約束の行方
「で、どうなんだ。何か分かったのか、それ」
「うう~む……」
例の爪楊枝に似た何かを手に持ったまま、ラピスは呻る。
帰ってからすぐに彼女は詳細を知るべく色々としていたようだったが、どうもこの態度を見るに経過は芳しくないようだ。
そしてこの俺の予想は正しかったらしい。
「正味なところ詳細は分からぬの」
ラピスは疲れたように言うと、机の上に手に持っていた物を雑に投げ捨てる。
「なんだ、お前でも分かんないくらいのすげえモンってことか? でもそれを見つけた時は……」
「いやいや逆じゃ、逆。内包されておる力があまりにも貧弱すぎるのじゃ」
「ん? なら楽勝じゃないのか?」
よく分からないことを言うラピスに素直な疑問をぶつけると、彼女はいかにも『ものの分からぬ奴だ』と言わんばかりの目をする。
「はぁ~……やれやれじゃ」
そう言って、溜め息をつきつつ両手を肩の上で振る。
……なんだろう、とてつもなく馬鹿にされているような気がするぞ。
「分かりやすく言うとの、ものさしの単位が違うのじゃよ。今でこそかような姿に身をやつしてはおるが、汝も知っておるようにわしは元冥府の王にして至高の神たる存在じゃぞ? 人の持ついじましき魔力の多寡など、このわしにとってみれば違いなどあってないようなものよ。ましてやこの棒きれに込められた力のなんと小さきことぉ……これならあの鈴埜というこむすめが汝にかけようとしたものの方がまだマシというものじゃな」
説明しつつも自分を上げることは欠かさない。まったくその点だけは一貫してる奴だよ。
まあしかし言いたいことはなんとなく分かった。
「デカけりゃいいってもんじゃないだろ、ものごとはよ」
「ほほぉ~? 汝がそれを言うかの。いやいや、確かにその通りではあるがな?」
にやりと嫌な笑いを浮かべるラピス。
こいつがこの顔をする時は決まってロクなことがない。
そして今回もそれは同じようだった。
ラピスはにやけ顔のまま愉快そうに口を開く。
「わしはしっかりと気付いておったぞ? 最初に出会ったあの時、汝の視線がわしの体の一部に釘付けであったことをな」
一瞬何のことか分からなかったが、その意味に気付いた瞬間、俺の体温は急上昇する。
「おまっ、それとこれとは話がっ……!」
「否定はせぬのじゃな」
「ぐっ……!」
気恥ずかしさのあまり出すべき言葉を間違えた俺の言葉じりを捉えたことに気をよくし、ますますラピスの笑顔は深いものとなる。
そしてチューブトップに手をかけつつ、
「”大きいことばかりが良いわけではない”と言うなら、何故今のわしのそれに興味を持たぬのじゃ。わしは一向に構わぬと言っておろうに。小さいながらも多少は、ほれ」
それを捲り上げようとする。
「やかまっしい! 大きなお世話だ! しまえ胸を!」
「くかかかっ! ……まあそれはそれとして、じゃ。たしかにあの男の言うとおり、これしきの力しか持たぬのであればしょせん我等の敵ではないの」
ひとしきり俺をからかって満足したのか、ラピスは話を元に戻す。
「とはいっても気を抜くわけにもいかないだろ。もうちょいあいつから詳しい話を聞き出しとこうぜ」
「うむ。備えあればなんとやらじゃ」
「お前いつの間にそんな言葉を覚えて――っていうか、そうだ。お前もナラクもそうだけどさ、何ですんなり話が通じてんだ?」
あまりに自然にことが推移していたために疑問に思わなかったことだが。
よくよく考えるとおかしな点があることに、今になって俺は思い当たる。
「どういう意味じゃ?」
「いや今さらなんだけどな。ほら、俺とお前って出会ったときから普通にその、日本語で会話できてたじゃん? それっておかしくねえか?」
俺の言葉に若干呆れた様子でラピスは答える。
