安心はまだ早く……
最後におまけのように罵倒の言葉を付け加え、改めてラピスは怒りを発露させる。
どうもこのラピスの怒りには嫉妬の感情が多分に含まれているらしい。
先ほどの俺の行動が、それを更に煽ってしまったようだ。
それこそ軽いキス程度では、全く鎮火できぬほどに。
……ますます俺の中で、彼女に対する自責の念が深まる。
彼女にこれほどの不信感を与えてしまった責任は、生半可なことでは償えそうにない。
事ここに至りて、俺はさらなる覚悟を決めた。
「……分かった、ラピス」
誤魔化しのような口づけなどでは、とても信用を勝ち取ることはできない。
……当然だ。
俺にはまだ、先ほどの行為の際に恥ずかしさや後ろめたさ、そういった不純物が心の中にあった。
もっと純粋な心持ちなくして、どうして想いが伝えられよう?
「分かった……? ふん、何がわかったと言うのじゃ」
完全に機嫌を損ねているらしいラピスは、ジト目で俺を睨みつつ言う。
「言うておくがな、先ほどのようなその場逃れで――んんッ!?」
またしても言葉を最後まで言わせず、俺は再び彼女の唇を奪う。
「んっ……んむううぅっ!?」
今度は頭を振って逃れられぬよう、右腕で彼女の頭をがっちりとホールドしつつのもの。
「むーッ!!!」
しかしそれでも尚、ラピスは暴れ逃げようとする。
……しかし俺にはもはやこれしか手が残っていない。
流石に三回目のチャンスはもう無いだろう。
しかしこれ以上、果たしてどんな手段が残っているというのか。
考えるより先、俺の体は行動を起こした。
「――ん゛ん゛~~~ッ???」
と同時、ラピスの体がビクンと跳ねる。
俺の舌はほのかに甘い味を覚え、そして断続的な水音が、静かな閉鎖空間に響き始めた。
「んっ……ふあっ……んむぅっ……」
声の質までをも変化させたラピスは、もはや身じろぎ一つしない。
その代わり、時折ピクピクと身体を痙攣させていた。
もはや改めて説明するまでもあるまい。
――そう。俺は己が舌を、彼女の口内に侵入させたのである。
逃れた瞬間にも叫ぼうとしていたのだろう、ラピスの口が完全に閉じられていなかったことも幸いした。
それでも、だからといってそれで安心というわけではない。
仮にラピスが本気で拒否する気あらば、俺の舌はすぐさま噛みつかれていたであろう。
更には衝動的にこんな行為に及んでしまったものの、俺は自分の仕出かしたことに気付いた瞬間、情けなくも完全にフリーズしてしまったのだ。
――が。
「んっ……んむっ……」
俺の方は前述の通り、口内の舌さえも全く微動だにしていないのだが、尚も水音とラピスの声は続いていた。
それが何故かといえば、俺が動かずとも、彼女の方から激しく舌を動かしてきたがため。
返す返すも情けないことだが、今度は俺の方が完全にされる側に回ってしまう。
「っ……♡ んんっ♡」
姿勢も、それまでは俺がラピスを抱いていた形だったものが、今は全くの逆だ。
彼女は両足、そして両腕を俺の背に回し、ぴったりと身を張り付かせている。
舌全体に感じるなんとも言えぬ感触そして、纏わりつくような甘みにより、俺の脳内は大混乱に陥っていた。
完全に彼女にされるがままになって暫くして。
ラピスは更に大胆な行動に出る。
「んーっ♡♡」
なんと、今度は彼女の方から俺の口内へと舌を侵入させようとしてきたのだ。
これには茫然自失な状態であった俺もやっと平静を取り戻す。
「――ッ!!! ――ぷはあっ!?」
……いや、取り戻さざるを得なかった。
まさにこれが分岐路であったという気さえする。
これ以上ことが進めば、本当に取り返しのつかぬ事態に発展したやも知れない。
そして、互いの唇を繋いでいた細い液体がゆっくりと下に落ちた後。
「はーっ……♡ はーっ……♡♡」
再び目の前に現れたラピスの顔は、それまでのどの表情とも異なる。
蒸気が見えるほどに肌を火照らせたラピスの目は焦点が合っておらず、口はだらしなく開け放っている。
そればかりか、それまで絡み合わせていた舌までも口からまろび出させたその顔は、あまりにもだらしないものである。
「ああっ……なんでぇ……? なんでやめてしまうのじゃぁ……」
これまでの怒気を多分に含んだものから一変、彼女の声色は完全なる甘え声へと変貌してしまっている。
本当に同一人物かと錯覚してしまうほどの変貌ぶりである。
「りゅうじぃ……」
「――ッ」
再び顔を近付けさせてくるラピス。
そんな彼女に向け、俺は焦りつつ声をかける。
「――まっ、待てっ!」
「んん~っ……?」
冗談ではない。
いや、本当に冗談じゃないぞ。
この上さらにおかわりとくれば、俺の方が正気を保っていられるかどうか自身がない。
……それほどの悦楽が、先ほどの行為の中にはあった。
自分から始めておいてとんだヘタレ野郎だと言わざるを得ないが、そもそもの目的は別のところにある。
ラピスの様子が変化した今、試すならばここしかない。
「交換条件だっ!」
「……なんじゃぁ。はよう言え……」
「続きは必ずしてやるっ! だから俺がさっき言ったこと、叶えてくれっ!」
実に三度目となる、ミナの助命願い。
これでダメならばもはや手立てはない。
「んんぅ……? それはぁ……しかし……」
やはりラピスは渋る様子を見せたが、先ほどまでの有無を言わさぬ強硬な姿勢は影を潜めていた。
俺は、まさにここが押しどころとばかり、半ば脅迫めいた説得をする。
「もっ、もしダメなら続きは今後一切なしだぞ」
そして、この言葉の効力は絶大であった。
「えっ――……いやじゃっ! いやーっ! やだやだやだぁーーっ!」
「……」
これが本当に、何千、いや何万年も生きてきた神の姿だろうか。
首が取れそうなほどにぶんぶんと頭を振り回すその姿は、駄々をこねる子供と何ら変わりがない。
「な、なら――」
「ううう……わかった」
――やった!
ついにこの言葉を引き出した。
瞬間、俺の全身は安堵と疲労感による重みに襲われる。
……馬鹿、まだ安心するには早い。
安心するのはこの空間から無事に脱出してからだ。
――そういえば、ミナはどうしたろうか?
まだ意識を朦朧とさせているのだろうか。
「りゅうじ、りゅうじ。もうよいか? よいじゃろ? はよう、はよう続きを」
「ばっバカ、それはまた今度って……ん?」
とここで、俺の腰あたりをトントンと叩くものがある。
その正体を探るべく、俺は振り向――
「――うおっ!?」
反射的に、俺は頓狂な叫び声を上げてしまう。
実のところ、心当たりはあった。
俺たち以外にはあと一人しかいないのだからな。
振り向いた先には、予想通りと言うべきか、こちらを見上げるミナの顔があった。
ならばなぜ、俺が先ほどのような叫びを上げてしまったか。
それは、彼女の顔が目に入った一瞬、まるで別人のように映ったがため。
それが一体何ゆえのものか、俺がそのことに思いを馳せるより早く、眼下のミナは口を開いた。
「ごーしゅじんっ」
明るく声を出す彼女の顔は笑顔で――そう、どこか違和感を感じるほどに、この上もない笑顔であった。
「ちょっとね、ミナね、ご主人にお話があるのね?」