第1話 アリス・ベルトーチカ
嫌な夢から目を覚ます
体は汗だくで心無しか頭も痛い
あの日から何度も見るこの夢は俺にとって悪夢であり、そして罪科だ
世界は救われた
ティア・ガーネットと言う1人の少女の命と引き換えに
あの日から3年の月日が流れた今も、浮遊世界ユクドラシルは平穏に包まれている
空賊だった俺はティアに出会い、世界の命運を知り、数々の苦難を乗り越えて、最果ての地へ辿り着いた
そして、ティアは死んだ
「ありがとう」
と言い残して
最後まで微笑んでいた
俺の旅は終わったんだ
それからすぐに空賊を辞めて、リビルトと言う小さな島で惰性の日々を過ごしている
空賊だった頃の貯蓄はかなりあるし、食うものにも困らない
朝起きて、飯を食い、昼寝をして、飯を食い、就寝する
そんな毎日だ
もう、空を駆けることもない
このまま生を全うするのだとずっと思っていた
今日までは
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適当に朝食を食べた俺は久しぶりの散歩に出掛けた
思えばここ数ヶ月家を出ていない気がする
食料は定期的にデリバリーしてもらってるので外出する必要がないのだ
この日出掛けたのはただの気まぐれ
周りは何も無く山の中だ
近くの街まで行くのに歩きで半日はかかる
あえてここを選んだ
人に関わりたく無いからだ
当てもなく歩き続けると視界に広大な空が広がった
どうやらもう島の端まで来ていたらしい
久しぶりに見る空海は俺の心を少し揺さぶった
俺は欄干に頬杖を付き、蒼穹を眺める
何処までも続く青
見える範囲では島もない
遠くの方に一艇、飛行艇が飛んでいるのが見えるだけだ
何を考えずボッーと飛行艇を見ているとある事に気付く
「こっちに向かってるな、珍しい」
こんな田舎の孤島に向かってくる飛行艇はとても珍しいものだった
3ヶ月に1度食料などを運ぶ輸送船があるくらいで、観光客などほとんどいない
「まぁ、気にすることでもないか」
俺には関係ないと背を向けて、歩き出す
眠くなってきたので家に帰ろうと数歩歩いたその瞬間、
「すみませーーん!!アベルっ!!アベル・クライスを知りませんか!?この島にいると聞いたのですが!!」
飛行艇の拡声器から放たれる爆音の質問
聞き覚えのない女の声
反射的に耳を塞ぎ、ゆっくりと振り向く
「なんだいったい…探してんのは俺か…?」
「あっ、振り向いた!よかった聞こえましたね!アベルを知りませんか?」
またもや爆音
このボリュームじゃ、島の半分には届いているだろう
何だか分からないが早く止めさせなければ恥ずかしい所では済まない
と言ってもこちらからの声など届くはずないので身振り手振りでやめるように指示する
拡大鏡を使いこっちの動きは分かるはずだ
「すみませんっ!!すぐ向かうので待っててください!!」
理解してくれたようで、静かになりこちらに向かってくる
正直、面倒な匂いがぷんぷんするのでほっといて帰るのもありだと思った
でもここのとこ暇を持て余していたし、この島に俺が住んでいるのを知っている相手だ
とりあえず話してみて面倒な事だったら他人の振りをすればいいやと思い、声の主を待つことにした
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飛行艇が着岸し、降りてきたのは全くもって見知らぬ女だった
年は俺と同じくらいだろうか
肩の高さで切りそろえられた髪は桃色に染まっている
どこか猫のような愛くるしい顔をしていた
「いきなりお声掛けして申し訳ございません。私はアリス・ベルトーチカと申します」
目の前までやってきた女は深々と頭を下げた
「正直かなり迷惑だ、あんな大声で呼び止められたんじゃ文句の1つでも言わないと気が済まないな」
女はさらに深く頭を下げる
「本当に申し訳ございませんっ!!」
謝り続ける女を見て、俺怒りは小さくなっていった
溜息をつき、声を掛ける
「もういい、いいから頭を上げろ」
その言葉に女は勢いよく頭を上げる
何故かニコニコしている
謝罪は演技だったのだろうか
それか単純に切り替えが早いのかもしれない
俺は被りを振り再度溜息を付く
「で、アベルさんがどうしたって?」
女はそうだったと言わんばかりに手を叩いた
「そうでした!!アベル・クライスさんを知りませんか?とても大事なお話があってすぐにでも会いたいんです!!」
「なぜ」
「それはお答え出来ません!!」
俺は息を吐くように嘘を付く
「俺はアベルさんの知り合いの者だ、ある程度の内容を教えてくれなきゃ合わせることは出来ないな。変な奴が来たら追い返してくれとも言われてるんでね」
「おおっ!!うーーーん!!どうしよう…でも他の人に話すなって言われてるし…うーーーん」
「じゃあ、帰れ」
「わかりました!!説明します!!」
(大丈夫か?この女?)