「本当に今さらじゃの。……まあわしの場合ならばな、以前の姿であれば対象を見ただけで凡その意思疎通を確立することができた。言語など言うに及ばずの。今の姿だとそう容易にとはいかぬのが面倒なことじゃ。しかし楽しくもあるぞ。今学校では英語とやらを学んでおるが、あれは簡単すぎて飽きてしもうた。のう我が君、そなたはあの学び舎ではわしより数年先の内容を学んでおるのじゃろ? 他の言語を学べるのはいつじゃ。できればもっと難しいものがよいのじゃが」
「……知らねえよ。大学にでも行ったら分かんじゃねえのか」
「??? なんじゃ我が君、なにか気分を害しておるようじゃが」
不思議そうな顔をするラピスに対し、俺は苦い顔になるのを隠し切れない。
魔術やらなんやらに関してならば今まで俺の人生に全く関わり合いの無かったものなのでどうということもないが、俺もよく知るところの分野でこうも差を見せ付けられると……自分でも狭量だとは思うが、やはり面白くない。
「気のせいだ気のせい」
「そうか。それで他の連中――あのナラクなどが同様である理由じゃが、これはまあ本人に聞くがよかろう。わしもそこまでは知らぬよ」
にべもなく言い放つ。
「まあ神だの魔法だのが当たり前になりつつあるからな。今さらその程度どうでもいいっちゃどうでもいいか」
「それより我が君よ」
「うん、なんだ」
「今宵は久しい二人きりの夜じゃというに、かような色気のない話は止めにせぬか」
「久しいってお前な……」
ところでお気付きだろうか。
先ほどから会話をしているのが俺とラピスの二人のみであるということに。
俺はミナのことに思いを馳せると、自然と表情が強張ってしまう。
「しっかし、本当に大丈夫なのかね……」
「なに、風呂のときも正体は隠し通したのじゃろ。そこまでたわけた娘でもあるまい」
「そりゃそうかもしれんけどな」
俺がこうして気を揉んでいる理由は、ミナが現在花琳と一緒に居ることにある。
これが一時のことならまだよかったのだが。
「あいつの動物好きを軽く見てたな。今から思えばマロンのこともあいつが一番可愛がってたような気がする」
ことの発端はちょうど夕食を食べ終わった時だった。
部屋に戻ろうとする俺を止めた花琳は、今日は自分がミナと一緒に寝るのだと主張し始めたのだ。
『兄貴は昨日一緒に寝ただろ! 自分だけ一人占めなんてずるいじゃん! 交代々々にすべき!』
とは彼女の言である。
その場では曖昧に茶を濁した俺は部屋に戻ってミナ本人の意向を聞くと、『ご主人と一緒じゃないのは寂しいけど……お姉さまとならいいよ』とのことであった。
そうして今に至るというわけだ。
「ミナのやつ、花琳のこと妙な呼び方してたよな。昨日風呂でなんかあったのかね?」
「さての、知らぬ。……そんなことよりっ!」
「どわっ!?」
ラピスはベッドに腰かける俺に近寄ってきたかと思うと、身体ごと体当たりをかまして俺を押し倒す。
「お前な、そうやって身体ごと突撃すんのは止めろっつってんだろ。角が刺さったらどうす……」
しかし俺の苦言は、俺に馬乗りになる彼女の言葉で遮られた。
「――まったく汝ときたら、隙を見せれば他の女の話ばかり。先日のことをもう忘れたとみえるの」
先ほどと似たような笑顔を貼り付けてはいるが、若干そのニュアンスが異なっているように見える。
ほんのわずかな差でしかないのだが、俺も彼女のそうした微妙な差異を見て取れるようになってきたようだ。
とはいえ彼女の言葉はあまりに深読みが過ぎる。
「いやそりゃ考えすぎだろ……ってか穿ちすぎだ」
しかしラピスは納得しかねるようで、ふんとひとつ鼻から息を吐くと、俺の胸に腰を下ろしたまま腕を組んで見下ろしてくる。
