従属の証
尚も花琳は食い下がる様子を見せたが、肝心要のミナが俺の傍を離れない様子を見て諦めたのか、ようやく矛を収めた。
「……いいよ。兄貴の方が先に見つけたんだもん、そりゃ今は懐いてるよね。くそぉ、見てろよぉ……」
しかしここまで悔しさを態度に出されると、どうもこちらの方が悪いことをしているような錯覚に陥ってしまう。
俺は溜息をつきつつ、彼女を諭す。
「同じ家に住むんだから別にそう変わりゃしないだろ……」
「ふん、余裕ぶっちゃって……。ま、で話変えるけどさ、ウチで飼うなら色々準備もしないとね」
「準備?」
「エサとか――はどうなんだろ。ドッグフードってんじゃないし、狐用の餌とか売ってんのかな?」
「うーん……ペットショップじゃ見た覚えないな」
「だよねぇ。んじゃしょうがない、あたしが作るよ」
やはり花琳はミナを飼うことに対し、随分と乗り気な様子である。
自分からあれやこれやと提案を起こしていることからも、それは十分に察せられるところだ。
「それと観察札と……ワクチン接種もか。あっそれと首輪もだね。それはネコか犬用のでいけるでしょ」
「くっ、首輪? いやまあ、家で飼うんだしそれは要らないんじゃ……」
遠慮がちに言うと、彼女にギロリと睨まれる。
「……何言ってんだよ兄貴。家から出ちゃったとき、保健所に連れてかれて殺されちゃったらどうすんの? 首輪と観察札は絶対必要だっての。マロンだってそうだったろ」
「ん……んん……」
ミナの正体を知らぬ妹からすれば当然の主張ではある。
俺もそれ以上強くは否定できず、曖昧に呻ることしかできなかった。
「んじゃ兄貴、よろしく」
「は? よろしくって何をだよ」
「だーかーらー。首輪を買ってきてっつってんだよ。今言ったっしょ?」
「いやまあ、それは分かってるけど。……お前は? 付いてこないのか――って、おい」
花琳はまたもミナを俺から奪うと、
「あたし? あたしはこれからこいつを風呂に入れてやんなきゃだからさ」
そ知らぬ顔で言う。
「ほら見てよ。野良だったからだろうね、随分汚れてんじゃん。掃除すんのはあたしなんだから、このまんまじゃ家の中を歩かせらんないって」
「……」
どうもうまく誘導されている気がする。
しかしここで頑なになるのも変な話なので、俺は渋々ながら、妹の言う通りにすることにしたのだった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「……ま、大丈夫だろ」
ペットショップの中で、自分へ言い聞かせるように独り言ちる。
まさか妹の見ている前で姿を変えたりはしないはずだ。
……そう信じたい。
「いやいやあ、どうじゃろうなぁ~? しょせんは畜生のこと、何も考えず阿呆な真似をしでかすやも知れぬぞぉ?」
「……」
ようやく安心しかけたというに、それを邪魔するが如く横槍が入る。
そうした茶々を入れるのは、今は制服姿に着替えたラピスからだ。
「お前な、不吉なこと言うなよ。妹にバレたらどう言い訳しろってんだ」
「ふん、そもそも彼奴を連れ帰らねばかような手間をかける必要など無かったのじゃ」
「もうそれは言うなって」
「いーや、言い足らぬ」
ラピスは口を尖らせ、
「本来今日という日はわしと汝とで出かける日であったはずじゃというに。……これでは、今日という日を今か今かと待ちわびておったわしがまるで阿呆のようではないか」
最後は声のトーンを落としながら、そんなことを言う。
これには俺も彼女に対し引け目を感じざるを得ない。
「……まあ、それは確かに悪かったよ。だったら帰りにどっか寄っていくか?」
「ふん、そんな取ってつけたような形でなぞ御免じゃ」
言って、ぷいと顔を逸らすラピス。
「そう言うなって。この埋め合わせはいつか必ずするから。なあ、機嫌直してくれよ」
