エピローグ ~その掌に希望を抱いて~ Part.1
『星渡りの蝗』によるアヴァロン王国首都アルクトゥルス襲撃から五日が過ぎた。城下町の被害は大きく、また人々も深く傷ついているが、アヴァロン王国は少しずつながらも落ち着きを取り戻そうとしている。
城へと避難していた住民も家屋が無事な者は我が家へと戻り、現在、城に留まっている人数は最初の三日間の半数ほど。その大半が負傷者であり、彼らは城の一階部分にある部屋を利用して作られた緊急の病室で、痛みを堪えながら傷を癒やしていた。
エントランスへと続く階段を降りていくと、血と消毒液のにおいに鼻を突かれるのだが、その中にあってもメアは一切顔に出すことはしなかった。
慣れてしまった、というのもある。
しかし一番の理由は、やはり敬意からだ。このにおいは二つ目の戦い、つまり医者や回復師たちが負傷者の命を繋ぐために戦い続けている証なのだと思うと、顔をしかめることさえ憚られたのだ。なにしろその場に於いて、メアは自身が無力であることを痛感していたし、医者達が戦っている間に出来たことといえば、騎士団とスカーレット達の間にたって柔軟にことが運ぶよう調整してやるくらいが精々だったのだ。無論、それは重要かつ必要な役回りには違いないのだが、地獄のような現場と比べると、どうしても気が咎めてしまい、病室となっている礼拝堂を訪ねた時も目元が強張っていた。
急ごしらえのベッドで横になっている兵士達を見遣りながら、メアはコツコツと病室を見て回っていると探していたベッドを見つけた。
「グッドサン、傷の具合はどうじゃ?」
「メア様……ッ⁈」
「ああ無理をするな、そのままでよい」
反射的に身体を起こそうとしたグッドサンを、彼女は静かに制した。折角塞がった傷が自分の所為で開いては元も子もない。
とはいえ横になったままではいられないので、グッドサンは包帯で巻かれた上体をゆっくりと起こす。
「メア様、何故こんな所へ」
「まだ礼を言っていなかったじゃろ。すまぬのう、お主の無事は聞いていたのじゃが、事態の収拾に追われ訪ねるのが遅れてしまった」
「いえそんな……。見舞いに来ていただけただけでも、身に余る光栄です」
「お主はそれだけの働きをした。妾が城へとたどり着けたのは、お主が身を挺してからこそじゃもの。礼を言うぞ、グッドサン。ありがとう、妾に皆を守護る機会を与えてくれて」
「私からも感謝を、メア様。市民を守ってくださり、有り難う御座いました」
グッドサンはそう言うと、痛む身体で精一杯頭を下げて感謝を述べる。本来騎士団員である自分が担うべき責務を、それこそ命懸けで果たしてくれたメアには、いくら言葉を並べても足りないくらいの想いがグッドサンにはあり、彼がいつまでも頭を下げ続けていると、不意に礼拝堂の入り口から声がした。
「魔王女様?」
呼ばれてメアがそちらを向くと、フェリシアが不思議そうな顔をしながらやって来ていた。メアの傍まで来た彼女は、グッドサンの敬礼に黙って返礼してから問いかける。
「……それで、病室に何かご用ですか」
「なに、少し時間が出来たから見舞いでもと思ったのじゃが、……いけなかったかの?」
険しい眼差しで見下ろしているフェリシアに気圧されて、メアの伺いは尻すぼみになっていったが、意外なことにフェリシアから叱責されることはなく、それどころか、むしろメアの身を案じているようでさえある。
「……一人で出歩かれては困ります。民の中には事情を知らず、貴女が敵を招いたと考える者もおりますから。少なくとも護衛を伴っていただきたい」
「う、うむ……。すまなかったのじゃ」
メアが素直に反省すると、フェリシアは次いでグッドサンへと声を掛けた。彼女が病室に訪れたのはこちらが理由である。
「さてグッドサン、貴官の騎士団復帰についてだが」
「――ッ! 許可をいただけるのですか?」
