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仕置きの時間

「馬鹿なこと抜かすなっ! 俺はお前と――……その、そんなこと(・・・・・)した覚えはねえぞっ!!」


 純情な男子高校生である俺は行為の名をはっきりと口にすることに抵抗を感じ、多少濁した言い方になる。

 それに実際に言葉にしてしまえば、どうしても生々しい想像が大なり小なり俺の心中に発生してしまうことだろう。

 そうなれば猶のこと、俺は心の平衡を保つことができそうにない。


「おやおや、なんとも不義理なことを。いくら汝が否定しようとも、事実は事実。覆すことはできぬというに」


 動揺しきりな俺とは対照的に、ラピスは余裕たっぷりな態度を保ち続けている。

 その様子は、自分の嘘がバレるわけがない――というより、俺が事実を認めたがらないことを嘲笑っている様子だ。

 となれば、彼女には確信があるのだろう。

 しかし。

 いくら記憶の底を突っついてみても、当然のことながら俺に心当たりなどない。

 とするなら……俺の意識がない時?

 そこまで思い至ったところで、俺は瞬発的に声を出す。


「お前まさかっ! 俺が寝てるときとかにこっそり――」

「阿呆」

「あだっ」


 ラピスの手刀がこめかみの中心にヒットし、俺はくぐもった声を上げる。


「仮にも神たる存在であるわしが、かくの如き下衆な真似を仕出かすと思うてか?」


 ……やらないとも限らないだろう、とはもちろん口に出さない。

 これ以上、僅かでも彼女の機嫌を損ねる事態だけは避けねばならない。


「……なら、一体いつの話をしてるんだ。言っとくがマジで俺には身に覚えがないからな」

「この期に及んでまだしらを切るとは、まったく呆れ果てるの。ならば思い出させてやろう。ほれ、我等が初めて出会った際のことを思い出してみるがよい」

「……最初? それって、お前がまだ元の姿だった時のことか?」

「んむ。そなたが幽閉されておるわしを発見した日のことじゃよ」

「……?」


 妙なことを言う。

 それこそ思い当たる節などあろうはずがない。

 しかしラピスがあまりに自信たっぷりなので、俺は一応あの時のことを詳細に思い出してみることにする。


「……確か、あの時俺はお前を見つけて――そう、お前から話しかけられたんだったな」

「そうであったな。いきなり角を掴みおってからに。あれほどの無礼をなされるとは思いもせなんだわ」

「お前がアホなこと言い出すからだろ。……で、その後俺はお前と約束をしてから……そうだ、杭を抜いてやったんだったな。それで――」


 ……。

 終わりである。

 初日はただ約束を交わしたのみで、続きは次の日に持ち越しになったはずだ。

 やはり思い返してみても、ラピスの言うようないかがわしい行為をした記憶などない。

 ……というか、改めて考えなくとも当然の話である。

 今まで異性と付き合ったこともない俺が初対面の女に対し、そんな大それた行為に及べるはずもない。


「……やっぱ無いじゃねえか。お前、一体どうしちまったんだ? 頭のネジが何本か外れちまったんじゃないのか」

「愚か者っ!」

「あいだっ!?」


 先ほどと寸分違わぬ位置に、再度ラピスの手刀が叩き込まれる。

 今度は割合本気のものであったようで、結構な衝撃を伴うものだった。

 俺の目に映る表情もまた、幾分か不機嫌なものへと様変わりしている。

「ここまで言ってやってもまだ分からないのか」とでも言いたげだ。

 しかしそうはいっても、やはり心当たりがないのだ。

 俺はラピスの真意が分からず、ただ困惑するばかり。


「はぁ~っ……。なるほどの。合点がいったわ」


 そんな困惑した俺の様子を受け、ラピスは深い溜息を吐き出す。


「よくよく考えてみればそなたはまだ人としても若輩も若輩。如何にして子ができるのか、そこから話してやらねばならぬのか」

「はぁ?」


 やれやれ仕方がないとばかり、ラピスは首を振りつつ言う。

