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闇、あるいは病みの追撃

 まずい。


 まずいぞ。


 今までの比でなくまずい。


 なにより身動きが取れない状態だということがヤバい。

 ラピスの頬の赤みは益々発色を増し、腰をもじもじと小刻みに揺らせている。

 瞳孔はもはや完全にハート形に変貌しており、明らかに尋常の状態ではない。


「リュウジよ。なにゆえ黙っておる? わしの質問に答えてくれ。この身体の昂ぶりの正体を教えてほしい……」

「待て、落ち着け! とりあえず股を擦り付けるのを止めろっ!」


 俺の言葉は、ほとんど悲鳴に近いものになってしまった。

 とにかくラピスを一度落ち着かせないと話にならない。

 こうなると、周囲に人の気配がないことはある意味幸いだ。

 実際のところはともかく、こんなところを誰かに見られでもしたら、その瞬間に人生終了である。

 ……いや、そうでなくともこのままだと男として大事なものを無くすことになりそうだ。


「むぅ~……」


 俺の必死の懇願が一応の効果を奏したのか、ラピスは不満げな顔付きをしつつも一旦体の動きを止める。

 この機を逃してはならない。まずは話を逸らすことだ。

 と言うより今は何よりもまず、先ほどのラピスの台詞に言及せずにはいられない。


「ラピスお前……この前のオムライス。それにあのチョコもか。一体何を入れた?」

「なに、毒など入れておりはせんよ。安心するがよい」

「何を入れたんだっ!? ――はっ。そうだ、あの時の指――自分で切ったんだな。入れたのは血か!?」


 ラピスの返答は、何故か暫しの間をおいてのものだった。


「ん……うむ。そうとも。入れたのはわしの血と――……あいや、それだけじゃよ」

「おいお前っ! 何か他に言おうとしただろ!? 何だ、何を入れやがったんだっ!」

「まあまあよいではないか、そんな細かいことはどうでも」

「くっ……」


 一体他に何を入れて俺に食わせたのか。

 様々な想像が沸き立ってくるが、あまりこのことを深く突っ込むと俺の精神が爆発してしまいそうな気がする。

 むしろ詳細を言われなかったことは俺にとり幸いなことであったのかもしれない……。


「それに、そのことにはむしろ感謝してほしいくらいなのじゃがな」

「どういう意味だ?」

「わしの一部を取り込んだことにより、汝の身に何か異常が起こりし際は僅かながらわしにも伝わるでの。察するにリュウジ、あの女狐めから何ぞ体に入れられたのであろう? 不快な匂いを体にこびりつかせてきおってからに。もっとも、そのおかげでわしも確信が持てたのじゃがな。あのこむすめも愚かしい真似をしてくれたものじゃ」

「……は? そんなこと――」


 いや、待て。

『体内に入れた』というラピスの言葉により、俺にはあることを思い出す。

 ……まさか、あの米のことか?

 しかし、結局あの後、俺の体調には何ら変調は起きなかった。

 第一俺をどうこうしようというのならば、そんな回りくどい方法を使う理由がない。

 それに今日のこともある。ミナがただの人間であり、俺に危害を加えようなどという気がないことは明らかだ。


 だが、今のラピスにそんな道理は通用しそうにない。

 それに彼女の台詞を鑑みるに、どうやら昨日の晩あたりから当たり(・・・)を付けられていたようだ。

 彼女のことも完全にバレている。

 もはや事ここに至っては、素直に謝意を伝えるほかない。

 俺は覚悟を決めた。


「……その、悪かった」

「ん? 何がじゃ?」

「お前、姿を消して付いてきてたんだろ、今日」

「……」


 沈黙を肯定と受け取った俺は、そのまま話を続ける。


「それであの子と俺が仲良さげにしてるのを見たから、俺に怒ってこんなことをしてるんだろ?」

「いいや。それは少し違うの」

「え?」

「先ほども言うたが、これはあくまでそなたを守るためのものよ。……それに、考えてみればわしにも落ち度はあった」

「何言ってる。お前に何の咎があるっていうんだ」

「そなたほどの男、わしでなくとも他の雑多な女子(おなご)どもが放っておくはずがない。なに、分かっておるよ。あのこむすめに無理に言い寄られ、仕方なく付き合うてやっておったのであろう?」


