ニアミス?
「──てなことがあったんだが」
「ほほう」
ルナに着いた俺は、早速ラピスに先ほどの経緯を話した。
「お前はどう思う?」
「そうじゃの。ようやく我が君が多少なりとも警戒心という言葉を知ったようじゃからな。そこは素直に喜ぶべきといえるの」
「そういうことじゃねえ! どう思うってのはあの女が例の箱の持ち主なんじゃねえかって話をしてんだよ!」
いちいち一言多いやつだ。
毎回店に顔を出した瞬間だけは素直に喜びを露にするくせに、少し時間が経つといつもの調子に戻ってしまう。
「なんじゃそんなことか。それならばわしに聞くまでもなかろうよ。ほれ、惣一朗の時を思い出してみるがよい」
「惣一朗さん? なんで今あの人の話になるんだ?」
「まったく鈍いのう。汝には死神の眼があるではないかと言えばピンとくるか?」
「……あっ」
表情に出してしまったのは失敗だった。
してやったりといった風なラピスは、やれやれとばかりに言葉を続けた。
「人間そう簡単には変われぬということかの。で、そのことに思い至った今、もう一度そ奴のことを思い出してみるがよい。穢れは見えたか?」
『穢れ』。
詳しいことは未だあやふやだが、ラピスやエリザさんのような人ならぬものと長いこと接し続けた人間の身に蓄積されるというもの。
俺の目には黒いオーラのようなものとして映るものだ。
「……いや。そこに注意してなかったから断言はできないけど、それらしいものは見えなかった……と思う」
「ならばそれが答えなのであろうよ」
「いや、でもナラクのパターンだったらどうなんだ?」
「……ふむ」
ラピスは顎に手をやり、少し考え込む素振りを見せる。
「確かにそれは考慮に入れねばなるまい。あやつだけが特別じゃと思うておったが、それもどうか分からぬしの」
「おっ。なら今回は俺の勝ちってことだな」
初めてこいつの言葉にツッコミを入れることができた気がする。
我ながらみみっちいとは思うが、これまでさんざ上から目線で見られてきたのだ。少しくらいいい気になってもいいだろう。
だがしかし、そんな俺の心中を目ざとい死神は即座に察知したようで、不満げに頬を膨らませる。
「……こんな幼女相手にかように嬉々として勝ち誇りおって。ちと大人げがないのではないか?」
「都合のいい時だけその設定を持ち出すんじゃねえ。数万歳以上のくせしやがって、なにが幼女だ」
「ふん。それで、今日はこの後こむすめの家に行くのじゃろう?」
「ああ。バイトの時間は大丈夫か?」
「終了の時刻まではあともう少しあるが──おい聖……聖ーっ?」
ラピスが大声で聖さんの名を呼ぶも、彼女からの返答はない。
続いて俺も店内をぐるりと見回してみれば、狭い店内のこと、すぐにその姿が視界に入ってくる。
「そうなの! ここは『めいどかふぇ』っていうのね!? ごはんもおいしいし、とっても素敵なところなの! でも大丈夫なの? おねえさん、どこか身体悪くしてるのね?」
「なに、気にしないでくれ給えよ。ところでミナちゃん、キミも一度ウチの制服を着てみたくはないかい? 丁度キミに合いそうなサイズが──」
……ミナとセットで、だ。
ミナの姿を一目見るや、それから聖さんは彼女にかかりっきりになっていた。
だらしなく顔を綻ばせ──どころか、緩みきった鼻から血を流しているほどだ。
黙っていれば美人なんだがなぁ……。
「メイド服が嫌なら他にも色々とあるぞ!? そうだ、いっそのことラピスちゃんとセットで──」
「あんたね、ここに来るたびに過去のイメージ壊すのもいい加減にしてくれませんか?」
「む、どうした竜司君。渋い顔をして。今大事なところなのだが」
大声で捲し立てる聖さんの背後から俺が声をかけると、大真面目な顔でこんなことを言い出す。
本当に、いい加減本物の聖さんは帰ってこないのだろうか?