 明らかにこちらを小馬鹿にしているというか、下に見ている態度である。

 これには俺としても若干腹が立たないこともなかった。

 流石にそんなことくらい知っている。

 知っているからこそ、身に覚えがないと言い続けているのだ。


 と同時に、この時から俺にはある予感が湧いてきつつあった。

 がしかし、それはあまりといえばあまりな推察であり、数万年の時を生きてきた神に対する思いとしては、それこそ不敬極まりない疑惑であったからだ。


「……しかし、そう思ってみると妙な興奮を覚えてしまうのう。無垢な童であったそなたを、そうとは知らぬまま汚したという事実は……なんとも背徳的というかなんというか……ふ、ふふ、ふふふふふ……」

「おいコラ、何を自分の世界に没入してやがる。いいから話してみろ」


 不気味な笑い声を上げつつ悦に至るラピス。

 その様があまりに見るに堪えないものであったたため、俺は即座に突っ込みを入れる。


「ふふふ……よかろう。では言ってやろう。あの日、わしらが分かれる際のことを思い出せ。よぉ~く思い出すのじゃ」

「別れ際……? ――ああ、お前が俺をからかうためにやった、アレか」


 そう。

 あの日、こいつは俺をからかうためだけに――別れ際、俺の唇を奪ったのだ。

 思い返すと今さらながら気恥ずかしさが襲ってくるが、そんな羞恥の感情に俺が支配されるより先、ラピスはそのことに言及する。

 そしてそれは、俺の疑惑を更に後押しするものだった。


「ほれ、やはり覚えておるではないか。それともこれ以上は誤魔化せぬと観念したのか? いずれにせよ、これでもはや言い訳もできまい。既に我等はことを成しておる。となればこれより先に何度行為を重ねようと、そう変わりはせぬじゃろう?」

「……なあ」

「うん?」

「俺をからかってんじゃないよな?」

「どういう意味じゃ」

「……」


 疑惑が確信に変わる。

 だがしかし、それでもまだ信じ難い俺は、一応最終確認をすることにする。


「……ひとつ聞いていいか」

「なにかの」

「お前、どこでその――そういう(・・・・)知識を得たんだ」

「なに、わしは時間だけは無限にあったからの。暇さえあれば下界の人間どもの様子を覗き見ておったものじゃ。その見てきた経験によればの、人間の男女というものは口と口を互いに接合させることにより子を成すことができるらしい。何度も確認済みじゃ。行為の後、ちょうど一年弱といった周期とも決まっておるようじゃ」


 ――こいつ、マジか?

 どうしたら子供が作れるのかくらい今日び中学生――いや、小学生だって知ってるぞ。

 呆然とする俺を尻目に、ラピスはうきうきとした様子で間違いだらけの講釈を垂れ流し続ける。


「よう考えてみれば、わしも大胆なことをしたものじゃて。今から思い返してみると、あの時から既にわしは汝との運命の糸を感じておったのやも知れぬの。とはいえあの場においてはまだわしは神性を保っておったゆえな、残念ながら仕込み(・・・)は失敗に終わったようじゃ。今の今までそれらしい兆候も無いしの」

「……」


 俺はもう、何をか言う気すら失せてしまう。

 世間知らずとかなんだとか、もはやそういうレベルを超えてるぞ。

 俺はもう何もかもが嫌になりつつあったが、脱力しながらもラピスに問うた。


「……あのなぁお前……人間たちのそういう場面を見てきたって言ってたけどよ。その後そいつらは何かしてなかったか?その……なんて言うか、服をその、脱いだり……」

「ふむ? 存外よく知っておるではないか。これが耳年増というやつか?」


 どっちがだ。

 俺は心の中でそう吐き捨てる。


「確かにそなたの言う通り、何かしら行為の続きに及ぶ所作を見せてはおったがの。わしはそれ以降見るのを止めてしもうておったでな」

「なんでだよ?」

「……なんというか、そ奴らを見ているとやたらに胸がムカムカしてきての。あまりにも腹立たしいので毎回そこで覗き見を打ち切ってしもうておったのじゃ。何故だかは分からぬが、自分がとてもみじめなものに思えてきてしまっての……」