 ラピスの言葉には、間違いないという断定の色が浮かんでいる。

 無論実際のところはそんなことはないのだが、恐らくどんな言葉も今の彼女には伝わらないだろう。

 それほど、今のラピスの様子は有無を言わさぬ迫力に満ちていたのである。


「そなたは誰にでも優しい。それは美徳でもあるが、同時に短所でもある。もちろんわしがそうであるように、そなたもわしのことを第一に思うておることであろう。しかしの、そうと分かっておっても不安なのじゃ。わしは以前に言うたよの? 汝に必要以上に近付く女がもしおれば、わしはその女をどうするか分からぬとな」


 言って、ラピスはにやりと笑う。

 鋭い犬歯をちらりと見せながらのその台詞は、幼女とは思えない恐ろしさを演出していた。


「――じゃが、そんな心配はもはや無用。この空間はの、わしの力で急遽作り上げた密閉次元となっておる。他の何人たりとも侵入することはできぬ」

「別次元ってお前……これからどうする気なんだよ、そんなとこで」

「決まっておる」


 ラピスは宣言する。

 俺をこの場に連れてきた、その理由を。


「そなたはこの先、ここで永劫の時を過ごすのじゃよ」

「なっ!? ば、バカっ! 冗談だろおい!」

「何をそんなに慌てておる? ……あああるほど、心配せずともよい。無論このわしと共に、じゃ。安心するがよいぞ?」


 何をどう安心しろというのか。

 無駄に終わる予感をひしひしと感じつつも、こうなれば必死で彼女に慈悲を乞うほかない。


「反省してる! 本当に反省してるから! もう二度とお前に隠れてあんなことはしないと誓う! だからちょっと一度落ち着こう、な!」


 ほとんど浮気がバレたダメ男の言い訳になってしまったが――いや、この状況はまさにその通りなのかもしれない。


「わしは落ち着いておるよ? むしろこの上なく心穏やかじゃ。これからのことを思うと胸が高鳴ってたまらぬよ」

「だ、大体だな! 俺には家族がいるんだ。いきなり居なくなったらどんなに心配するか……」

「ふぅむ……確かに、そなたの血筋の者をおざなりにするのは多少心が痛まぬでもないの」

「だ、だろ? だから――」

「そうじゃの……うむ。ではこうしよう。人というのは大体……一年ほどであったかの? その頃になれば一度わしと共に元の次元へと戻ることとしようではないか」


 譲歩を引き出したのは喜ぶべきことだが、その安堵も一瞬のこと。

 俺は再び嫌な予感に囚われることとなる。

 ……なぜ、期限付きなのか。

 それにすぐさま口に出したあたり、どうもラピスの中では事前に予定していたことのように思える。


「……どうして一年なんだ?」

「神とはいえ、今やわしは半分人の身じゃ。そう大して違いは無いであろうからの。そなたの家族も喜ぶことじゃろうて。世継ぎが生まれることはこの上ない朗報であろう。ましてやそれが神とのものであれば猶更じゃ」

「ちょ、おい! お前、まさか!?」


 ラピスが言わんとしていること、その凡そを理解した俺は声を上げる。

 そして、俺はあの帰り道での彼女の台詞を思い出す。


『汝の子を、共に――』


 ラピスは可愛らしく頭を斜めに傾けつつ、満面の笑みで次の台詞を口にしたが。

 俺の目にはその姿は、獲物を前にして舌なめずりする獣としか映らなかった。


「あの時の約定、これから果たしてもらおうではないか? 実際はわしが元の姿に戻った際に、というものであったがの」

「そ、そうだろ? 神様が約束を破るのか?」

「……しかしな?」


 ラピスはさらに顔をぐいと近付け、言った。


「先にわしを裏切り、他の女にうつつ(・・・)を抜かしておったのは誰であったかのう?」

「……うぐっ!」


 これまでの口ぶりから、ラピスの怒りはミナにばかり向かっていると思われたが。

 ……やはり、俺に対しても怒ってはいるようだ。

 どう言い訳をしようとも、彼女に隠し事をしていたという事実を覆すことはできない。

 こんなことになるのならば昨日思い立った時点で即座に全てをつまびらかに話し、平身低頭謝るべきだった。

 俺が後悔の念に苛まれている中、ラピスはさらに驚愕の事実を告げる。


「それに、今さらであろう? 仕込む回数は多いに越したことがないというだけの話よ」

「――は?」

「忘れたのか? 我等はすでに一度交わっておるではないか」


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