「頭の先から爪の先までどうでもいい内容に聞こえましたけどねっ!? 大体いつからここは喫茶店からメイドカフェになったんですか!」
「カフェには違いないだろうに。以外に細かいところを気にするのだな」
もはやいちいち突っ込む気すら失った俺は、手短にことの経緯を彼女へ伝える。
「ふむ、大事な用事と言うならば構わないよ。店のピークも過ぎたしね」
「ありがとうございます」
「いやいや。言っておくが私はキミとラピスちゃんからの願いならば大抵のことは聞くつもりでいるからな。遠慮などする必要はないよ」
色々と心の内で言ったものの、こういうところには感謝するしかない。
これも彼女の生来の大らかさによるものか。
「……ところで話は変わるのだが」
「はい?」
「大事な用なのだ。……しかしあまり声高にはしたくない。耳を貸してくれないか」
声色からただごとではなさそうな雰囲気が伝わってくる。
メイド服に身を包んでいても、元の素材が素材なだけに、キリっとした表情の聖さんはとても美人だ。
不覚にも俺は、顔を近付けてくる彼女に一瞬ドキリとしてしまった。
……が、それも一瞬のこと。
「……キミは一体どうやってあのような可愛い娘を見つけてくるのだい? いや見つけるだけならばまだしも、あそこまで懐かせるとは。それにあの鈴埜ちゃんといったか、あの子も相当なレベルだぞ。ラピスちゃんの時給を三倍にしてもいい。今後店が潰れるまでキミとその連れたちの代金をタダにしてやってもいいぞ。その秘訣を教えてくれないか? 頼む!」
「おーい。聖さんからの許しが出たぞー。ミナも鈴埜も準備しろー」
何も聞こえなかった。そういうことにしておこう。
「ちょっ竜司君! まだ話は終わっては──」
「なんじゃそうか。それではこの品だけ出してからにするでの。ちと待っておれ」
言いつつ、ラピスは盆に乗せたアイスコーヒーを常連のおっさんの元まで持って行く。
「ラピスちゃん今日はもう帰っちまうのかい?」
「んむ。……馬鹿者、そのように悲しげな顔をするでないわ」
「なんだい、この後パフェでもごちそうしようと思ってたのによ」
「くかか、次の機会にな。我があるじの命には逆らえぬでの」
「まったくあの兄ちゃんが羨ましいぜ。あーあ、ウチの娘もラピスちゃんみたいないい子だったらなぁ……」
勝手なことばかり言いやがる。
外面だけはいいラピスのことだ、この短期間に相当な地位を固めているとみえる。
「ところでさっき話してたこと、ちっと耳に入っちまったんだがよ。いや別に聞く気はなかったんだけどな」
「ふむ?」
と、商店街で雑貨店を経営するそのおっさんは俺の方へと向き直る。
やけに神妙な顔付きだ。
「兄ちゃん、そのフードを被った女ってのはこんくらいの小さいガキだったか?」
「子供……っていうほど幼い印象は受けませんでしたけど、確かにそれくらいでしたね」
「……なあ兄ちゃん、そいつはバアさんのとこにいたんだよな?」
「え、ええ。そうですけど。知ってるんですか?」
何だか雲行きが怪しい。
おっさんの声色も、先ほどラピスと相対していた時のようなものとはまるで違う、ドスの効いたものへと変貌していた。
「知ってるも何もねえよ。ここあのガキは最近この商店街によく現れる万引き常習犯なんだ」
「……え?」
「ウチだけじゃねえ、ゲンさんのとこもウメさんのこともやられたらしい。やたら逃げ足が速くて逃がし続けてたんだが……。──聖ちゃん! 今日はここで帰るぜ、急ぎの用事が出来ちまったからな。会計頼むわ!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
そして、ラピスを加えた四人組となった俺たちは、ようやく最後の目的地へと歩を進める。
「……随分と騒がしいお店でしたね。少し疲れました」
「お前は遠くの席でまったりコーヒー飲んでただけだろうが」
「あまり詳しくはないのですが、今まで飲んできた中で一番といっていいほどの味でしたね。……しかし何故あのような格好を?」
「そこが焦点じゃなくてだなぁ……いや、もういい」
……しかし、あの子が万引きの常習犯とは。とてもそんな感じには見えなかったけどな。
ま、確定したってわけでなし。それに例の連中でないのならばもう会うこともないだろう。
今日はこれからが本番なのだ。