 なるほど、つまりはひがみ(・・・)か。

 幸せそうに愛し合う男女の姿と、一人それを覗き見る自分。

 ふと冷静に両者の姿を客観視した時、そのあまりの境遇の違いに心が耐えられなくなったのだろう。

 ……モテなすぎてこじらせた(・・・・・)男と思考回路が同じだな。


 これまでの話を整理し考えてみると、ラピスがああまでしつこく迫ってきた理由も今ならば分かる。

 唇ではなく額へのキスで露骨に不機嫌になっていた、その理由も。


「なるほど、な……」


 この死神が想像以上に物知らずで、かつ豆腐メンタルなのはさておき、この勘違いは俺がこの場で持てる唯一といっていい利点だ。

 ことの真相を俺が明らかにしなければ、とりあえず貞操だけは守り通すことができそうである。


 ……いや、待て。

 確かにその点ではいいかもしれないが、そうなるとまた別の問題がある。

 どうやらラピスは俺との間に子供を成し、その既成事実をもってして今後俺が浮気をしないように縛るつもりのようだ。

 しかし、当たり前のことだがこのままでは一年どころか百年経ってもそんな事態にはなりはしない。


 そうなるとどうなる?

 本当に――このまま永遠の時を、死ぬまでここに幽閉されたままになるのでは?

 正直に話せば貞操を奪われ、かといって隠したままでは永遠に監禁されたまま。

 まさしく行くも地獄、行かぬも地獄の袋小路である。


「――おっとそうじゃ。その前に片付けねばならぬ仕事が残っておった」


 俺がそうした思考の袋小路に悩まされている中、不意にラピスは声を上げると、俺の膝からぴょいと飛び降りる。


「リュウジ、ちとわしは出かけてくるでな。大人しく待っておるのじゃぞ」

「へ? 出かけるってお前、どこに?」

「決まっておる。あのこむすめを成敗しに、じゃよ」

「なっ!?」


 ちょっとそこまで――。

 そんな軽いノリで、とんでもないことをラピスは言い放つ。

 ラピスの言う成敗とは、ちょっと痛い目に合わせるだとか、そんな軽い意味ではないだろう。

 そのことを察した俺は、慌ててラピスを止める。


「ちょちょ、ちょっと待て! ど、どうして――」

「どうしてとはまた妙なことを言うのじゃな。そなたも随分と困らされたことであろうに。一刻も早くわしと会いたいと思うておったというに、あれなる女狐に無理矢理引き止められておったのじゃろ? そなたも内心、怒り心頭であったことじゃろうよ。……無論、このわしもじゃ。彼奴(きゃつ)にはその報いを受けてもらわねばならぬ」

「いや、ミナはそんな子じゃな――もがっ!?」


 瞬間、ラピスは再度俺の膝の上に飛び乗ると、そのまま右掌を俺の口元に覆い被せる。

 次いで出された彼女の声はとてつもなく重いもので、据わったその目からは、再び先ほどまでの圧力が舞い戻ってきていた。


「……ほっほ~う。かくの如き卑しき匹夫の名を、汝はしっかりと覚えておるのじゃなあ? そういえば、そなたらをこっそり覗き見ておった際にも思うたが、やけに仲睦まじき様子を見せてくれておったな。わしには普段つっけんどんな態度を取るくせにのう? そなたのあの態度、あれはあの女めに強要されしゆえのものかと思うておったが……まさかとは思うが、リュウジよ? そなた、あの女狐に多少なりとも気を惹かれておったわけではあるまいな?」

「――……!!」


 口を覆われ、何をも口に出すことのできない俺は、彼女の問いに対し必死で首を振ることしかできない。


「そうであれば話は変わってくるのう。せいぜい寿命の八割方を奪って、それなるをもって仕置きとせんと思うておったがの、気が変わった。後腐れの無きよう、完全に息の根を止めてくれるわ」

