけつくような痛みが皮膚を襲ってきた。遠くにはサイレンが聞こえる。その瞬間、再び思い出す。あの子の笑顔を。あの子、一体何を思っていたのだろう。
私は皮膚を掻きむしった。苦しい。痛い。血が滲んだが、全然、気にならない。
あの子は私にどんな呪いをかけたのだろう。
サイレンが止まった。私はまだ死んでいない。針を刺すような痛みが全身を襲っている。早く、早く死にたい。
「大丈夫ですか、今助けます」
ドアを蹴破って破って消防隊が入ってきた。そこに私は悪魔を見る。
ああ、私は死ぬことが出来ない。