思わず前のめりになってしまい痛みに顔をしかめるグッドサンに向けて、フェリシアは落ち着いて続けた。
「いや、まだだ。許可できない。貴様の傷は思っているより深いものだ。戦闘後にグリムが通りがかったのは幸運だったな」
メア達を守るために、鉄虫を道連れに馬車から身を投げたグッドサンは奮戦の後に生き残り、勝ち名乗りを上げていたグリム達の傍で倒れたのである。その時点で刺し傷だらけであった彼が助かったのは、ひとえにグリムの回復魔法によるものであり、その傷は魔法による急速な回復への依存を避けるため、最低限命を繋ぐ程度の回復に留められている。
よって、その後の回復は医学による治療とグッドサン自身の生命力が胆となっていた。
「アヴァロンがこんな状況なのに、じっとなどしていられません。自分ならもう平気です」
「駄目だ、意気は買うが私の判断は変わらん。いまは傷を癒やせ、それが貴様への命令だ」
フェリシアはにべもなく命じながらも、言葉を続ける。
「……とはいえ、手が足らないのもまた事実。よって五日後には原隊へ復帰させる。いまのうちにベッドを堪能しておけ、すぐに恋しくなる」
「――……ッ! ハッ、了解しました!」
上官としてフェリシアが振るえる最大限の情に、グッドサンは敬礼で応じる。
必要とされている。その一言がどれだけ有難いことだろうか。二人のやりとりを眺めていたメアはそう感じ、そして静かにフェリシアに問う。
「のう、フェリシア副団長よ。一つ訪ねたいことがあるのじゃが」
「私にですか? 構いませんよ。……では、外で話しましょう」
二人はグッドサンや、病床にいる他の兵士達に挨拶をしながら病室を後にし、エントランスを抜けて外へ出た。城門へと中庭は兵士や獣魔が行き来していて騒がしいものの、復興へ向けての活気がある。
「申し訳ありませんね、魔王女様。私が病室にいたのでは、部下の気が休まらないので」
「皆がお主を慕う訳じゃ。上に立つものとして、妾も見習わねばの」
思いやりの上に積まれた厳しさ。人間との共存に同意してくれる魔族を率いる者として、前はフェリシアの振る舞いに感心を寄せており、フェリシアも表には出さないが満更では無い様子だった。
「そう言っていただけるとありがたい。……それで、私に話というのは?」
「ああそうじゃった。別に大した話ではないが、グリムの居所を知らぬかと思ってのう。彼奴のことだから、誰かが様子をみてやらねば無理をするじゃろ? とはいえ誰の話でも聞き入れるとも思えぬので、妾がすこし――……。なんじゃフェリシア、なんぞ可笑しいことでも言ったかのう?」
フェリシアが笑みを溢していたので、メアは首を傾げる。
「いえ、失礼を。まさに魔王女様の仰る通りでしたので」
「じゃろうな……、やはりと言うべきか、だからこそと言うべきか」
別段、メアに驚きはなく、むしろ当然だという思いの方が強かった。
「して、グリムはどこにいるのじゃ?」
「小屋は訪ねましたか? 『星渡りの蝗』との戦闘以後、奴は回復師として病室に詰め続け、大勢の人間と獣魔を治療していました。いくら言っても聞かずで、おかげでかなりの命が救われましたが、流石に目に余ったので私が無理やり引き摺っていったのですが」
メアはぷるぷると頭を振ると、首にむすんだ髪が連動した。
「小屋ならばすでに訪ねたが、当然のように無人じゃった」
「まったく……、まさかそのまま出掛けるとは。いっそ拘束してベッドに転がすべきでしたか」
「結果は同じじゃろうがな。しかし、すこし心配じゃ」
「と、言うと?」
明言するのは難しかったが、メアには気がかりなことがあった。粗雑な振る舞いばかりに目が行きがちだが、グリムはあれで責任感が強い部分があるのだ。これは命を救われたメアだからこそ感じることでもあった。
「……思い詰めていなければよいのじゃがな」