「――ぶはっ!! ……ちっ、違う! お前の思ってるようなことは何もない! だからそれだけは止めてやってくれ!」


 一瞬拘束が緩んだその隙を逃さず、顔を捩ってようやく掌の束縛から逃れた俺は、殆ど悲鳴めいた叫び声を上げる。

 ラピスは本気だ。

 本気で、ミナを殺そうとしている。


「まったく、そなたはどこまで甘いのやら。しかしそんな男であればこそ、わしはこうまで参ってしもうておるのやもしれぬ。……安心せい。そなたが案じる必要はない。これより先はわしが共におる……そう、全てこのわしに任せればよいのじゃ」

「いやだからっ……! ――うっ……?」


 ……どうしてこんな時に!?

 俺は突如として感じた、とある体の変調に身体を硬直させる。

 そんな俺の様子にはラピスも気付いたようで、やや心配げな声をかけてきた。


「ん? どうしたリュウジ。顔が青いぞ?」

「……ラピス。この話の続きは後にしてもらっていいか。一度この拘束を解いてくれ」

「んんん? 何故じゃ?」

「……」


 この緊迫した状況にあっては、あまりに間の抜けた事態である。

 がしかし、そうはいっても俺も生物である以上、これは避けては通れぬ生理現象だ。

 先延ばしにしても結局は同じこと。

 よって俺は、渋々ながらも正直に答える。


「……トイレだ」


 一瞬、ラピスは俺の言葉の意味を解さぬかの如く、目をぱちくりとさせていたが。

 何度かそうして瞬きをした後、どういうわけか彼女は先ほどとは打って変わって笑顔になる。


「ん……おお、そうかそうか。そういうことであったか。くっふふ……なるほど、なるほど。よかろう、話の続きは後じゃ」

「……分かってくれて嬉しいよ。それじゃ早く――っておい、何してんだ?」

「仕方ない、なるほどそれは仕方ない……よしよし、それでは準備をしてやらねばの……」


 俺の腰付近あたりから、ガチャガチャという金属音がする。

 その正体は、ラピスが俺のベルト、そのバックル部分を弄っている音であった。


「何してんだって聞いてんだっ! ――ちょ、こら! 何でお前がベルトを脱がす!?」

「これ、暴れるな。そなたが用を足したいと言い出したのであろうが」

「それと今のお前の行動に何の関係があるってんだ!?」

「鈍い男じゃのう……わし自ら、その世話を焼いてやろうというのじゃ」

「だから――……は、はあっ!?」

「わしも反省しての。そなたが他の女に目を奪われるのは、わしに対する依存が未だ足りぬゆえと気付いたのよ。……なぁに、時間はたっぷりとある。これからゆっくりと時間をかけて、わし無しではもはや生きてはおれぬ――そう思わせるまでじっくりと躾てやるからの?」


 躾って――……いや、それより『世話を焼く』だと?

 ……こいつ、まさか!?


「――ば、バカ野郎っ! 冗談はよせって! 汚いだろうが!」

「なにが汚いことなどあるものか。なに、恥ずかしがることなどない。我等は二人で一つなのじゃ、己が分身の分泌物を、誰が汚れておるなどと見做すものか。それにの、わしは汝のものであれば、それがどんなものでも受け入れる覚悟は出来ておるぞ? ……じゃからな――ほれ、観念せい!」


 留め具を外し終えたラピスは勢いよくベルトを引き抜き放り投げると、今度はジッパー部分に手をかける。


「ちょっ、ま、待て、待ってくれ! た、頼む! それだけはやめろ! お願いやめてえええ!!」


 今度ばかりは本気の絶叫である。

 助けなど望むべくもないことは分かりつつも、それでも叫ばずにはいられない。


 そんな半狂乱状態、加えて自分の叫び声に覆い隠され、俺はこの時はまだ気付くことはなかった。

 何処からか――そう。歌のようなものが聞こえてきていることに……

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