ふと気付くと、周囲からくすくすと笑い声が聞こえてきていた。
周りを見渡せば、どうも彼らは俺たちを見て笑っているようである。
……そりゃ面白いだろうな。
大の高校生が、小学生くらいの女子を相手にあたふたしてるのだから。
とんだ見世物もあったもんだ。
「……はあ。とにかく買うもん買ってさっさと帰るぞ。ええと、首輪だったな」
俺が言っても、ラピスはそっぽを向いたままである。
彼女の機嫌を直すのはとりあえず後回しにし、俺は壁に並ぶ商品を一瞥する。
「……人に戻った時に首が締まったりしないだろうな?」
変身したら窒息した、なんぞ冗談にもならないぞ。
まあそのあたりはミナに直接聞くこととしよう。
手間だが、もしそうでもその度に首輪を外せば済むことだしな。
「ま、ならなんでもいいか。適当な安いやつで――」
と、商品を手に取ろうとしたその時、服をちょいちょいと引っ張られる。
「……ん、どうした?」
見れば、ラピスは俺の服の端を掴んだまま、何をか言いたげな目で俺を見上げている。
今しがたはロクに返事もしなかったくせに、どういうつもりだろうか。
「……その首枷はあのこむすめに付けるつもりなのであろう?」
「ああ、そりゃそうだ」
なにを今さら。
透明化した状態ではあったが、俺と妹の会話はこいつも聴いていたはずだろうに。
「……」
一瞬の間をおいて。
「……わしにも」
「――へ?」
「わしにもじゃっ!」
最初は消え入るような声であったが、俺が聞き返した途端、ラピスは大声を張り上げる。
「え、どういう意味だ?」
「どういう意味も何もないわっ! わしを差し置いてあのこむすめに贈り物を授けるなど、断じて我慢ならぬっ! どうしてもと言うなら……わしが先じゃっ!」
何を言いだすのか。
「いやいやちょっと待てって。落ち着け。贈り物ってお前……首輪だぞ?」
「なおのこと許せぬわっ! 首輪が如き従属の証たるものを、こともあろうに畜生めに先を越されるなど!」
「……」
俺は言葉を失ってしまった。
仮に嫉妬するにしても、もうちょっとなんと言うか、こう……常識というものがあるだろうに。
首輪なんぞ、頼まれても欲しくないようなものを欲しがるとは。
しかしここで即座に突っぱねれば、益々彼女の機嫌は悪くなることだろう。
そこで俺は熟考する。
……まあ、別にどうしても欲しいというなら断る理由も無いのではあるが。
しかし仮にそうするなら一点、聞いておかねばらなぬことがある。
「一応聞いとくがな……お前、もしそうしたら学校にも着けてく気じゃないだろうな?」
「無論そうするに決まっておろう。わしが誰のものであるか、周囲の者にも見せ付けてやるのじゃ」
さも当然の如く、ラピスは言い切った。
俺は今日二度目となる溜息をつく。
「お前な……ならダメだ。プレゼントなら別に首輪なんかじゃなくて、もっといいもんをやっから。今のとこは我慢しろ」
「……ゃ」
「え?」
ラピスは顔を伏せると、消え入るような声を出す。
そして、一体何を言わんとしたか俺が聞き返そうとした途端。
「いーやーじゃーーーーっ!!!」
ラピスはバタンと音を立て、自分から仰向けに寝転がる。
そして両手両脚をバタつかせながら、まさしく駄々をこね始めた。
「なんじゃーっ!! あのこむすめばかりに気を使いおってぇ!! なのにわしにはあれもダメ、これもダメっ! 先に契約を交わしたはわしじゃというに、なんなんじゃもおおおおーっ!!」
「……」
俺はもはや呆れるどころか、絶句してしまう。
大の字に寝転がり駄々をこねるその姿は、もはや小学生ですらない、幼稚園児かと見間違わんばかりの見苦しさだ。
これが、この姿が、仮にも神と言われる者がする態度であろうか?
見るに堪えぬ醜態を晒す死神を前にして、俺はズキズキと痛みを覚えるこめかみを押さえつつ、ただ見下ろすばかりであった……。