千変万化
「ねえねえ、すずのさんはさ、ご主人のこうはいって言ってたけど。こうはいってなんなのね?」
「それはですね──」
ミナを加えた俺たち三人は今度はラピスを迎えに歩を進めているところだ。
ひと騒動あったものの、あれから鈴埜とミナの二人は朗らかに会話をしながら並び歩いており、険悪な雰囲気などにはなっていない。
ラピスの時と比べると雲泥の差だ。
……ま、あいつは最初から喧嘩腰だったからな。まあ、あれはあれで理由あってのことでもあったし、今さら責める気もないが。
「そうなの! そんなにいっぱい人間さんがいるのね!? ならミナの信者になってくれそうな人もいるかもなのね!」
「信者とは?」
「ああ、どうもミナの力は人間の信心──だっけか? に依るらしくてな。そうだったよな?」
「はいなの! ミナ自身はもちろんご主人だけで十分満足だけど、やっぱりご主人を守るにはもっといっぱい信心が欲しいのね。……それに」
「それに?」
鈴埜は気付かなかったようだが、瞬時にミナの笑顔の質が変わったのが俺には分かった。
「そうすればきっと、あのひとにも今度は勝てると思うのね。色々考えてたんだ、ちょっとの傷だとすぐに元通りにされちゃうから、次は修復ができないくらい一気に──」
「だっからそういう発想を止めろっつってんだろが!」
「む~……」
意外に武闘派というか、大胆なんだよなぁ、こいつ……。
この発言には流石に鈴埜のやつも面食らった様子を隠せない。
「先輩あの、確認しますけど……仲間、なんですよね?」
「ああ、そうなんだがな……ラピスとの関係そのものはまあ、聞いての通りだよ」
「大丈夫なんですかそれで」
「そう見えるか?」
「どうせ何もかも先輩が始めたことなんでしょう。ならそのあたりのケアもきちんとしてくださいよ。私もそこまでサポートし切れませんから」
無情にも言い切られ、俺は口をつぐむほかない。
……まあしかし、鈴埜とミナの二人は思ったよりうまくやれそうだな。これは良い兆候だろう。
それからはまた鈴埜とミナが色々と話しているのを聞きつつ、更に二十分ほど歩いた。
「やっぱ下道通るとけっこう歩くな。ミナ、疲れてないか?」
「ううん。大丈夫だよっ」
「そっか。もうちょっとだからな。着いたらジュースの一杯でも貰おうか」
「はいなの! ……あ、でもご主人、それより」
「ん?」
くいくいと俺の服を引きつつミナが指差した先には、いつか彼女と共に行ったことのある駄菓子屋が見えている。
そうか。そういえばあの店は丁度麓を下りたところだったな。
「我慢できないか?」
「ううん、でもあそこはご主人との思い出の場所だから……あ、ダメならいいよっ! ミナはおりこうさんだから! わがままなんて言わないのね!」
まったく、子供のくせに聞き訳がいいことだ。
いや、実年齢で言えば俺なんかより遥かに年上なのだが。
「んー……鈴埜、ちょっと遅くなるけどいいか?」
「私は構いませんが。……しかし先輩。そういうところなんじゃないですか? 私は早くも分かってきましたよ」
「え? 何が言いたいんだよ」
「いいえ。どうせ言っても無駄なので。昔からそうですもんね」
「……?」
相変わらずの無表情で、しかし皮肉たっぷりな声色でして言う鈴埜。
普段通りの彼女が戻りつつあることに安堵するべき……なんだろうなぁ。
「──で、またアイスなのか。腹壊しても知らないぞ?」
「大丈夫なのねっ! えーっと……どれにしようかな……」
駄菓子屋に着くなりミナは他のものには目もくれず、すぐさま冷凍ボックスに飛びつきアイスを吟味し始めた。
これがせめて秋ならまだいいのだが、12月という冬真っ盛りの今となると……。
「ね、ね! ご主人は何にするのっ?」
「あ、ああ……んじゃ、このへんにしようかな……」
「なにそれっ!? キレイな緑色でとってもおいしそうなの! えーっとじゃあミナはね、こっちの茶色のやつにするの!」
渋々といった感じで俺が適当に抹茶ソフトクリームを選ぶと、ミナは嬉々として同じ種類のもののチョコ味を選び取る。
「それでは私はこれを」
と、何故か鈴埜までもがアイスを手に取りつつ言う。
「鈴埜、お前は付き合わなくていいんだぞ?」
「別にそういうわけでは。しかし折角の先輩のお気持ちを無下にするわけにも」
「そんなこと言いましたっけねえ!?」
結局俺は鈴埜の分──わざわざお高めなプレミアムアイスだ──をも一緒に会計し、外のベンチに腰掛けながら三人並んで食べることになった。
「……やはり冷えますね。しかし本当にご馳走して頂けるとは意外でした。冗談でしたのに」
「お前なっ!? ……ああもう、言い出した以上残すんじゃねえぞ」
買った後で言うんだもんなぁコイツは。
「おいしいっ! 前のもおいしかったけどっ! 今日のもすっごくおいしいのね!」
のろのろと食べ進む俺たちとは対照的に、ミナは満面の笑顔でソフトクリームを舐めている。
