2日目
うつ病の発症、もしくは重大な悪化が現れた作家は近所の心療内科を受診する。
結果、うつ病と診断された。診断基準については詳しくないので何とも言えないが、少なくとも休めば辛さが無くなるというレベルではなかったので正しいのだろう。
薬を処方され行動認知療法をするようになったが、それからも正直苦難の始まりだった。
初めの数か月は薬の副作用のせいか不眠と気分の落ち込みに悩まされ、行動認知療法も「これをしなければ死んでしまう。死にたくないならやれ」と自分に言い聞かせるように動いていた。
もちろんその期間は休学。しかし一向に快復傾向が見られなかった。
それが変わったのはとあるカウンセリングを別の場所で受けた際だった。
作者はそこで自分の過去、実習で上手くいかないための辛さ、その他の悩みに向き合うことができた。とは思っている。
ただしその直後が大変だった。
なんと作者はクトゥルフ神話でしか見られないような多弁症を夜間に発症するようになってしまったのだ。
記憶の限りでは喋り続けなければ心に押しつぶされるような感覚だった。ただ意味の分からないことを淡々としゃべり続け、落ち着くまで数時間を要した。
しかも喋るとなると相手がいなければ意味がない。少なくとも独り言で済むほど楽な多弁症ではなかった。
その際、深夜にもかかわらず治療のことを知る数少ない友人が相手になってくれたのは今でも感謝で頭が上がらない。きっと寝不足にしてしまったし、もしかしたら心の傷をつけたかもしれない。
そんな数日間を過ごした作者は、ついに多弁症が落ち着く。ちなみに、この話は当時家族の誰にも言えなかった。それこそ、狂った話だったからだ。
それから徐々に快復に向かい始める。最初は運動量の増加、食事の増加による体重の回復、そして年度初めには家族の勧めのまま通学を開始した。
ただ、今考えればそれは無茶な話だった。
そもそも通学が困難だった。通学時間こそは歩いて15分足らずにも拘らず、作者は非常に難しい問題を抱えていた。
それは目を開けて歩けない、ということだった。
説明すると、屋内に比べて屋外は視界の情報量が多すぎて頭がくらくらするのだ。頭痛、平衡感覚の喪失、耳鳴り、とても無理だった。
そんな作者が苦肉の策で出したのは、下を向いて片目ずつ開けることだった。手すりがあればそれを活用し、横断歩道は信号機に縋りつき、耳を頼りに渡る。交通事故にあわなかったのはきっと運が良かったのかもしれない。
深刻な視界問題は1月ほどで少しマシになったものの、今でも頭が疲れると目をつぶったり片目だけ開ける癖がついてしまった。
治療が上手くいったのか、作者は遠出もできるようになった。
趣味も楽しめるし、ネットも面白い。生きていることは何も感じない死よりもマシなんだと思え始めた。
だが、続いて問題が発生する。それは授業や実習に追い付けないという焦りだ。
焦りはついにあきらめと代わり、作者は半年足らずで引きこもりに戻ってしまう。
これでは大学は無理だと、家族との協議で判断した作者は大学を中退することになる。
かつては大学で資格を取らなければ将来が危ういと思っていた作家と家族にとって、それは身を切る思いだったことは言うまでもない。
けれどもそれは作者に新たな価値観を生じさせた瞬間でもあった。