「いーや。ここらでひとつ、我が君には念を押しておく必要があるとみた。……よいか。たしかに一応許可はしたがな、わしは今でもあのこむすめが汝と共におることが腹に据えかねておるのじゃぞ」
「……」
……まあ、そうだろうことは俺にも分かっていた。
説得の時だって不満がありありな様子だったからな。
むしろよく了承してくれたものだと思う。そこは素直に感謝せねばならないだろう。
「わしも神であった者、一度口にした約束を反故にしたりはせぬ。汝の言うことならどんなことでも従うつもりでもおる。……しかしじゃ。それでもわしばかりが我慢をせねばならんというのはあまりに不公平が過ぎるとは思わぬか?」
「……どうしろってんだよ」
「贅沢を言うつもりはない。こうして二人だけの時くらい、他の女の話はしないでほしいのじゃ。つまりその……」
ラピスは急にしおらしい態度になり、目線を俺から外す。
気恥ずかしげにしたその顔には、若干の赤みが差していた。
「こむすめのことは……我慢する。でも、今みたいなときは……わしだけを、見てほしい」
最期の方は殆ど聞き取れないくらいに小さいものになっていた。
同時に俺は、今さら何を恥ずかしがることがあるのかという気持ちと、彼女にここまで言わせてしまったこと――いや、こうして直接的に言われねば気付かない己の鈍さに対する苛立ちの両方を感じる。
自分をことさらに尊大に見せたがるこいつにとっては、俺が思う以上に気恥ずかしい台詞だったのだろう。
ならばせめて、今からでも俺もそれなりの態度を見せねばなるまい。
「……わかったわかった。ほれ」
「あっ……」
ラピスの背に手を回し、自分の胸元にまで抱き寄せる。
彼女の体はまるで抵抗を感じることなく倒れ込んできた。
俺はそのまま背に回していた手でラピスの頭をポンポンと叩きながら言う。
「確かにお前にゃ借りが山ほどあるもんな。悪かったよ」
「……別に、借りなどと……」
こういうことに関してだけは妙に遠慮をするのが分からないところだ。
「お互い様だ。俺だってあの時お前を助けたことを笠に着るつもりもないしな。ま、そういうことにしとけ」
「うん……」
言葉すらもしおらしくなるラピス。
そんな彼女の態度に気を緩めてしまったのもあろう、俺はつい考え無しに思いついたことを口にしてしまう。
「明日も色々やることがあるんだし、さっさと寝ようぜ。そういえば結局鈴埜は――……あっ」
「……」
口を滑らせてしまったことに気付くも、時すでに遅し。
約束をした矢先からこれである。つくづく自分の短慮さが嫌になる。
恐る恐る視線を胸元のラピスに剥ければ、案の定こちらを責めるようなジト目の彼女と目が合った。
「い、いやラピス。今のはつい、その」
「はぁ~……。もうよいわ。まったくしょうがないお人じゃことよ」
烈火の如く怒りだすかと思いきや、意外にもラピスは溜息を一つついたのみで、俺を強く責めようという気はないらしかった。
ラピスは俺の胸の上から移動し、横にぴったりとくっつく形になる。
次いで顔をぐいと近付けたラピスから発される甘い芳香が俺の鼻腔をくすぐる。
「……これで貸しがまた一つ増えたの。大変じゃな、このままでは一生かかっても払い切れぬほどの負債を抱えることになるぞ?」
「そうとは思ってないんじゃなかったのかよ」
「気が変わった」
「なんだそりゃ」
「くふふ……女心と秋の空、というやつじゃ。言っておくが一銭も負けるつもりはないからの。それこそ死しても払い続けてもらうゆえ覚悟するのじゃな」
妙に語彙まで堪能になりやがって。
やはりこの死神との付き合いは相当長い期間に渡ってのものになりそうだ。
いやむしろ終わりなどあるのだろうか。
それならそれで構わないか――などと馬鹿なことを頭に思い浮かべつつ、俺は傍らの熱いくらいのぬくもりと共に眠りに落ちていった。