二人と共に
校門を出た俺をラピスが呼び止める。
「我が君よ。そっちは我等が家の方向じゃぞ。どこぞへ用があるのではなかったのか?」
「ああ、そうなんだけどな。もし遅くなるとミナが心配すんだろ。一回戻ってあいつに伝えてからだ」
そう遅くなるとは思っていないが、もしもということもある。
それにミナは今日が初めての留守番なのだ。少しは気を回してやらねば。
……ま、10年20年じゃきかないくらい一人でいたんだ、たった数時間くらい彼女にとってはなんでもないかもしれないが。
家に到着した俺は、玄関の扉を開ける。
てっきり出迎えに飛び出てくると予想していたが、そのようなことはなかった。
「おーいミナ―。帰ったぞー」
少し大きな声で彼女を呼ぶも、やはり出てくる様子はない。
「……おかしいな」
「どこぞの変質者に飴玉あたりで釣られていったのではないか?」
「縁起でもないこと言うな」
茶々を入れてくるラピスに苦言を呈しつつ、一階を隅々まで探すも彼女の姿はない。
俺の背に嫌な汗が流れ始める。
足早に階段を駆け上がり、自室の扉を開ける――と。
果たして彼女はそこにいた。
「すぅ……すぅ……」
ベッドの上で、朝と同じように背を丸めた姿勢で寝ているミナ。
「はあああ~……」
安堵から、俺は大きく息を吐き出す。
「なんと無礼な奴じゃ。仮にも己が主人と呼ぶものを出迎えもせず眠りこけておるとは」
ラピスはそう言って彼女に白眼視を向けるが、俺はそれに付き合わずミナの元へ歩み寄る。
と、近づいてよく見てみると、彼女は体の下に何かを敷いているようだった。
布団でもなく、それは――俺が朝方脱いだ衣服であった。
洗濯機の中に放り込んでいたはずなのに、何故ここにあるのか。
よくよく見れば、その中には下着までもある。
「ミナ。……おい、ミナ」
「ん……」
ぺちぺちと彼女の頬を叩きながら俺が言うと、ミナの双眸がゆっくりと開き始める。
「……――あっ!?」
最初こそまだ意識が覚醒し切っていないのか、眠そうな目で俺を見ていたミナだったが。
ようやく目の前の人物を俺だと認識したようである。
飛び起きたミナは、怒涛の勢いで謝罪を始めた。
「ごっ、ご主人っ!? えっ、あっ! ご、ごめんなさいなの! ミナ、ちょうど今寝ちゃったところで……!」
「いや別にそりゃいいんだが。それより何だ、その……お前の足元にあるもんは」
「え……えっと。……怒らない?」
ミナはバツが悪そうに俺を上目遣いで見る。
耳もぺたりと座ってしまっており、心から悔いているようだ。
「別に叱ろうってわけじゃない。なんでか聞きたいだけだ」
「あ……あのね。ミナ、最初は玄関のところでご主人の帰りを待ってたんだけど」
「玄関でってお前、俺が出て行った後からずっとか?」
「うん。……でも、そのうちにお腹がすいてきちゃって。お姉さまの作ってくれたご飯を食べたの。でも、お腹がいっぱいになったら……もしかしたらご主人、このまま帰ってこないんじゃないかって思い始めてきちゃって……」
彼女は俯きながら続ける。
「そう考え始めたらどんどん怖くなっちゃったの。だけど、ご主人の匂いがするものが近くにあったら少しは安心できて、それで……」
「そのまま寝ちまったってワケか」
「うん。……ごめんなさい」
頭を垂れる彼女を前に、俺は頬を掻きつつ言う。
「……ま、別にいいんだけどな。でもな、下着はやめろ下着は」
「でもでも、これが一番ご主人の匂いが強くて」
「やめろ言うな!」
俺は最後まで言わせず、彼女の前に片手を突き出し制止する。
そんな俺たちの元に、ラピスから声がかかった。
「ふん、なんとも情けない。たかだか数時間程度、なんだというのじゃ」
あからさまに見下した顔をしているラピスに対し、俺はやや呆れながら、
「ほほお? それをお前がよく言えたもんだな?」
小馬鹿にした感じで言う。
「置いていったら俺を殺すとかなんとか抜かして無理やり付いてきたのはどこのどなたでしたかねぇ?」
「わしはいいのじゃ」
別段悪びれもせず、ラピスは言ってのける。
こいつの面の厚さは一体どこから来ているのか。
「それでそれでご主人! 今日はもうずっとおうちに居るんだよね!」
「あーいや……実はまたこれから用事が」
「え……」
一瞬明るくなったミナの表情が瞬時に曇る。
「……そ、そうなんだ。わかったの。ミナはいい子で待ってるから、行ってきていいよ?」
「……」
俺に余計な気を回させまいとしているのか、ミナは平気な風を取り繕うが。
それが空元気であることは明白である。
なにより耳がまた座ってしまっており、それが言葉以上に彼女の落胆ぶりを物語っていた。
俺は暫く考え込むと。
「……はぁ。仕方ねえか。……ミナ、お前も一緒に来るか?」
「えっ!? い、いいのっ!? うん、行く行くっ!!」
そしてこの豹変ぶりである。
耳をせわしなく動かし、尻尾もまたわさわさと揺れさせている。
「でもな、もちろんそのままってワケにゃいかないぞ。狐の姿だと……飲食店だしまずいよな。しょうがねえ、ラピス。頼めるか?」
「こむすめの耳と尻尾を隠せばよいのか?」
「ああ。できるか?」
「ご主人ご主人。それなら別に頼まなくても、ミナできるよ」
俺の袖をくいくいと引きつつ、ミナは言う。
「へ? そうなのか?」
「驚いちゃったりしたらその拍子に出てきちゃうかもだけど」
「んー……。まあ、それならそれでいいか。ラピスの力だって安定した供給元があるわけじゃないしな」
「あのこむすめに期待、というところかの」
「あんまそれ頼りにはしたくねえもんだがな……」
とまあそんな塩梅で、俺はミナとラピスの二人を引き連れ、改めてルナへと向かうことになったのだった。