迂闊な約定おかわり
「も、もう一回だ!」
「んふふ~、いいよー」
屋内に戻り暫くして。
あと少しという約束であったが、もう既に30分程の時間が経過していた。
それを言ったのは他ならぬ俺自身であったのだが、当の本人がいつまでも時間を引き延ばすという訳の分からないことになっている。
というのも。
「よし……勝負! 猪鹿蝶だ!」
「ざんねん! ミナは四光だよ!」
「くっそおお!」
一戦が早く終わるということ、それに今まであまり経験した覚えがないゲームということで、最後に花札を少しやって終わることにしたのだが。
ミナはこのゲームにおいても強者ぶりを発揮し、今のを含め俺は全戦全敗を喫していた。
単なる運のゲームのはずだ。一回くらい勝ててもよさそうなもんじゃないのか?
俺は連敗の悔しさから再戦を挑み続けている。
とはいえ、いい加減に時間が限界だ。腕時計の針はもう18時を指そうとしていた。
しかし諦めきれない俺は、往生際悪く最後の勝負を乞う。
「ミナ、さ、最後にもう一回……!」
「うん! ミナは何回でもいいよ!」
「いや、流石にもう時間的にな……ミナもあんまり遅いと親御さんに心配されるだろ」
熱くなってはいるが、そこに気が回らないほどではない。
そうした俺の言葉に、ミナは一瞬寂しげな表情を見せた。
「……そうだね。それじゃあおにいさん。最後だし、何か賭けない?」
「ほお?」
「勝った方が相手に何か命令できるっていうのはどう?」
「……」
俺はしばし、顎に手を置き思案する。
……ミナのこの提案は、これまでの攻勢を踏まえてのものだろう。
今のツキの流れならば負けない――そうした思惑が透けて見える。
意外にしたたかなやつだ。
普通に考えれば、ここは受け入れぬべき。負け続けの流れの今、俺の分は悪い。
……がしかし、そろそろ運の反転が来てもいい頃だ。
それに何かを賭けるという変化をさせることで、彼女の心中に動揺が生まれるかもしれない。
それに付け込めれば勝ちの目もある!
「よし……乗った!」
年長者がこのまま無様に負けっぱなしで終われるか!
………
……
…
――そして、結果。
「ごめんねおにいさん。五光なの」
「んなのありかよぉ!?」
ある意味予想通りと言うべきか。ここにきて俺は完膚なきまでの敗北を喫する。
ちなみに俺の手札はといえば、未だ何の役も成立していないという惨状であった。
……賭け事は二度とすまい、そう俺は心に決める。
「はぁ……参りました。完敗です」
「また今度だねおにいさん! 次はきっと勝てるよ!」
「いや……もうギャンブルはするなって神様のお告げだな、これは」
「んーん、そんなことないよ」
「慰めてくれなくていいって。で、賭けに勝ったんだ。命令しな」
これほど軽く賭けに乗ったのも、しょせん小さな子との約束、大したことは命令されぬと読んだゆえのこと。
もしこれが――そう、もしこの提案が、仮にあの死神が言ったものであったならば、俺はこうまでホイホイと受けなかっただろう。
そうした打算的な思考の上での勝負、俺は大して緊張もせずミナの命令を待っていた。
「はいなの! それじゃ……」
ミナは一度立ち上がり、そして俺のすぐ前に移動する。
そうした後にくるりと回り俺に背中を見せたミナは、そのまま胡坐をかいた姿勢の俺の元へと腰を下ろした。
自然、俺は彼女を抱きかかえるような形になる。
「んふふふ~」
ミナは背中を俺にぴったりとくっ付け、満足げな声を上げている。
「なんだミナ、命令はどうした?」
「これからだよおにいさん。――じゃ、命令ね……おにいさん、ミナの頭を撫でてほしいの」
「ん? そんなんでいいのか? 別に遠慮しなくていいんだぞ、賭けに勝ったんだから好きな菓子でもなんでも」
「んーん。こっちのほうがいいの」
「そうか……?」
若干拍子抜けだが、それくらいお安い御用とばかり、俺は胸元に位置するミナの頭を撫でる。
そのふわふわとした髪の質感は絹糸のようで、彼女の着る擦り切れた衣服を思えば些か意外にも思える。
彼女の服は何か思い入れがあってわざと、というセンもあり得るのやもしれない。
と、暫く気持ちよさそうにされるがままになっていたミナだが、不意に撫でられている頭を後方――すなわち俺の胸へ密着させると、そのままぐりぐりと擦り付け始めた。
「おいおい撫でにくいぞ。なんだどうした」
「ん~……においつけ」
「は?」
「おにいさんにね、ミナの匂いを付けてるの」
まるで犬のようなことを言い始めるミナ。
そう思ってみれば、彼女の雰囲気はどこか動物めいたものがある。
しかし随分と懐かれたものだ。俺はあまり子供に好かれる方ではないのだが。
別に悪い気はしない。こんないい子にならば、俺のできる範囲で色々と応援してやろうという気にすらなる。
とはいえ先ほども言ったが、そろそろいい時間である。
「よしミナ、もう夕方だ。そろそろ帰らないとな」
「ん~……もうなの? もうちょっと……」
頭頂部を俺の胸に付けたまま、ミナは顔を上向かせる。
その目は、明らかに後ろ髪引かれる感情を見せていた。
