第二夜
体がだるい……。
十分な睡眠時間を得たはずなのに、俺の体はまるで、完徹した後のようにくたびれ果てていた。
そればかりか、目覚めたばかりだというのに、既に睡魔が襲ってくる始末である。
「はぁ……学校休みてえなあ……」
などと口に出してみるものの、両親がそれを許すはずがない。
仕方なしに俺は眠気を押して起床し、一階で朝食を済ませた後、自室に戻り学校に行く支度をする。
鞄の中身を確認した際、何か妙な気分になった。
――はて?
昨日、何か大事なものを中に入れていたような……?
というか、昨晩から今までの記憶がさっぱり抜け落ちている。
こんな若いうちから健忘症など勘弁してくれ。
釈然としない気分で家を出た俺は、その後休みなく襲い来る睡魔と闘いながら一日を過ごした。
部活ではついに耐え切れず机に突っ伏して寝てしまったが、何故かこの日は鈴埜から非難の声も無かった。
――そして、夜。
「おうおう、待ちくたびれたぞ、人間」
ベッドで寝ていた俺は、見覚えのある空間にて目覚めた。
そしてそのことに思いを巡らせる暇も与えられぬまま、耳に聞き覚えのある声が届く。
「えっ……あ、あっーーー!? おっ、お前!!」
眼前に位置する人物は、昨日と全く同じ姿勢のまま、俺に笑顔を向けている。
俺は驚きのあまり、頓狂な叫びを上げてしまった。
「なんじゃなんじゃ、大きな声を出しおって。そう驚くこともあるまい。約束したではないか」
「い、いや、そりゃそうかもしれないけどな……」
まさか二日連続で同じ夢――それも、きっちり続きからとは。
……続き?
「あっ! そ、そうだ! お前な! なんだ昨日のアレは!」
「はん? あれとは……?」
女は顎先に人差し指を乗せ、考え込む素振りを見せる。
「おお、もしや別れ際の挨拶のことかの? なにをそう興奮しておる?」
「何って、おま……」
「くっくっく……随分と初心なのじゃのう、汝は。可愛や、可愛や」
にやにやと笑いながら言う女は、完全におれをからかって楽しんでいる風だ。
俺は恥ずかしさに耐えきれなくなり、強引に話題を変えんとする。
「とっとにかく! こいつは一体どういうことなんだ? 一体何が目的だ」
「何と言われても、言葉通りの意味じゃよ。わしはただ汝と会話を楽しみたい、それだけじゃ」
「……」
俺の疑心に満ちた眼差しを感じ取ったのか、女はさらに言葉を続ける。
「――と言われても信じられぬかの。まあ、その気持ちも分からぬでもない。しかしな、数千年以上もずっと眠り続けておったんじゃ。それを貴様が妨げおった。ならば汝よ、汝にはわしに対する責務があるとは思わぬか?」
「……数千年?」
「いや、数万年かの? 正直言って、はっきりと把握してはおらぬ」
「その間、ずっとここに?」
「最初は違ったがの。しかしそれ以降はずっとここで過ごしておるよ」
……数万年だと?
この、氷の牢獄に――ずっと?
いくら架空の登場人物とはいえ、流石に酷過ぎる設定だろう。
しかもそれが他ならぬ、俺自身が作り出したものとあっては、幾許かの後ろめたさを感じざるを得ない。
……どうせ夢なのだ。心に思ったことをそのまま口に出そう。
「……おい」
「ん? どうした、神妙な顔付きをしおって」
「残った杭と、その鎌。それも抜いてやろうか?」
「……なに?」
「痛々しくて見ちゃいられないんだよ。そんなんじゃ落ち着いて話なんてできやしねえ」
俺の言葉を聞いた女は目を白黒させ、あからさまに驚いた様子を見せる。
まさかそんな提案をされるとは思ってもみなかった、とでも言いたげだ。
――かと思えば、やにわに顔を伏せると、小さな笑い声を上げる。
「くっくっく……やはり汝を選んだのは正解だったようじゃ。――いや、これは最後の最後に、運命とやらが用意してくれた、ささやかな贈り物なのじゃろうな」
「おい?」
何やら独り言を呟き始めた女を訝しんだ俺が声をかけると、女は顔を再び上げ、言った。
「杭についての提案は有難く受け入れよう。しかしな、鎌の方はよい」
「よいってお前……それが一番痛そうじゃないか」
「そりゃあ痛いとも。文字通り、身を引き裂かれるようじゃ。しかしの、汝ではこの鎌をどうこうするのは無理なのじゃよ」
「無理って、そんなのやってみないと分からな――」
「証拠を見せよう。汝よ、まずは残った杭を抜いてくれるか?」
言われるまま、とりあえず俺は、残った左手の杭を抜く。
やはり昨日と同じく、掌に空いた穴は数十秒もすれば元に戻った。
これならば別に、鎌の方も同じなのではないか?
「よし、それではまず、これを見てみるがよい」
両手が自由になった女はそう言うと、おもむろにローブをたくし上げ始めた。
膝までかかっているローブが捲れてゆくにつれ、まずは脚部分が目に入ってくる。
もっとも、それまでも膝から下は見えていたので、何かしら脚を覆うものを身に着けていることは伺い知れたのだが。
膝上までかかる長さの、いわゆるニーハイブーツとか、たしかそんな名前の靴である。
……しかし、そのブーツが見える部分が終わり、小麦色の地肌が姿を見せ始めたあたりで、俺は嫌な予感に囚われる。
「ちょーっと待った!!」
「うん? どうした?」
ローブの端を掴んだままの姿勢で、女はきょとんとした顔で言う。
俺は、頭に浮かんだ予想が外れていることを願いつつ、言った。
「一応聞くがな、お前……そのローブの下、何を着てるんだ?」
「何も着ておらぬよ?」
「やっぱりそうかよ!! そんなことだろうと思ってたよ!!」
天を仰いで叫ぶ俺を尻目に、女は行為の続きを始めようとする。
「……? ん、もうよいかの? では――」
「待て! いいから待て!! いい、分かった! 鎌はそのままにする!」
「しかし、汝よ――」
「いいっつってんだろ! いいからさっさと手を放せ!」
何故俺が激高しているかまるで分かっていない風で、女は釈然としない表情で手を下ろす。
――こんなのが俺が作り出したものだとは。
どんだけ欲求不満なんだ、俺。
自己嫌悪に陥りだした俺に、女から声がかかる。
「む、そろそろ頃合いじゃの。楽しい時間というのは過ぎるのが早いものじゃ」
「頃合いっ、て――」
「また明日、ということじゃ。……おっと、汝よ、あれを――」
またきた。
馬鹿め、二日連続で同じ手に引っかかるとでも思ってるのか。
俺は鼻で笑いながら、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ふっ、もうその手は食わねえよ」
「い、いや、しかしの――」
しつこいやつだ。
それならこっちにも考えがある。
俺は一歩退き、女の手が届かない場所まで移動する。
そうした後に、ゆっくりと後ろを振り向く。
そしてやはり、何も無かった。
「ほーれ、何があるってんだ?」
振り返ればきっと、悔しさに顔を歪めた女の顔があることだろう。
純情な男子高校生を弄んだ報いだ。
俺はゆっくりと、その様を確認すべく振り向――
予想していた顔はそこにはなかった。
何故ならば、女の顔はすべて、ローブによって隠されていたからだ。
顔の上までたくし上げられた、そのローブの下には当然――
――くかかっ、今日のわしの楽しみはその顔に決まりじゃな!
薄れゆく意識の中、女の愉悦に満ちた声だけが、高らかに響き渡っていた……