確か前に食べてたのはバニラ味だったかな。
「そりゃ良かったな。チョコ味は好きか?」
「うん! ご主人のそれは何なの?」
「ああ、こりゃ抹茶っつって──なんだ、気になるのか」
返答を待つまでもない。
キラキラと輝いたその目を見れば、期待に満ち満ちているのがよく分かる。
「一口いるか?」
「うんっ! ──はむっ……あまーいっ!」
お気に召したようだ。
一口どころか全部食べてくれてもいいくらいだが、それこそ腹を壊す結果になると思い口に出すのは控えた。
しかしわざわざ俺が口をつけたところから頬張らなくてもよかろうに。まあそんなことは一々気にしないってことかな。
「じゃあミナのも、はいっ!」
「ああいや、俺は……」
「ダーメっ! ミナひとりがいい思いするなんて嫌なのね! ご主人も!」
別に遠慮しているわけでもないんでもないのだが、押し切られる形で俺はミナが差し出すそれを一口もらう。
無論彼女が口を付けていない部分をだ。
……何故かミナの顔が一瞬不満げな顔になったような気がしたが、文字通り気のせいだろう。
そんなやり取りをしていると。
「先輩」
不意に鈴埜から呼ばわれ、俺は彼女の方へ向き直る。
「ん、どした鈴埜」
「……」
「おい?」
彼女の目はこちらを見ていない。
ひと掬いのアイスを載せたスプーンを自身の胸の前に掲げたまま、それをじっと凝視している。
そしてその顔は、やや赤みがかっているように思えた。
「……そ、その」
何故か息まで荒い。
やはりこの寒空の中冷たいものを食したことで体調でも崩したのだろうか。
そう俺が訝しんでいる中、ようやく彼女の唇が僅かに動く。
「……私のも」
「あっご主人、ほっぺにアイスついてるのね」
「──へ?」
やけに近くから声がした気がして振り返れば、いつの間にか胸あたりまで顔を寄せてきていたミナと目が合う。
「え、どこだ、ここか?」
「反対反対」
「んん?」
指でそれらしいところを擦るが、どこも違うらしい。
「くすくす……じれったいのね。ここだよ」
やにわにミナが顔を近付けてきたと思うや。
「っ!?」
それが頬を這った際、俺は一瞬ぴくりと身を硬直させてしまう。
「ミ……ミナッ! お前……!」
……不覚。つい声が震えてしまった。
先ほどの感触はすなわち、ミナの舌が俺の頬を掻いたものであった。
「ん~? んふふ、どうしたのご主人。お顔が赤いのね?」
「……ッ」
言葉にされるとますます顔が紅潮してしまうのを感じる。
その理由は恥ずかしさが半分、そしてこんな子供相手にそんな慌てきった様子を隠せない自分への怒りが半分である。
「くすくす……。ねぇねご主人。どうして黙っちゃうの? ミナ、ご主人に褒めてもらいたいのね?」
……俺は一瞬、目の前の少女が別人のように思えた。
そんなことを思っている間にも、挑発するような目つきになった彼女は妖艶に口角を上げつつ俺の首に手を回してくる。
更には片足を俺の膝の上に乗せてきつつ、だ。
見る間に彼女の瞳は細く収縮し、まるでその様は獲物を狙う肉食獣のそれだ。
──いや!
「あっ、ありがとうなミナ! えらいぞ! えらいえらい!」
「きゃっ」
あることに思い至った俺は、すんでのところで正気に立ち返り、慌ててミナの両肩を押して距離を離す。
そのあることとはつまり。
「で……で! す、鈴埜! 何の用──……」
そう。この場にはもう一人いたのである。
いくらなんでも他人の目が──それも後輩の目の前で醜態を晒す訳にはいかない。
今回ばかりは鈴埜がいたことが救いとなった。
……のだが。
「……え、あの……鈴埜?」
「──は? 何です?」
底冷えのするような低音でして返ってきたのは、あまりにも素っ気ない返答。
いや声色ばかりでなく、俺を横目だけで見る鈴埜の目には明らかな侮蔑……いや怒りの色があった。
「い……いや、そのな」
「もう私は食べ終わりましたよ。グズグズせずにさっさと行きませんか?」
「う……」
取り付く島すらない。
「ちぇー……まあいいの。邪魔はできたし」
「ん? ミナ、今何か言ったか?」
「ううん? 何も言ってないのね?」
きょとんとした顔で答える彼女の顔には、とても他意を隠しているような素振はない。
俺の聞き間違いか。
「……先輩。やはり私、人ならぬ方々とは仲良くやれそうにありません」
「いやお前な、自分の母親がそうだろうが」
妙な塩梅になってきたな……さっきまでは仲良くやれそうな空気だったってのに。
一体どうしてこんな空気になっちまったんだ?
「あれ。ご主人、あの人なにやってるんだろ?」
「ん?」
「ほら、あそこあそこ」
剣呑とした空気の中、ミナが何やら妙なことを言い出した。
彼女が指で指し示す方向を見ると、確かに遠目に何かもぞもぞと動く人影らしきものが見える。
「……確かにいるな。けどそれがどうかしたのか?」
「あのひと、泣いてるみたいなのね」