そんな甘えたような、愛くるしい表情を見ると俺もつい前言を撤回しそうになるが、ここは心を鬼にする。
「だーめだ。また今度だ、また今度」
「ん……わかったの、おにいさん。それじゃ、また、今度……ね」
……どうも既視感がある。
短時間だけの逢瀬、別れる際に見せる相手の表情、それに最後の言葉。
これらは全て、あいつの時と同じ――
「どうしたのおにいさん?」
ぼうっとしている俺に対し、ミナが声をかけてくる。
「いいやなんでもない。んじゃまた途中まで送るよ。麓まででいいんだよな」
「うん――あっ! そうだ、おにいさん!」
「どうした?」
「これっ! 手出して!」
そう言って、ミナは袂から何かを取り出すと、言われるままにする俺の掌に何かを乗せる。
見れば、それは三粒の種籾であった。
これには見覚えがある。以前彼女に貰った御守りの中に入っていたものだ。
「ん、これがどうしたんだ?」
「おにいさんにはこれをね、これから一日ひとつぶずつ飲んでほしいのね!」
「……は?」
俺はつい呆気に取られたような声を出してしまう。
あまりといえばあまりに奇妙な願い事である。
「どうしてか聞いてもいいか?」
「おまじないなのね! ――えっと、この前渡した御守り、覚えてる?」
「おう、覚えてるけど」
「そうしたらそこの神様のご加護が受けられるって――えっとその、あの、えっと……そう! おかあさんが言ってたのね!」
……どうにも怪しい。
後半は明らかに今思いついたと言わんばかりの慌てようだった。
しかし――まあ、なんにせよ。
「今さらそんなの――って感じだよなぁ」
わけのわからん呪いをかけられたと思えば、異世界で死神と知り合いになり、それから今日まで死ぬか生きるかという目にまで逢ってきたのだ。
今さら子供のおまじないなど、ものの数ではなかろう。
それになにより、ここで彼女の願いを無下に突っぱねると、その瞬間にも泣き出しそうな雰囲気をミナは漂わせている。
「いいぜ。一日一粒だな?」
――何故であろうか?
俺は、またも自分が取り返しのつかない失敗をした――そんな予感を感じたのは。
それは恐らく、俺の返事を聞いた眼前の少女――彼女が垣間見せた表情を目にしてのこと。
「……ふふ。ありがとう、おにいさん」
薄く笑ったその表情は少女とは思えぬほどに妖艶で、かつ言い知れぬ不気味さをも携えていた。
が、その表情は一瞬で元の無垢な少女のそれへと戻り、そう見えたのは単なる俺の気のせいか、または薄暗い室内のせいだろうと思い直す。
――そして。
ミナを麓まで送り、そのまま俺は帰宅の途についている。
もう花琳は家に戻っているだろうか。
それにラピスは――流石にもう部屋に帰っているだろう。そういえば、明日はどこかに連れて行くと約束したのだったか。
そんな、とりとめのないことを考えながらの道すがら、俺は例の約束事を思い出す。
「妙なおまじないもあったもんだ」
俺はポケットから先ほどミナから貰った種籾を取り出すと、しげしげとそれを眺める。
別に何の変哲もない、単なる種籾である。
若干の不気味さを感じなくはない。それこそ俺が約束を守ったかどうかなど、彼女には知る由もないだろう。
このままどこかに捨てて、ミナには飲んだよと嘘をついてもいいのだが――。
「……流石に、それはな」
それは俺の良心が耐えられそうもない。
なに、しょせん単なる米粒ひとつ。意識しなければ別段どうということもない。
俺は一つの種籾を摘まみあげると口の中に放り込み、一息で飲み込んだ。
「……」
別にどうということもない。
当たり前といえば当たり前のこと、ここ最近の何やかんやが異常であっただけだ。
そんな何度も、俺の身の回りでばかりおかしなことが起こってたまるか。
「ま、子供の遊びなんてそんなもんだよな。ワケわからんことが面白かったり――」
安心し、そう独り言ちる途中のことであった。
「ぐっ……!?」
俺は胸のあたりを押さえ、体勢を崩しつつ民家の塀に手をつく。
「おえっ……ぐっ……!」
そうして、俺は地に向かいえずく。
胃の内容物がせり上がってきているのを感じる。
止まらない吐き気に、俺は周囲の目も気にせずそれをぶちまけんとするが、何故かそれができない。
まるで俺の中で今、異物を排除しようとする者、それに対し強引に侵入しようとする者の二者が鍔迫り合いをしているかのようだ。
そうした、食道のあたりでモノが留まり続けている感覚が続く。
「ふーっ……ふっ――……あれ?」
がしかし、そうした苦しみはある瞬間、綺麗さっぱり立ち消える。
喉奥の異物感も、胃のむかつきも消えている。
まるで最初からそんなことなど起こらなかったかのようだ。
それどころか、先ほどよりむしろ気分がスッキリしている気さえする。
「……」
立ち尽くす俺の頭の片隅では、俺でない誰かが警報を鳴らしている。
そして、それを強引に抑え込もうとする何者かの存在もまた同時に感じる。
しかし妙に爽快で、そして晴れ渡った気分の中にあっては、あまり深く考えることはできそうになかった。
若干の違和感を覚えつつも、俺は帰路を再び歩み始めた……