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さよならは二度と

 俺はなんとかラピスを思い止まらせようと、何か妙案がないかと考えを巡らせたが。

 言うまでもなく、そんな案などすぐに思いつくはずもなかった。

 そうでなくとも――ラピスの達観したような笑顔。

 この前のそれとは明らかに違う。

 止むを得ず――といった表情をしていたあの時とは違い、どうにもならぬことを素直に受け入れ、穏やかに最後の時を迎えようとしている彼女を見ていると、こうして無駄に思考の堂々巡りをさせていることが、とてつもなく不誠実なことのように思えた。

 俺は――未だ納得はせずとも、とりあえずは彼女の提案に乗ることにした。


「……これが最後だってなら、今まで聞けなかったこと聞いてもいいか」

「うむうむ。勿論じゃとも。なんじゃリュウジ、今まで何か遠慮しておったのか? まったく水臭いやつめ、そんな気遣いは無用じゃ」

「……お前、この先どうするつもりなんだ」

「どうもせぬよ。このままただ朽ちてゆくのみじゃ」


 なんでもないことのように言い放つラピス。

 だが当然、俺はそういうわけにはいかない。


「それでいいのか? ……お前、寂しかったっつってただろ。何万年も生きてきて、やっと話せたのが俺だけって、んなこと――」

「満足じゃよ。何も思い残すことなどない」


 いっそ清々しいほどに。

 はっきりと、そう言い切る。


「この十五日間――そう、たったの十五日間。汝にとっては取るに足らぬ、時が経てば忘れてしまうようなものであろうが……わしにとっては、至福の――そう、甘露を飲むようであった。まさにこの時のためだけに、わしは存在していたのやも知れぬとまで思うた。そう考えれば、あの冥府での無為極まる時間も、ここに幽閉されてからの長き刻も――それが汝との出会いのための必要経費であったのなら――」


 ラピスは、それまで見てきた中で、一番の笑顔になり――言った。


「――まったく惜しかったとは思わぬぞ?」


 その瞬間。

 俺の中で、何かが壊れた。

 感情の爆発するままに、狂乱したかの如く叫び散らす。


「ふざっけんな! 数千――数万年だ!? そんだけの支払いの対価が、俺みたいなただの人間との会話――それも数日間だ! たった数日! 割に合うわけがねえ! お前は――」

「いいやリュウジ。汝はただの人間などではないよ」

「そんっ――」

「まあ聞け。……そうじゃな、最後ならば話してもよかろう。わしが捕らえられし際のことじゃ」


 それこそは、俺もラピスも、互いに避け続けてきた話題であった。


「実はな、わしは汝に対し、ひとつ嘘をついた。人と会ったのは汝が初めてではない。そう――あの日。わしを捕らえようとやってきた者ども。……わしはあの時、初めて人というものと対峙した」


 嘘をついたことなど、何の問題もない。

 しかし果たして、何故そうする必要があったのか?

 答えは、続くラピスの言葉で明らかになる。


「これは笑い話なのじゃがな? わしはな、その時――なにゆえ冥府に他者、それも人間などが入り込めたのか、などとは全く頭に上らなんだ。わしは愚かにも、やっと他人と話すことができるのではという期待に胸を膨らませておったのじゃ。――しかし、な。リュウジ」


 自虐的な笑みを浮かべたラピスは、今にも泣きだしそうな顔になり、言う。


「何を言うべきか迷っておるわしに対し、奴らがまず行ったことはな……わしの体に剣を突き立てることじゃった。……いや、あれは痛かった。初めて身体を傷つけられたこともそうじゃが、それ以上に……わしの心は深い絶望に飲まれたよ。こんな……これが、こんなものが、長きに渡る地獄のような日々の、返礼なのかとな……!」


 ――その声は、僅かに震えていた。


「――お前は死神だろうが! んな奴ら、それこそブッ殺しちまえば――」

「……いやいや、そこもまた笑えるところなのじゃよ。わしもその時初めて自覚したのじゃがな。わしら超常の者どもというのはな、どうやら人に対し直接危害を加えることができぬらしいぞ」

「そん、な……んな、馬鹿なこと……」

「まあ、考えてみれば当たり前のことなのかも知れぬの。ほれ、考えてもみよ。わしのような全能の力を持った神が、ふとした気まぐれで人間を滅ぼそう、などとひとたび思い至れば、人の世などひとたまりもないわ。恐らく、そうした事態を事前に防ぐための安全装置なのじゃろうな。いやいや、創造主というのは実によく考えておるものじゃと感心したわ」