俺は色んな意味でかなり不安になる
「…で、用件は?」
「お姉様・・・いや、ティア様を生き返らせる旅の誘いです!!」
ティアを生き返らせる
予想外過ぎるその言葉は俺に強く響いた
世界を救う為に命を捨てた少女ティア・ガーネット
彼女にもう一度会えるのだろうか
最後まで何も出来なかった俺が今度は彼女を救えるのだろうか
彼女は俺を許してくれるのだろうか
アリス・ベルトーチカの言葉に深く考え込んでしまっていた俺に、アリスは不思議そうに小首を傾げている
「あのー、どうかしましたか?」
ハッとして我に返る
「・・・いや、すまないなんでもないんだ。ところで・・・お前は本当に妹なのか?」
俺は1度上から下までアリスを見遣る
やはり、似ていない
性格も似ても似つかなそうだ
「はい!!ティア様は正真正銘私のお姉様ですよ!!」
アリスはにこやかに頷いた
色々と気になることはあるがとりあえず疑念は一旦棚上げしておく
「ここじゃ話辛い、とりあえずうちに来い詳しく聞かせてくれ」
「アベルに会わせてくれるんですね!?」
「その必要は無い」
「えっ・・・?」
アリスの表情が訝しげに変わる
「俺がアベルだ」
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厄災、ザイロスカディス
世界を滅ぼす者、端的に言えば魔王だ
3年前、ザイルーンとか言うイカれたカルト集団が厄災を復活させた
正確には魂だけだが
その魂は様々なものを吸収し、力を蓄えて、実態を手に入れ、完全に復活しようとしていた
完全に復活してしまえば世界は一夜にして滅ぼされる
それが、古い文献に載っていたこの世界の厄災の言い伝えだ
正直、俺は半信半疑だった
世界を滅ぼす魔王?
そんなものおとぎ話の中だけだと、そう思っていた
しかし、ザイロスカディスの魂が復活した直後からこの世界には魔物が現れ始めた
魔物は人を襲い、喰らい、そのエネルギーをザイロスカディスの魂に送る
そうすることで力を蓄えたザイロスカディスは復活するのだ
空賊としてあちこち飛び回りながら数々の魔物と戦い、魔王の存在を確かに感じ、世界が危機に瀕していると嫌でも実感した
そんな中で俺は古い文献を見付けた
そこに記されていたのは厄災の復活を阻止する唯一の方法
それは
人柱
ある一族の中で稀に生まれる特殊な力を持った人間の中に厄災を封じ込め、その人間ごと殺すという事だった
それだけが、厄災、ザイロスカディスを滅ぼす唯一手段
それを知った直後の俺は俺にはあまり関係がない事だと思っていた
どっかの誰かがやるかもしれないし、世界が滅びるならそれはそれで別に仕方ないかな、と
世界の命運を握るなんてそんなことそれこそおとぎ話の中の勇者がやることだ
俺はただの空賊
欲望のまま自由に生きる薄汚い盗っ人だ
たが、俺は出会ってしまった
異能の力をもつ少女
命と引き換えに世界を救うことの出来る唯一の存在
ティア・ガーネットに
ティアは俺に頼み事をしてきた
「私をこの国から盗んでください」
意味の分からない頭のおかしいやつだと思った
「そして最果ての地へ連れていってください」
「なぜ」
「世界を救うためです」
ティアは知っていた
自らに課された悲しみの運命を
「俺は空賊だ、約束なんて守るかわかんねーよ?」
「私にはわかります。貴方は優しい人です」
大きな目に見据えられて俺は断れなかった
今思えば、この時からティアの事が好きになっていたのかもしれない
そして俺はティアを最果ての地へ連れて行き、殺した
ティアは最後まで優しく微笑んでいた
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「ティアを生き返らせるってどういうことだ?」
家に入り、椅子に座ると俺は単刀直入に聞いた
テーブルを挟んで向かいに座ったアリスは部屋の中をキョロキョロと見回したあと、俺の目を見据え話し始めた
「えっと・・・その前にちょっといいですか?」
「何だ、早く言え」
「貴方は本当にアベルですか・・・?」
アリスは俺の顔を覗き込んで悩ましげな表情をしている
「そうだと言ってるだろう」
「私の知っているアベルとは違います」
アリスは身を引いてキチッと座り直し、キッパリと断言した
「・・・って言われてもな」
俺は頭を搔く
「そもそも俺とお前は会ったことないだろう?知っている人と違うってどう言うことだ?」
その言葉にアリスは勢いよく立ち上がり、両手でテーブルを叩いた
「そんなことありませんっ!!アベルは私の婚約者ですっ!!何度も会っています!!」
「・・・はぁ?」
「最愛の人の顔を忘れるはずありませんっ!!」
(じゃあ、他人だと思いながら俺に着いてきたのかこいつは…)
「俺はお前に会ったこともないし、そもそも婚約者なんていない」
「じゃあ貴方は誰ですかっ!!アベルの名を騙り、私を家まで連れ込んでっ!!場合によっては考えますよっ!!」
「連れ込んだって・・・お前が着いてきたんだろう。それに俺は間違いなくアベル本人だ」
(それに考えるって何を考えるんだこいつは・・・)
俺は酷く面倒な女を連れて来たととても後悔した
「証拠を見せてください」
もう1度椅子に座り直したアリスが淡々と言った
「証拠・・・?例えば?」
ここで何故か顔を赤くするアリス
「き、き・・・」
下を向きモジモジし始める
「なんだ?」
「・・・キスしてください」
「・・・・・・は?」
俺の思考は完全に停止した