「心中お察ししますが、あれは強い男です。姿を消したにしても一時のこと、整理を付けていずれは戻るでしょう。一人にしてやるのが最善だと思いますが……、探しに行かれますか?」
「うむ、そうじゃな……」
たぶん、探しに行った方がいい。必要であるか否かはさておいて、独りで抱え続けるよりもメアは傍に居てやりたかった。
どことなく空気が重くなってきた時である。ガラガラと音を立てて跳ね橋を越えた馬車が二人の前で止まる。牽いていたのはペルシュで、戦闘から離れた彼女の声はやはりか細い。
彼女はメアにお辞儀をしてから、フェリシアに呼びかけた。獣魔達もそれぞれの強みを活かして復興作業に参加しである。
「邪魔してごめんなさい。あのぉ……フェリシアさん。これはどこに運びましょう」
「ご苦労、ペルシュ。積荷はなんだ?」
「薬草とかです。ハーピィのみんなが集めてくれました。姐さんがこっちに持って行けって」
「それは助かる、医療品はいくらあっても足りないからな。では練兵場裏の荷下ろし場に運んでくれ。補給係に聞かれたら私の名前を出していい」
「分かりました。――それじゃあお姫様、失礼しますね」
と、頭を下げて去ろうとしたところで、フェリシアが彼女を呼び止める。
「あぁ、ちょっと待てペルシュ。貴様、道中でグリムを見かけなかったか?」
「グリムさん、ですか……?」
不意の質問に、ペルシュは馬耳をぱたぱたさせながら思い出そうとしていた。
「えっと、たしか噴水広場の方で見たと思います。でも、お昼前だったからまだいるかなぁ」
「それだけ分かれば充分だ。引き留めてすまなかったな、行っていいぞ。ありがとう」
今度こそ、ペルシュは馬車を牽いて練兵場の方へと向かっていく。
しかし、人魔が協力している様子を目の当たりにしながらも、彼女を見送ったメアの表情は険しさを持っていた。
「どうされます、魔王女様。探しに行かれるのでしたら部下を付けますが」
「姿を消したといってもまだ半日じゃし、ひとまず妾だけで探してみよう。見つからなかった場合は助力を求めたい」
「無論、協力は惜しみませんが、私が先程申し上げたことを忘れられては困ります」
フェリシアが部下を付けると言ったのは、メアの護衛を含めてのことなのだが、彼女はそれを承知の上で断わった。
「ただでさえ人手が足りぬのに、妾個人の問題に割くわけにはいかぬじゃろ。それに妾を討てる者を相手取るならば、お主か騎士団長でなければ務まらぬ。妾の思い過ごしかもしれぬのに、易々と借りるわけにはいかぬ手じゃ」
「それは、そうかもしれませんが」
「城下町の状況も確かめたいと考えていたからのう。見方を変えれば丁度良い、じゃろ? どうか好きにさせてほしいのじゃ」
確かに、メアを傷つけられる者など市中には存在しないだろう。復興作業における人魔の役割分担を決め終えた今となっては、彼女の役割が薄まっている時には違いなく、なにより現場で動ける人員を確保することの方が大切なのである。しかしながら九分九厘、平気だろうと分かっていても難しい判断に、フェリシアは渋面で落とし所を探す。
「……では、こうしましょう。何か問題が起きた際には、どんな些細なことであれ、ご自身で対処せず必ず逃げること。そして助けを求めることを約束してください」
「分かったのじゃ、約束しよう」
信じてくれたのならば絶対に守る。
メアはしっかりと頷いてから城下町へと歩き出したのだが、しかし数歩進んだところでフェリシアに呼び止められる。なにか言い忘れたことでもあったのかと振り返ってみると、意外にもその表情は柔らかい。
「魔王女様、どうかお気を付けて」
「……うむ!」
職務でも義務ではなく、ただ心から送られる言葉というのは、なんて温かいのだろうか。応じたメアの口元にも微かな笑みがこぼれていた。
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