 まるで他人事のように話すラピスだが、その時の彼女の失望、悄然は如何ほどのものだったか。

 それは想像を絶するものであったろう。


「捕らえられた後は、それはもう凄まじかったぞ? 一体何度身体を切り刻まれ、擦り潰され(・・・・・)たことか。しかしまあ、どれほどわしを殺しつくそうとも、完全に息の根を止めることは適わぬと、いつしか彼奴等も理解したようでな。腹に鎌を叩き込んで逃げられぬようにし、その後は――ほれ、これこの通りじゃ。わしに残された時は、長くて後数百年といったところじゃろう」


 己が下腹部に視線を落としたのち、再度俺に視線を送るラピス。


「……わしに敵意の視線を向けず、ぬくもりをもって接してくれたのはな、リュウジ。汝が最初で最後じゃ。そればかりか、汝は己の体が既に悲鳴を上げておることを隠してまで、他人を思いやれる人間じゃ。……誇るがよいぞ。この冥府の王が保証する。汝はただの人間などではない。――世界一、優しい男よ」


 このとき、果たして俺がどんな顔をしていたか。


「――そうじゃ。そんな王のお墨付きの優しい人間に、最後に頼みがあるのじゃが、聞いてくれるか?」


 俺は、一言も言葉を発することができずにいた。

 それは、何をかひとたび口にすれば、その瞬間、目から溢れ(いで)るものを制御できぬと理解せしゆえ。

 そんな俺に構わず、ラピスは最後となる『お願い』を――言った。


「リュウジ。……最後にわしを、抱きしめてくれぬか? ――それでわしは、残された時を、幸福に包まれたまま――夢見心地で、逝くことができる」


 この言葉が、最後の引き金となった。


「断る」

「――えっ……」


 まさか断られるとは思ってもみなかったのだろう。

 呆けたような顔をするラピスのすぐそばまで俺は近づき――そして、爆発した。


「冗談じゃねえぞ、この――くそバカ! 冗談じゃねえ、ああ、冗談じゃねえ! これで終わりなんて誰が認めるかよ!!」


 ラピスは狂ったように腕を振り、がなる俺のあまりの豹変ぶりに脅えたような表情を見せるも、俺は全くそれを意に介することなく、思いのまま次の行動に出る。


「こいつを引っこ抜きゃ逃げられるんだろうが! なら――ぐっ!?」

「――ばっ、馬鹿者!!」


 俺がとった行動とは、ラピスをここに縛り付け続けている、その元凶。

 あの忌まわしい鎌を引き抜くことだった。

 ――が、両手の杭の時とは明らかにその様相が異なる。

 手に持った瞬間、まず俺を襲ったのは、強い虚脱感。

 そして、続けざまに全身が凄まじい痛みに見舞われた。

 身体だけでなく、精神までも侵すような、想像を絶する苦痛が俺を襲う。


「お、愚か者が! その鎌に触れればたちまち精気を吸われ――いや! 汝のようなただの人間など、たちどころに存在ごと消滅してしまう! 早く離さぬか!!」

「い……嫌だねっ……それ……だけは聞け……ねえよ……! それに……死神様のお墨付きだからな……俺は、ただの人間じゃ……ねえんだろっ! ――ならっ!」


 ……はっ。

 ――これしきの痛みが何だと?

 今までのこいつの境遇を思えば――所詮一時のこと。

 苦痛と呼ぶことすらおこがましい。


「阿呆っ! 馬鹿な真似はよさぬか! このわしを――汝まで絶望に叩き落そうてか!?」


 ついに俺を止めんとするラピスは、涙まで流し始めた。

 ……ああ、泣けよ。

 ――でもな、その顔を見るのも今回きりだ。


「はっ……! いいや……最後なんて言わせねえ……!」


 僅かに、手に感じる引っかかり(・・・・・)が軽くなる。


「なあ、ラピス……こん、な……クソ世界なんぞ……捨てちまえ……よ! 俺はもう……決めたぞ!」

「何を――何をじゃ!」


 俺の叫びと、鎌がラピスから離れたのは――ほぼ同時だった。


「……お前を……連れて帰る! 俺の世界にな!!」




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